詰め開き 【五】
その後、私たちは進級し、二年生となった。
女子バスケットボール部のメンバーは、先輩たちを見送り、新たなチームとして歩みだすことができた。だが、トラブルはいつの時代にもつきものだった。
「集中して、リバウンドのタイミング遅い! 駆け足! タイマー止まってないよ!」
私は部員たちに発破をかけ、その怒声を体育館に響かせた。
試合の成績も順調に伸びあがり、身体能力も向上させ、技術も間に合ってきた。ジュニアクラブの先行組と同格に並び始めた私は、元々任命されていた先輩を差し置いて、副部長に抜擢された。
部活内で先輩や同学年に慕われていた私。あの件があって以来、トラブルが起こるたびに私は解決に駆り出された。当然、私には関係のないことが多くあったが、実直にそれらを解決してみせた。早苗だったらそうするだろうと、勝手に私の中で決めつけていたからだ。
そしてそんな姿が目立ったのか、選ばれたはずの先輩は私に名指しして副部長の座を譲った。要領の良かった私は、顧問から引き継いだ物言いをそのままトレースして後輩の指導方法とした。だがそれっぽい言い回しはそれだけで部員たちの心を揺さぶることができる。目を見れば、私の言葉が響いているかどうかも分かる。相手が何を欲しがっているかが察せる時点で、心を掌握するなんて簡単なことだった。
全部を把握する必要はない。要点だけ抑えて、効率よく点を取る。それが勝つための一番効率のいい方法だと私は考えていた。実際、そうすることで得点率は伸びたし、練習もその分少なくて済む。プレイヤーとしての私と、副部長としての私。役割が増えたことが、私にはとても好都合だった。
「蘭ちゃん、遅い!」
初速からトップスピードまでが遅い蘭は、切り返しの多い選手に抜かれることが多くあった。左右に振られると、彼女は出遅れてしまう。ディフェンスとしてまるで機能していなかった。
「蘭ちゃん! ステップ増やして!」
彼女は私にとってなんなのだろうか。腹の中に溜まっていく不快感が、一層彼女への叱咤を激しくさせた。彼女へのあたりを少しでも和らげるため、蘭とは仲がいいアピールを続けた。だけど彼女がそれに気が付くことはなかった。
足がもつれた蘭は、その場に倒れ込む。みんなの見ている中、一人で私は彼女のそばに駆け寄り声をかける。
「蘭ちゃん大丈夫?」
「うん、平気」
足首を回し曲げてみせる。よかった。ひねってはないみたい。
「もう一セットしたら、休憩入っていいから」
「うん」
彼女から離れて、私は部員たちを一瞥する。負の連鎖は日に日に加速していく。なんとなく今なら早苗の気持ちが分かる気がした。これは必然なんだ。変えることのできない因果。どこまでも続く終わりのない暗闇。それを早苗は、諦めていたのかもしれない。
「ねぇ最近、雰囲気悪くない?」
体育館のどこからか聞こえてきた声。
練習が終わり、空気が緩んだ一瞬のつぶやきだった。人差し指を立てて沈黙を示した部員が、私と目を合わせる。厳しい指導を行う私の言動に、積もりゆく不満を瞳に含ませた部員たち。欲しいものを欲しいだけ与えるわけではなかった私は、怠惰を要求する部員に対し、より一層厳しくあたっていた。
「誰、今の」
よく通る声だと言われた私の一声が、隅々まで響いた。談笑していた部員たちは男子女子関係なく、その言葉に誰もが押し黙った。
外は暗かったが、体育館の明かりが煌々と光り、コート全体を明るく照らしだす。口を滑らしたのは、一年生だ。
真面目な彼女は、私のことをよく尊敬してくれていた。だからこそ、そう言ったのだ。私は彼女たちをじっと見つめると、近くまで歩み寄る。顔を下に向けて、両腕を震わせる彼女たちの顔をジロジロと覗き込んだ私は、口だけで笑みを作る。
「どっちが言ったの?」
言った本人は分かり切っていたが、見せしめにするにはちょうどいいと私は判断した。迂闊にこういう輩をのさばらせるわけにはいかない。集団としての規律をしっかりと叩きこまないと、あとでグチグチ顧問に文句を言われるのは私なのだから。
下を向いた一人の一年生が手を挙げる。私ははっきりと告げた。
「ちょっときなさい」
腕を引いて、乱暴に私は一年生を校舎へ連れて行く。その恐怖を目の当たりにした部員たちは身を引いた。遊び半分で私を見つめる男子部員。いつも彼のふざけた態度が気に食わなかった。私は彼と目を合わせて一喝する。
「あんたも来んの?」
真に受けた彼は驚きつつも首を振る。そうは言ったけど、実際あんなのに割く時間はない。出口に差し掛かろうかという時、私の前に人影が現れた。また、男子部員。よほど男バスは平和らしい。女バスの問題に首を突っ込んでくるなんて暇もいいところだ。
「なぁくるみ、やりすぎだよ」
この男の馴れ馴れしい態度にもうんざりしていた。私はもう一度ヒステリックに叫ぶ。
「振られた男がでしゃばんないで!」
「か、関係ないだろ!」
「じゃあ女バスの問題なんだから男子はもう帰りなよ! 関係ないでしょ!」
勢いに任せて振り切ろうとした時、もう一人が叫んだ。
「やめてよ!」
普段聞くことのない大きな声だった。ランニングの掛け声さえ小さくて、いつも怒られていた彼女の発露。胸の前で握りしめた拳に力を込めて、蘭は私に告げる。
「光島さん。最近おかしいよ」
私の、何がおかしいというのだろうか。部員の結束力は以前よりも落ち込んできている。去年の三年生を追い出す時に一致団結したあの頃とは、見る影もないくらいに個人がバラバラの主張をしていた。私が統率を取っているから何とか形になっているものの、強豪校でもなんでもないこの部活は自分自身でモチベーションを高める方法以外に、まとめようがないのだ。
「私の、何がおかしいっていうの」
掴んでいた一年生の手を放し、私は歯向かってきた蘭に向けて歩き出す。
「ちょ、ちょっと!」
バスケ部の間抜け面した連中が私の周りに集まり始めて、どうにか私を落ち着かせようとする。もとはと言えば、こいつらが不甲斐ないのが悪いのに、どんな顔をして私の前に出てきているんだか。
「邪魔」
冷たくあしらって私は蘭と対峙し、彼女の目を見る。あの頃の、私が部活に入部した時と変わらない、何の成長も見られない、愚かな瞳。
「蘭ちゃん、おかしいっていうならそっちもだよ」
怯えた瞳、私はこの目が嫌いだった。
「何度同じ注意をしても直そうとしない、正そうとしない。自分のスタイルに固執して、過信して、我流がうまくいくことなんて、ありえないのにさぁ」
騒然となる場。コートの上に立つ誰もが、その言葉に己を重ねる。
「練習毎日くるだけでうまくなるの? ジュニアからやってて、その程度なの? 私には、理解できない」
私だって、この場の誰よりもバスケがうまい自身なんてない。男子に比べれば筋肉の量も骨の長さも体格の違いも、すべてにおいて私は劣っていることだろう。だからといって私が蘭に持っている恨み言が消えてなくなるわけでもないし、口にだすのを止める権利もないはずだ。
「蘭さぁ。バスケ部に誘ってくれたのは良かったけど、どうしてまだ続けてるの?」
蘭の目の色が変わる。彼女の求めるものが褪せたものから一気に色付いていく。
私は心の中で笑った。そっか、そこが一番あなたの嫌なところなんだ。さらに近付いた私は、触れられる距離で首を傾げて蘭に言った。
「そんなので続けていて、恥ずかしくないの?」
一瞬の出来事だった。絶叫する蘭と、覆いかぶさられる私。
彼女は目から涙を溢れさせ、私を地面に叩きつける。お尻と背中に強い衝撃を受けて、転倒する私。
揺さぶられる脳に意識を持っていかれそうになった。彼女の涙と嫉妬が胸を圧迫し、耐えがたい哀しみと綯交ぜになりながら、悲痛な叫びを私の耳に届ける。
「うるさい! 私だって頑張ってるの! あんたなんか! あんたなんか誘わなきゃよかった!」
羽交い絞めにされる彼女を見ながら、私はくらくらする頭を持ち上げて腕だけで後ろに下がる。
「馬鹿ね! 私がいなきゃ、この部は何にもできない出来損ないばかりよ!」
痛い、痛いよ。
「蘭! あんたがこの部をこんな目に合わせたのよ! 自覚はあんの!」
「うああああああッ!!」
暴れだした蘭は部員たちの拘束から逃れ、再び私に飛び掛かり馬乗りになった。髪の毛を引っ張られ、罵られ、零れた涙にぐしょぐしょになる。
足りない私には、結局こうすることしかできなかった。
◇◇◆◇◇
ドアがノックされる音で、私は意識を取り戻す。いつのまにかうとうとしてしまっていた。大学の過去問に目を通していた私は、その難しさに頭の回転が緩くなっていたのかもしれない。
ドアが開いて入ってきたのは、山井先生だった。
彼の顔を見て、私は中学時代の夢を見ていたことを、のんきに思い返していた。




