第103話 ……嫌な話だね
「……」
聞いたことのある声だった。警戒術式の光が部屋を照らし、その中で橙色の髪が見えた。
「ムルガドさん!?」
「ん?」
大男――ムルガドが、ようやくキツキを見る。
「起きてたのか」
「今起こされたんですよ!」
なぜ俺の部屋にいるのか。まずそれを聞こうとしたところで、ムルガドが警報の方へ顔を向けた。少し周囲を見回してから、何かに気づいたように頷く。
「なるほど。俺の転移に反応したんだな。さすがギレルだ。ちゃんとしてる」
どうやら警報の理由には納得したらしい。キツキの疑問は何も解決していないのだが、ムルガドはそれ以上気にする様子もなく、今度はベッドの上のホンペクへ目を向けた。
「お前も元気そうだな」
ホンペクは返事もせず、ムルガドを見返しただけだった。
その時、ムルガドがふいに廊下の方へ顔を向ける。
「……来たな」
「何がですか?」
「警備だろ」
直後、本当に廊下の向こうから複数の足音が近づいてきた。キツキがそちらへ目を向ける間に、ムルガドは勝手に机の椅子を引き、どかりと腰を下ろした。
(いや、なんでくつろいでるんだ、この人)
「ちょうどいい。学院の奴らにも話がある」
少しして、学院職員たちが一斉に部屋へ入ってきた。全員がすぐに動けるよう構えていたが、室内にいる人物の顔を見ると、その警戒は目に見えて緩んだ。
遅れて来たガルドも、ムルガドを見るなりわずかに足を止める。
「……ムルガド殿」
「よう。久しぶりだな」
「……話は別の場所で聞こう」
ガルドは残る職員たちに、警報を止めるよう指示した。
ムルガドはゆったりと立ち上がり、今度はキツキを見る。
「小僧。お前も来い」
「え、俺もですか?」
「お前も関係ある話だ」
なんで俺まで。そう思ったところで、ムルガドが続けた。
「そういや、お前しばらく学院から動けるか?」
「無理ですよ。俺、学生ですよ。学校ありますし、それにプライムフォーラムもあるんで、研究から手離せません」
「プライムフォーラム?」
ムルガドが少しだけ眉を上げる。
「ああ、あの若いのが集まるやつか」
「まあ、そうです」
「ほお。お前、結構頭いいんだな」
「まあ、それは――」
「こいつバカ」
足元からホンペクの声が飛んできた。
「……お前は黙ってろ」
「なんだ?」
「いえ、何でもないです」
ムルガドは少し首を傾げたものの、それ以上は気にしなかった。
「なら仕方ねえな。まあ、話だけは聞いてけ」
そこからは早かった。キツキは着替えを済ませ、ムルガドたちと寮を出る。ホンペクも当然のようについてきた。
通されたのは、小さな会議室だった。中には学院長とガルドのほかにも、何人かの学院関係者が集まっている。キツキも席につき、ホンペクはその足元に陣取った。
その中でひときわ目についたのが、白髪の老女だった。全身を黒いローブで包み、頭にはいかにも魔女がかぶっていそうな大きな黒い帽子を載せている。
マクナル先生。
キツキも名前と顔くらいは知っていた。クラス9を超えた冠に届いているだの、全属性を使えるだの、果ては実年齢が1000歳を超えているだの、真偽不明の噂ばかり流れている老教師だ。まあ、最後のはさすがにありえないだろうが。
ムルガドもマクナルに気づいたらしく、少し眉を寄せた。
「なんだ、バアさんもいたのか。元気だったか?」
「あら坊や。ずいぶん老けたわね」
「……相変わらずだな」
ムルガドが露骨に面倒そうな顔をする。
あれだけ強いムルガドを、平然と坊や扱いしている。
(……あの噂、1つくらいは本当なのかもしれない。絶対逆らわないようにしよう)
そんなことを考えているうちに、急に眠気が戻ってきた。キツキは椅子に深く座り直し、目元をこする。今はもう、ベッドが恋しくて仕方なかった。
そんなキツキをよそに、ムルガドは懐から小さな魔道具を取り出し、机の上へ置いた。
「前に、お前らのダンジョンにいたフォールンが持ってた魔道具だ」
ガルドがそれを見る。
「……あの時、こちらで記録を取ったものか」
「ああ」
「……少しよろしいですか」
同席していた学院関係者の1人が、キツキへ視線を向ける。
「学院長。生徒にまで聞かせてよろしいのですか」
「彼なら大丈夫だよ」
学院長はあっさりそう答えた。
なぜそこまで信用されているのかは分からない。正直、退出できるならそうしたかったが、学院長に大丈夫だと言われたあとでは、それも言い出しづらい。
「じゃ、話を戻すぞ。そいつをしばらく調べてたんだが」
ムルガドが机の上の魔道具を指先で軽く叩く。
「転移用だった。飛ぶ先は最初から決まってる。ただ、どこに飛ぶかまでは分からん」
マクナルが魔道具へ目を落とした。
「つまり、そのフォールンにはあらかじめ逃げ先が用意されていたのね」
「おそらくな。それと、普通の魔力じゃ動かねえ。フォールンが使う、あの黒い魔力が要る」
「そこまで分かったのか?」
ガルドが魔道具を見つめる。
「まあな」
ムルガドは軽く肩をすくめた。
「ただな、あんな雑魚が1人でこんな大掛かりなもん用意したとは思えねえ。用意した奴は別にいると思うぜ。証拠はねえけどよ」
『雑魚』。さすがに、その評価には頷けなかった。ムルガドが来なければ、自分たちはあそこで死んでいた。
「それとな、最近奴らの動きも妙だ。俺はここ数年、あちこちで奴らを追ってるが、まとまって動く奴らが増えてきた」
フォールンがまとまって動くのは、それだけでも珍しい。理性を失う者も多く、基本的には群れを作らない。それくらいはキツキも知っていた。
「それがクルエルヴェールだけじゃねえ。他にも別口があるみてえだ。互いにつながってんのか、敵対してんのかまでは分からねえがな」
クルエルヴェールとは別に、フォールンの集団が存在する。
誰もすぐには口を開かなかった。
さっきまで何かを書き留めていた学院職員の手が止まり、ガルドの表情もわずかに険しくなる。
学院長は机の上の魔道具を見たまま、静かに息を吐いた。
「……嫌な話だね」




