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詰め開き 【二】


 文化祭当日。形式だけのホームルームが終わり、生徒は最後の準備に取り掛かった。


 模擬店を出すクラスは、教室内にある荷物をまとめて出店ブースへと運んでいく。袖をまくり上げた男子たちが快活な声をかけあい、重たい荷物を持ち上げる。部活で鍛え上げた自慢の力こぶを見せつけて、いつも以上に煩わしい。昇降口から遠いこの教室は、男子の運搬だけでは時間が間に合わない。運動部の女子を中心に寄り合って、全員で荷物を運びあった。


 私は目立つジャージのまま、ぽつんと教室に立つ。クラスで作った文化祭の工程表を片手に、動き出したみんなの邪魔にならないよう日の当たらない場所でじっと佇んでいた。誰かが床に置いていったホチキス留めの冊子。文化祭の運営において欠かせない必要なものが盛り込まれたその工程表は、何度も繰り返し読まれ、折り畳まれた形跡があった。


 私は自分の工程表を見る。一度しか目を通していないその冊子。折り目どころか今刷ってきたかのような真新しさがあった。


「あ、プリント、見てるよ」


 廊下から聞こえてきた女子の声。私が所在なく立っていることを可愛げもなく揶揄する。別に、私は手伝いに来たわけではない。実行委員として、貸し出し品をチェックする必要があっただけ。頼まれでもしない限り、重い荷物の運搬なんて御免だった。


 初めて工程表の角に折り目を付けて、視線を落とす。不足はない、不備もない。準備は万端だ。こんな確認なんて、そもそも必要ないんだ。何故なら私のクラスには早苗がいるのだから。廊下で指示する早苗の声が教室にも届いた。みんなの視線が、早苗を追いかける。彼女はこのクラスにやってきてまだ日が浅い。それなのにも関わらず、みんなが彼女を頼っていた。


 美人で頭もよくてユーモアがあり、明るくて優しくて、リーダーシップにも長ける。安城がそんな早苗の横行を許したのは他でもない。前園が私から離れたからだ。どこまでいっても彼に執着する安城を、私は冷ややかな態度で見送っていた。いっそ早苗に噛みついて返り討ちに合ってしまえばいいのに。私は片腕で自分の体を抱きしめる。


「篠崎さんすごくない?」


 廊下の女子の声が、再び耳に入る。


 もちろん早苗には同性をも惹きつける魅力があった。きれいごとばかりでは渡っていけない女社会。彼女の裏表のない笑顔と砕けたキャラクターはすぐに女の子の警戒心を解いた。今まで恐れられていた小野を手懐けたことも、クラス全体が彼女を慕うきっかけとなった。誰にでも明るく接し、ひねくれものにも忖度することない彼女。小学生の頃から飛び抜けていた早苗は、成長を経てますます磨きがかっていた。


 文化祭の冊子を握る手に力を込める。私の確認を必要としないほど、完璧にシステム化された備品管理。たった三日間で、彼女は文化祭のすべてを頭に叩き入れていた。


「緑の養生テープ? さっき甲斐くんが持って行ったよ。グラウンドだと思う。小池さんは保健委員だからいま保健室で先生から説明聞いてる。三十分頃には戻ってくるって言ってた。廃棄油? 家庭科室で一斗缶を貸し出してるって聞いたから、あとで聞いてみるね」


 早苗が出す指示は的確で素早い。びっくりするほど手慣れている。一朝一夕で文化祭の実行委員に仕立て上げられた私より、ずっと信頼感があった。


「ごめん、木村さん。私、渡会先生って顔が分からないから、美術部に伝えに行って欲しいんだけど……」


 早苗はさっきの廊下にいた女子に手を合わせて告げる。気安く返事した彼女たちは、さっさとどこかへ行ってしまった。

 人を動かすことも難なくこなせるようだ。


 私は首を振って思考を散らす。だめだ、早苗のことばかり考えてしまう。執着しているのは私の方だ。どうだっていいじゃないか、彼女のことなんて。早苗の目を盗み、慌ただしい教室から抜け出した私は、人気のないであろう図書室へと向かった。彼女がいるなら私の仕事はない。それを幸運だと思って、今日は一日、誰とも接することなく図書室で過ごそう。それが私にできる、唯一のクラス貢献なのだ。


 だが、私の予想は大きく外れてしまう。


 図書委員会が何かを催すと聞いていたが、文化祭にかこつけてスタンプラリーを開いているようだった。準備のために忙しなく働く図書委員が数人、花飾りを掲示板につけていた。どうやら図書館の解放はしてあるみたいだったが、いつもと利用方法が違うらしい。私が愛してやまなかった孤独で静かな空間は、蔵書の多い賑やかなイベントホールになってしまっていた。


 なんとなくばつが悪い感じがして踵を返す。図書館に訪れる人たちが増えれば、それだけで居心地が悪くなる。私は行く当てのないまま廊下をうろついた。別に、図書室の隅にいたって咎められることはないだろうが、落ち着きたい人が集う場所に静かにいることと、行事が催されている場所に黙って佇んでいるのとでは、意味が違ってくる。


 私は窓の外に目を向けた。階下に見える運動場ではクラスごとの店が並び、備えつけられた長机にカラフルな看板が飾られていた。各クラスの生徒は派手なシャツに身を包み、団結力を見せびらかすようにその辺りを闊歩する。


 もちろん私はそんな服着ようとは思わなかった。みんながその出来栄えに和気あいあいとする中、薄いビニールに包装されたシャツを、私はデザインを見ようともせずに鞄の中にしまい込んだ。私の手元にきたのが、運の尽きだよ。


 冷えた目で窓から外を見下ろして冷静になった頭で考える。


 何しに来たんだろ、私。


 グラウンドの向こう側、フェンスを越えた奥にある街並みを眺めた。学校の中はこんなにも暑苦しくて騒がしいのに、外の景色は普段となんの代わり映えもしない。ぼんやりした私も、取り残されたように何も変わらない。


 強い風の音。張られたテントが波打つ。聞こえなくなった遠い騒音に紛れて、私を呼ぶ声が微かに聞こえた。


「光島さん」

 

 重い息を飲み込み、仕方なしに振り返ることにした。この声に恋焦がれていた彼女には申し訳ないが、私は彼のことを嫌いになりつつあった。体を壁に押し付けたまま、顔を声の方に向ける。


「山井先生……」


 笑顔で近付くバスケ部の顧問、山井先生は、副担任をしている三年のクラスティーシャツに着替えていた。


 全体がショッキングピンクに塗られ、ポップ調に描かれた笑顔の豚。そういえばハムを使った模擬店が出ると聞いていたが、このクラスなのかもしれない。衛生上豚を扱うのはかなり危険だと聞いていたが、加工済みなら問題あるまい。高額そうだが、ちゃんと採算は取れるのだろうか。


 私のどうでもいい思考に割り込むように、先生は告げる。


「どうですか、塩梅は」


 以前交わした会話を忘れてしまったかのようにすっきりとした顔だ。これが大人の対応というやつなのかもしれない。あの日を思い出すことさえ嫌だった私は、ありがたくその対応に乗っかることにした。


「まあ……お陰様で順調です」


 腕を組んで隣に並んだ先生は、頷きながら窓の外を見た。長髪にかかったパーマが髪の毛を波打たせる。線が細いから深みのある輪郭に見えるが、髪にボリュームがあれば中世の音楽家に見えなくもない。


 私はこの顔を、どこかで見た気がする。


「やまちゃーん!」


 数人の女子グループが先生を見つけてやってきた。同じシャツ。三年生だ。彼女たちの黄色い声を浴びながら、山井先生はにっこりと笑いかける。杏香が言っていた通り、女子の人気は結構厚いみたいだ。話し方も身なりも若く、これだけ社交的な人なら生徒から好意を寄せられるのも無理はない。


「お、川名の友達じゃん、ね。この子かわいくない?」


 そういって何人かの友達と話し始めたのは澄桜の先輩だった。そういえば彼女は三年生だったか。


 軽く会釈した私は彼女の瞳を見る。白い肌を貫通する彼女の希求。自己承認欲に埋め尽くされた、分厚い面の皮。美しくないといけないという狂気に囚われたまま、彼女は生きていくんだろう。


「先輩たちの方がずっときれいだと思います。私、化粧とかあんまりしたことないから、教えてほしいです」


 こういう後輩が好きなんだろうなと思って軽く言ったが、私はすぐに後悔した。彼女を除く三年生の先輩たちが私の愛嬌に気を引かれている間、彼女だけが本当の私を見つけ出していた。


「ふーん、そういうの、興味ありそうにはみえないけど」


 思ったよりも、聡い女だ。そう肌で感じさせる彼女の瞳。失言だった。彼女は私の腹の底が見えている。早苗が来たことにより私の仮面も少し薄くなっていたのかもしれない。年上だろうと関係なく、敵だとわかればすぐにでも噛み千切って叩き伏せる。そういう態度を先輩に感じ取られてしまった。


「あのさ、川名に私のクラス来いって伝えてくんない」

「……会ったら、伝えておきます」


 その会話だけして、私は心を閉ざした。一瞬で私を理解した洞察力は安城を彷彿とさせる。だが先輩が優れている点はもっと芯にあるんじゃないか、私はそう思いたかった。京香を無視していたのは、彼女と接することで互いに合理的な価値を見出せないと悟ったからだろう。分かりやすく言えば、キャラが合わない。どちらにも得がない。この先輩も私と同じ、暖かくて冷たい人なのだ。


「やまちゃんヤバいよ、一年生にまで手出し始めたら」

「変なこと言うんじゃありません横田さん。光島さんは実行委員の子ですよ」


 男子の先輩たちも寄ってきて、なにやら砕けた会話をし始める。年齢を重ねれば、私のような小手先だけの会話術もすべて筒抜けになってしまうのだろうか。そう思うと、覆っていた私の外郭が全部取り払われていくようで恐ろしくなった。本性をさらけ出すことは、絶対に私にはできない。


 気が付いた時には、山井先生がクラスの生徒を持ち場に戻らせていた。目が合うと嫌だったので、私は床をじっと見つめていた。先生は立ち去る前にこっそりと私に告げる。


「空き部屋を探しているなら、藤先生の場所を使うといいですよ」


 私は言われた言葉を頭の中で反芻する。藤先生の場所とは、つまり生徒指導室のことだろう。私の様子を察したのか、先生は落ち着ける場所を教えてくれた。やっぱり私の心の中は、どう転んでも筒抜けなのだろう。未熟で器の小さい半端者。


 軽快な音とともに放送がかかる。廊下に響く、文化祭開始の合図だった。


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