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幕開き 【四】


 次の日の休み時間、私はとある計画を実行に移した。


「守屋さん。ごめん、ちょっといい?」


 教室の中は少しばかりざわついていて、移動教室もなかったのでクラスは次の授業まで暇を持て余していた。私はこの空いた時間で、一目散に彼女の元へと訪れた。


「なに?」


 分厚いレンズの眼鏡をかけたおとなしめな女子。同じクラスにいたけど、そこまで深い仲ではなかった。取り出したばかりの文庫本にしおりを入れ直し閉じる。私に向き合った彼女は、不思議そうな顔をしていた。


「文化祭の資料作り、ちょっとだけ手伝って欲しくて」


 机に座っていた守屋に目線を合わせるべく、しゃがみこんで彼女の机に手を添える。私は見上げる形で彼女の顔を覗き込んだ。


「えと……でも……」


 彼女は言いづらそうに言葉を濁す。守屋の反応は間違っていない。彼女は美術部と園芸部を兼任し、クラスのものもあわせると合計三つの出し物を手伝わなくてはならなかった。それに加えて放送委員会にも所属しており、一年生にして彼女は多忙であった。


「大丈夫。そんなに大変なことじゃないから、ね、お願い」


 私は無謀にも、そんな子に助力を仰ごうとする哀れな帰宅部員だった。でも放課後の過ごし方は人それぞれだ。誰に何を言われようとその価値観だけは歪ませてはいけない。


 感情にものを言わせ、私は頭を下げた。慌てた様子で守屋は私に告げる。


「わ、わかった。いいから、頭上げて」

「え、ほんとに? ありがとう! 超助かる!」


 私は笑顔で彼女にお礼を告げる。守屋の人となりは理解しているつもりだ。こういう女の子は押しに弱い。そして極端に目立つことを嫌う。私に話しかけられた時点で、彼女の目からは穏便に済ませたいという願望が漏れ出ていた。


 よし、これで私が担うべき業務はほぼ片付いたといっても過言ではない。守屋が仕事慣れしているかどうかは問題ではなかった。責任を分け合ったというところがミソなのだ。私一人が抱え込んでとちっても、それは私の責任にしかならない。彼女が手伝ったという部分が紐づけば、足を引っ張られたとか量が多すぎたとか無駄な解釈の幅が広がる。


 尤も、守屋はそういうの得意な部類だと私は確信していた。押し付けられることが多い人間はその手のまとめ方をよく知っているはずだからだ。私は実行委員のプリントを渡して守屋に簡単な説明を行った。彼女はマメにメモをとりながら話しを聞いてくれる。いくつか質問を受け付け、適当に答えた。


 上々だ。嫌々ながらも頼られること自体は嬉しいはず。だから部活を掛け持ちしつつも、私の願いを聞いてくれる。世界には、こんな優しい人で溢れかえって欲しいものだ。私は彼女に大いに期待し、勝手に出来上がるアンケートのレイアウトをのんびりと待った。


 そして、締め切りの日。


「え? できてないってどういうこと?」

「ごめんなさい。部活が忙しくて……」


 放課後、蛍光灯が照らす教室の隅で、私は絶句した。目の前の背の低い守屋は、私の目を見ようとせずただ謝るばかりだった。


「だって、締め切り今日までって伝えて……」

「ごめんなさい、それも忘れてて」


 怯える彼女の表情。レンズで小さくなった瞳。


 ホームルームが終わった各々は、荷物を引き上げて部活、ないし帰宅を始めだす。残った人でクラスの準備を行い、再来週の文化祭に向けて資材の運搬や備品の作成をしていた。


「い、いやでも、時間、結構あったよね?」

「ごめんなさい、私要領悪くて」


 あんまりだった。私以外の人間がそこまでできる人間じゃないことは知っていた。だからこそ私は見切りをつけて特に親しい友達以外とは接することをしてこなかった。たかが資料の作成なんて、簡単じゃないか。


 掛け持ちしていたとしてもそう多くの分量が一人に課せられるわけでもないだろうに。家に帰って課題を片付けてもなお時間は余る。一日一時間もタブレットと格闘しろなんて言ってないし、無理だと判断すれば早めに私に伝えることもできたはずだ。そう、私は見誤ってしまった。


「もういい」


 そう言い残し荷物をまとめて私は教室を出た。


 こんなんじゃ、藤先生に何を言われるか分かったものではない。


 締め切りは今日の放課後だったから、今日中に終わらせられればなんとか面目は保てるだろう。図書室に入った私は司書の先生を見向きもせず、机に腰を下ろした。


 タブレットが使えるのは教室か図書室かのみ。文化祭の準備で残った生徒もいるから、集中するにはここしかなかった。立ち上げたタブレットには、藤先生に確認してもらったままのデータがひっそりと残っていた。


 画面の端、時間を確認する。一時間。いや、四十分もあればそれなりのものは作れるだろう。守屋が少しでもデータに手を加えていれば、もっと時間を短縮できるはずだが、私はもう彼女の手を借りるのは御免だった。他人に頼ったのが、私の大きな間違いだったのだ。やっぱり私は私以外を信用することはできない。


 タブレットのキーボードを乱暴に叩いて、私は鬱陶しい文字の羅列を塗り替えていった。


 時計の針が何週かまわる。


 ――できた。もうこれでいい。誤字脱字もない。いい仕上がりだ。配色もフォントサイズも思いつきにしては上出来だろう。私は自分を褒めつつ席を立った。あとは藤先生の確認をもらって帰るだけ。こんなことなら初日ですべて終わらせればよかった。そうすればこんな切羽詰まった思いもしなくて済んだのに。


 図書室を飛び出してふとスマホに目をやる。通知が来ていた。誰からだろう。校内でのスマホの使用は禁止されていたので、人目を憚りつつ画面を明るくした。


 澄桜から三件、杏香からは五件もメッセージがきている。


 なにかあったのか?


 私は胸騒ぎを覚えつつ、メッセージの欄を凝視した。


『今どこ? 帰った?』

『残ってるなら教室来て』

『ちょっとやばいかも』


 私はすぐに画面を切り、教室に向かった。なんだろう、やばいことって。


 文化祭の出し物で不具合が生じたとか?

 貸し出し用の備品が壊れたとか?


 また男子が遊んで何かやらかしたのだろうか。私はそれを注意して回る安城の姿を思い出す。彼女もよくやる。あんなのいたちごっこもいいところなのに。一生懸命なのもいいけど、あんなに怒ってちゃ身が持たない。


 年に一度しかない文化祭という行事に燃えあがるのは分からなくもないが、あそこまでキーキー言われれば男子たちだって反抗したくなるのも当然だ。だが勘違いしないでほしい。私は安城の味方だ。馬鹿みたいな遊びに身を投じている男子どもは、総じて頭も悪く怒鳴られて当然なのだから。


 私は自分の教室の開いた戸に手をかけて、床で段ボールに線を引いている男子に声をかけた。


「ねぇ、澄桜か杏香いる?」


 見渡した限り、教室内は作業が中止になっている様子は見受けられない。やばいことって、文化祭準備のことではなかったのかもしれない。尋ねながら私は教室内で二人の姿を探した。


 そこで、ふと奇妙な光景が目に入ってきた。


「あ、光島戻ってきた。おい、光島だぞ!」


 男子のクラスメイトは訊いた私にではなく奥にいた誰かに声をかける。そこにいたのは、仁王立ちした安城の姿だった。


「ちょっと、光島。きて」


 他の女子が聞いたら引いてしまうような強い語気だった。安城は私を誘い、女子トイレへと連れていった。


 数人の女子がすでに集まり、物憂げな顔で入口に立っている。何事だろうか。私は中に通され、鏡面の前で俯いている一人の女子の前に突き出される。


 そこではっとした。まさか。


「光島。あんた守屋さんに何したの?」


 泣きはらして目を赤くさせた守屋の側、肩をさする女の子たちが、私に敵意むき出しの目を向ける。私は喉の奥から声を絞り出す。


「何って、私はただ、実行委員の仕事を手伝ってもらおうと……」

「無理矢理やらせたってこと?」


 食い気味に放たれた言葉。私は怪訝な顔をしながら彼女たちの顔を見回す。安城たちが言わんとしていること。これは単なる詰問ではない。


「違う、無理矢理なんて。そんなんじゃない。手が空いた時に進めておいてくれれば……」

「光島さ。守屋さんが忙しいの知ってるでしょ?」


 私は喉の奥に言葉をぐっとしまった。そう、クラスで実行委員を決める時、話し合いの中で真っ先に名前が挙がったのは守屋だった。おとなしく反抗的でない態度は、面倒事を押し付けるのに最適だった。


 だが彼女は適任者ではなかったのだ。守屋の友達から彼女の多忙さが語られ、実行委員候補は見送られた。白羽の矢が刺さったのは、私だった。彼女が適していないのは既知の事実。今さらそれを知らないとは言い張れない。


 私は加熱していく頭を抑えて言う。


「でも無理矢理なんかじゃない。どうしてもって言われたら、諦めるつもりだったし」


 今まで下を向いていた守屋がその言葉に反応して顔を上げた。


「食い下がったじゃない! 私、無理だって言ったのに!」


 再び顔を下げる守屋。私を睨む複数の瞳。齟齬と矛盾。どちらを信じるかなんて、決まっているも同然だ。


 いやでも、最終的に彼女は承諾したし、内容をメモまでして……。


 私は浮かんでは消える言い訳の泡を洗い流す。


 ……そうか、もう何を言っても無駄なんだ。これは、言った言ってないの押し問答じゃない。守屋は私の言葉に傷付き、被害者としての看板を振りかざしてくるだろう。付き添っている彼女たちも、守屋を擁護することで、他人を利用しようとした私を蔑む免罪符を獲得できた。


 これは出来の悪い出来レースだ。私は心の中で歯噛みする。こんな時だけ甲斐甲斐しく守屋の友達面する彼女たちは、普段から私を目の敵にしている連中だ。こうなる日を待っていたんだ。私が加害者側に回る瞬間を。私を完膚なきまでに叩きのめすこの時を。


「守屋さんとだけ、話がしたい」


 私は普段の愛想を捨て去り、眼鏡をかけた機能不全の手伝い係を見つめる。こんなやつに話しかけたから、面倒なことになったんだ。初めから、一人でやれば良かった。


 囲う彼女たちが私の前に立ち塞がる。


「そう言ってまた酷い言いがかりつけるつもりなんでしょ!」

「光島さぁ、もう猫かぶるの止めなよ!」


 私は脱力した瞳で彼女たちを見つめる。寄せ集めても私に敵わない有象無象のくせに、言いたい放題だな。


「話ができないならここに呼んだ意味ないよね。安城さん」


 後ろで見ているだけだった彼女に私は声をかけた。一つ結びの髪を動かさず、安城は告げる。


「私は、あんたがどんな酷いことをしたか分かってもらうために……」

「じゃあもういいでしょ。用事が済んだなら帰る」


 私は安城と守屋、あとその取り巻きたちに言い放つ。


 さっさと出口に向かう私へ、安城が慌てたように呼び止めた。


「ちょ、ちょっと待ちなさい」

「あ?」


 黒板を爪で裂くような音でも聞こえたのか、その場にいた全員が身を震わせる。


 トイレの蛍光灯が仄暗く私たちを照らした。鏡に映り込んだ自分の顔を、私は見たくなかった。


 安城、知っていただろう? 中学で私がやったことは全部本当のことだ。こんなところで私に礫を投げても、あなたのところに前園が帰ってくることはない。


 換気扇を回すモーターの低い唸り声だけが、私たちの首の下を通り抜ける。


 私は泣き止んだ守屋の顔をもう一度だけ見る。震えたままの彼女は、床を見つめたままどこか遠い世界に行ってしまったみたいだ。舌打ちした私はトイレから出た。


 消火栓のランプの下、聞き耳を立てていたクラスのお調子者の男子が、私の顔を見て後ずさる。


 心臓が冷たい。それなのに体はどんどん熱を纏っていく。唖然とする彼の横を通りすぎ、苛立ちを腹の中に押し込めた。


 嫌いだ、こんな馬鹿ばっかりの学校。


 取り繕っていた顔の表皮は固くなり、黒ずんだ胸の内側に吐き気を催す。何もかもが興味をなくしたかのように色褪せていった。


 鞄を背負ったまま廊下を歩く。淡い月の明かりを背景に、窓枠の影が足元と繋がった。ひび割れた頭から、脳が溶けだしたかのように冷たい汗が伝う。呼吸と心音のリズムがずれて、私は見たこともない不気味な息を吐き出した。


 そのまま生徒指導室に赴いた私は、ノックを三度重ねて戸を開けた。部屋の奥を見ると、そこには山井先生が座っていた。私は驚くのも面倒で、先生に尋ねる。


「藤先生はいますか」


 山井先生は私の入室に特に気にした素振りも見せず、先日と変わらない笑顔で答えた。


「藤先生は急な用事で帰られました。光島さんが文化祭のアンケートを持ってくると伺っていますよ」


 私は開いていたタブレットを不躾に取り出して見せた。その動作はきっと、山井先生に悪い印象を与えただろう。長い前髪をかきあげると、先生はゆっくりと資料の確認を行い始める。その間中、私はずっと焦点の合わない瞳をさ迷わせ続けていた。出来映えが悪かろうが知ったことではない。さっさと終わらせてほしかった。


「光島さん」


 名前を呼ばれ、私は山井先生に目を上げる。


「これはお一人で作ったんですか?」

「そうですが」


 もうなんだって言うんだ。早く帰らせてくれ。


「そうですか。いやとてもすっきりしていて見やすくまとめられている。ご両親が手伝ったのかと」


 私は肩を抱いて曖昧に頷いた。何も嬉しくない。こんな雑用こなしたところで、一体何になるというのだ。私がしなければならないこと自体が間違っている。それを正す気力さえ、今の私には残っていなかった。


 ふと、気を揉むような視線が向けられる。山井先生が訝しむように眉根を寄せた。


「……光島さん、今日なにかありましたか?」


 思わず舌打ちが出そうになった自分の口を堅く結ぶ。癖になると後が怖い。慎まなければ。だが、この能天気な男が躊躇うことなく私の機嫌を損ねてくるのには納得がいかない。私より一回り以上長く生きているくせに、どうしてそんな無神経でいられるんだ。


 虫の居所が悪かった私は、山井先生に吐きつけるように言った。


「生理なんで、気にしないでください」


 彼の顔が強張る。生徒からこんなことをはっきりと言われることなんてないだろう。これまでも、そしてこれからも。


 ひったくるようにしてタブレットを回収した私は、鞄の中へ適当にしまい込み山井先生に背を向ける。


 礼もなしに出ていく私へ、先生は告げた。


「光島さん、何か力になれることがあったら遠慮くなく言ってくださいね」


 阿保らしい、と私は心の中で吐き捨てる。握りしめた拳にぎゅっと力を込めて、ここには二度と来ないと決心する。


 挨拶もせず私は生徒指導室から出た。


 外はすっかり暗闇が広がり、唯一の月明かりでさえも滲むような雲の中に覆われてしまっていた。

 

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