第102話 入る人、入らない人、勝手に入る人
放課後。
エレオノーラはギレル学院の2年生Sクラス。フォルテアの侯爵家に生まれた一人娘で、顎のあたりで切り揃えた黒髪に、同じく黒い瞳を持つ。顔立ちもかなり整っている。
所属するのはフォルローズ。今日は4年生の先輩と一緒に、レニアを勧誘しに来ていた。
その本人がちょうど教室から出てきて、エレオノーラはわずかに背筋を伸ばした。
(はぁ……今日もお美しい)
「エレオノーラ、行きますよ」
「はい」
返事をして、その後ろについていった。
そのままレニアに追いつくと、4年生の女性が声をかけた。
「レニア殿下。少々よろしいでしょうか」
レニアが足を止めて振り返る。赤い瞳がこちらを向いた。
「はい。どうされましたか?」
声まで可愛い。
これだけ近くで聞けただけでも、ついてきた甲斐があった。もちろん顔には出さない。
「以前もお声がけしましたが、所属するサークルがお決まりでないのでしたら、改めてフォルローズへの加入を検討していただけないかと思いまして」
フォルローズは、フォルテア王国出身者を中心にしたギレルでも有数の大きなサークルだ。同郷の上級生とのつながりもでき、学院内外の情報も入ってくる。フォルテア出身なら、所属先に迷った時にまず候補に挙がるような場所だった。
「もちろん、お忙しいようでしたら、活動への参加もできる範囲で構いません」
レニアは返事までにほんの一拍置いた。
「ありがとうございます。でも、やはり遠慮しておきます」
断る時ですら美しい。いや、そこは今はいい。
4年生の女性も予想はしていたらしく、表情を大きく変えることはなかった。
「何か、私たちに至らないところがありますでしょうか」
「いえ。そういうことではありません。何度も声をかけていただいて、本当にありがたいと思っています」
「でしたら――」
4年生の女性はそこで言葉を切り、エレオノーラに視線を寄越した。
どうやら、自分からも一言勧めてほしいらしい。だが、ここで自分まで口を挟めば、レニア様に余計な気を遣わせるだけだ。そう思って、エレオノーラは小さく首を振った。
一瞬の沈黙のあと、レニアが少し困ったように眉を下げる。
「すみません。それでも、今は入るつもりはありません」
「……分かりました」
それ以上、4年生の女性は食い下がらなかった。
「気が変わりましたら、いつでも声をかけてください」
「はい。ありがとうございます」
レニアは丁寧に頭を下げた。
王女でありながら、学院では年上の相手へきちんと礼を払う。そういうところも、やはり素晴らしい。
エレオノーラもすかさず頭を下げる。
そのまま下げていって、視界の端に自分の膝が入ったところで、ようやく気づく。
(……下げすぎた)
レニアが一瞬だけ目を見開いた。エレオノーラの下がりすぎた頭を見つめ、それから何も言わずに小さく会釈を返す。
そのままレニアは廊下を歩いていった。
隣で4年生の女性が小さく息を吐く。
「今回も駄目でしたね」
「はい」
残念ではある。何をお考えなのかは分からないが、レニア様がそう決めたのであれば、きっと何かあるのだろう。
そもそも、自分ごときにレニア様の高尚なお考えが分かるはずもない。
遠ざかっていく銀髪の後ろ姿を見送りながら、エレオノーラは心の中でそっと拝んだ。
◇
小演習室へ向かう廊下を、キツキは早足で歩いていた。
思ったより時間を食った。エリルが申請書を書き直し、マリベルに指摘された部分を詰めているうちに、レニアを随分待たせてしまっている。
急いで廊下の角を曲がったところで、ふと誰かに見られていたような気がして足を緩めた。振り返ってみても、廊下には何人か生徒がいるだけで、こちらを見ている者はいなかった。
(……気のせいか)
今はそれより急がないとまずい。
キツキは再び足を速めた。ほどなくして小演習室に着き、そのまま扉を開ける。
「悪い、レニア。遅れた」
机にノートや資料を広げていたレニアが顔を上げた。
「遅いわ」
「悪かったって」
キツキは鞄を置きながら椅子を引いた。
「サークルの書類でちょっと時間かかってさ」
「エリルのサークル?」
「見てたのか」
「3人で教室を出ていったら、嫌でも目に入るわよ」
それもそうか。
キツキが腰を下ろすと、レニアは手元のノートに視線を戻した。
「それで、入ったの?」
「ああ。まあ、成り行きでな」
「そう」
レニアはそれだけ言って、ページを1枚めくった。
「じゃあ、始めましょう。待っている間に少し整理しておいたから」
「助かる。遅れた分はちゃんと働きますよ」
そこからは、いつも通り研究に戻った。
条件を何度か書き直し、資料も見返しながら作業を続けているうちに、窓の外はすっかり暗くなっていた。
さすがに今日はここまでにしようということになり、2人は片付けを済ませて小演習室を出た。
◇
寮へ戻って汗を流し、寝支度を終えた頃には、もう何もする気が起きないくらい疲れていた。
(今日は色々ありすぎたな……)
そのままベッドに倒れ込むと、もうまぶたが勝手に落ちてくる。これなら泥のように眠れそうだ。
その時、ふっと部屋の気配が増えた。
嫌な予感がして重いまぶたを持ち上げると、案の定そこにはホンペクがいた。
「……おい、今何時だと思ってんだ」
ホンペクは返事もせず、当然のようにベッドに上がった。布団の上からキツキのふくらはぎのあたりに身体を乗せると、そのまま丸くなる。
「何しに来たんだよ、お前」
やはり返事はない。
ホンペクはそこそこ重かったが、布団越しだからか、不思議と嫌ではなかった。むしろ脚をほどよく押さえられている感じがして、妙に落ち着く。
どかすのも面倒に感じ、キツキはそのまま目を閉じると、ほとんど時間もかからず眠りに落ちた。
――――どれくらい経ったのか。
閉じたまぶたの向こうが、突然白く染まった。
何事かと思う間もなく、耳をつんざく警報音が部屋中に鳴り響く。
「っ!?」
キツキは跳ね起きた。
目がまだ光についていかない。白くちらつく視界の奥に、ぼんやりと人の形だけが浮かんでいる。
でかい。
暗がりの中でも分かるくらい、明らかにでかい。
誰だ。
というか、なんでいる。
身体が勝手に動き、キツキはベッドの上で拳を構えた。寝起きとは思えないファイティングポーズである。
しかし、人影はそんなキツキなど気にも留めず、辺りを見回している。
「おい、なんだこの音は」




