詰め開き 【四】
跳ねるボールを操り、力強く地面を蹴り上げる。
小手先の技術が伴っていない私の能力では、まだ体幹の強い選手に競り勝つことができなかった。全体の動きを観察しつつ、パスを貰いやすい場所へ足を動かし、相手の視線と要求を盗み見て、ゴールに狙いを定める。展開の早いスポーツだ。私は息せき切ってシュートを決めた次の瞬間に、自分たちの陣地に走り出さなければならなかった。呼吸を整えている暇もないほど、肉薄した試合運び。
試合終了の笛が鳴る頃、私は重力の存在を強く肌で感じることができた。難しい公式なんて必要ない。頭の中が空っぽになる。ニュートンも、早くからバスケをすればよかったのだ。
対戦相手に一礼し、練習試合の講評が顧問の先生から告げられる。私はこの時間が、一番楽しみだった。
「光島、後半からプレーが雑だ。もっと低くドリブルを保たないと重心もぶれてカットされやすくなる。周りが見えてる分、自分のプレーにもより集中していけ」
「はい!」
私の目指すべき指標が明確になっていくのが気持ちよかった。極めれば極めるほど、私には強くなれる自信があった。
「お疲れぇ」
私は更衣室の中でへとへとになった部員仲間に声をかける。
「くるみちゃんすごいね。初心者だったとは思えないよ」
「今日のくるみちゃん動きがすごいよかった」
鼓舞してくれる部員たちは、私がメキメキと上達していく様を頼もしく思ってくれている。始めたての時はルールすら知らないど素人だったけど、試合展開と各ポジションの役割、点数の稼ぎ方、バスケにおける優位な戦術とチームとしての総合力。すべてを理解してゲームに挑めば、活躍の機会はそこら中に転がっていた。
私は顧問から言われたことを忠実にこなし、各プレイヤーの長所を引き出せるようにサポートを行った。できることとできないことが分かれば、こんな楽なスポーツはない。あとはスタミナがどこまで持つか、それだけだった。
スポーツドリンクを一息に飲んでタオルで汗を拭く。今日は他校と練習試合をした後、学校に戻って部活の通常工程を踏んだ。疲れは倍以上だった。早く帰ってご飯を食べたい。私は一足先に更衣室を出て、昇降口の前でみんなの着替えを待った。
スマホでメッセージの通知を確認する。先日連絡先を聞いてきた同学年の男バスの子からメッセージがきていた。その内容を見て鼻で笑った私は、返信のメッセージを書き込む。
蒸し暑い夕方の熱気が、風にさらわれていく。
「光島さん、ちょっといい?」
私は目だけを向けた。声の主は、窪田蘭。私をバスケ部に誘った張本人だ。彼女はクラスでもおとなしく、自分の意見をはっきりと言うことができない人間だった。しかし三年生が抜けて以降、悪い憑き物がとれたように楽しく部活に励む姿がみられていた。
「ん? どうしたの?」
スマホをポケットにしまい、私は訊き返した。いつもとは違う真剣な蘭の顔に、顎を引く。
「あの、お礼、まだ言ってなかったから……」
「お礼?」
私は再び訊き返す。蘭は昂った感情を声色に乗せた。
「女バスのこと。色々あったけど、光島さんが来てくれて、すごく良くなったと思う」
控えめな性格で先輩たちから散々言われていたのは知っている。私が彼女に誘われなければ、この部活はずっと陰湿な空気を保ったまま続いていたことだろう。彼女がこの部活を変えた立役者といってもいいかもしれない。悪の親玉は潰えた。あとは平和に過ごすだけで問題ない。彼女がそれを望むのなら。
他の部員たちがわらわらと話をする声が聞こえてきた。
私は蘭の目を見ながら、
「私も、蘭ちゃんにバスケ部を誘ってもらえて嬉しかった。ありがとう」
そう告げて重たいスポーツバッグの背負い紐を握り直す。
私たちはお互いに笑いあった。
◇◇◆◇◇
見ていると何故かイライラしてしまうのは、私だけではなかった。
「くるみぃ。ジュース頼むわぁ」
「自分で行きなよー、私これからデートだから」
部員仲間に言い返したあとで、自然と口角が上がるのを抑えられなかった。
「うわ、くるみうざー」
更衣室で脱力した彼女たちは、悔しさを押し出して私を冗談半分で睨んできた。私は自分の容姿が優れていることをおくびにも隠そうとはしなかった。美しさは慎むものではない。部員たちにもそれは分かっていたが、時の英雄に対して悪口を言ったりはしなかった。
それだけ私は強かったし、彼女たちを見下したりは絶対にしなかった。嫌味がないのが嫌味な美人。憎たらしい顔をされながら、その頃の友人たちにはそう呼ばれていた。
「遅くなっちゃった、ごめん」
下駄箱で待ち合わせしていた彼氏と、今日はショッピングモールへ買い物に出かける予定があった。靴を履き替えようとしたところで、タオルを忘れていたことに気が付く。私は暑いから下駄箱でもう少し待っているよう彼に伝えて、急いで部室へ戻った。
季節は夏。けたたましい蝉の鳴き声がそこかしこから聞こえてくる。どこを見渡してもいないはずなのに、暑苦しい音だけを反響させて頭の中から離れてくれない。窓を開けた体育館にだけは、絶対に入ってきて欲しくなかった。
部室の前まで来た私は、ドアノブを握ろうとして立ち止まる。耳を澄ませると、蝉の騒音の中から声を拾うことができた。部室の中からだ。
まだ誰かいたんだ。
私はそう思ってノブに手を伸ばした。するとドアが勝手に開き、中から蘭が飛び出してきてぶつかりそうになる。
「ご、ごめんなさい!」
私と目を合わさず、彼女は謝ってそそくさと立ち去っていった。荷物を抱えたまま、急いでいる様子だった。私は部室の中を覗く。さっき残っていた部員が二名。なにやらにやついた様子で目配せしている。
目を閉じて息を吐き、私は部室の戸を開けた。穏やかじゃない。蘭の顔、そして二人の態度。そう思った私は、平然とした表情のまま、二人に声をかける。
「あれ、まだいたんだ」
「くるみじゃん。今帰るとこ。あれ、彼ピは?」
「忘れ物して取りに来た。まだ待たせてる」
「置いてかれるぞー」
「私を置いて先に行く男子はいないでしょ。てか、蘭ちゃん走っていったけど、なんかあったの?」
やり取りの間、私は二人の顔を交互に見比べた。
制汗剤に含まれる独特の柑橘臭、部室はその匂いで一杯になっていた。トレーニングに使う器具や道具は綺麗に整頓されている。掃除も部活後に行われ、目立ったゴミは落ちていない。張り紙やマットに至るまでざっと見渡したが、特に不審な点は見当たらなかった。
激しい何かがあったわけではない。だが蘭を贔屓目にみても彼女たちと気が合うとは思えなかった。一悶着あったのは確実だ。
「なんにも。ちょっといじりすぎちゃっただけ。ね」
「そうそう、今度謝っとくよ」
二人は目を合わせてお互いに笑いあう。それを見た私も、一応愛想笑いを浮かべておいた。部室の戸締りをお願いした後、私は急いで下駄箱に向かった。彼女たちの顔には覚えがある。早苗の眼鏡ケースを隠したあの時の二人と、同じ顔をしていた。
目を見ただけで分かる、彼女たちの欲していること。女の子が常に抱いている、同調圧力。私は頭の片隅に巣食っていた獰猛な危機感を、捨て去ることができなかった。
どうしてそう、みんな愚かなのだろう。
蘭はあの性格をからかわれ、部内でいじめを受けている。




