1話7
優先順位をつけて、ひとまず二冊だけ本を取った。
多分初級魔術か魔法入門と書いてあるほん、そして何より甘い私の蜜だ。
魔物の図鑑は今はいい。話によればゴブリンくらいが当面の目標だ。ゴブリンくらいなら俺でも知っている。殺し方くらいだが。
アーティファクトのものだろう本も次の機会にでも借りよう。指輪は自分でも調べることはできる。今晩日がくれた後にでも外で試せばいい。
何より優先されるのは魔法の基礎。
実技訓練を担当するというのであれば、訓練生に魔法の扱いってのを教えることもあるかもしれない。
こ難しいことはまだ必要ないだろうが、基礎くらいはわかってないと怪しまれる。
パン屋が生地のこね方を知らんわけがない。
「こいつらを借りたい」
俺は二冊の本をフィンチの机へと運んだ。
「何を借りるのかしら、あら。変なものを借りるのね」
もちろんフィンチは眉をひそめる。
そりゃあそうだ。ドラゴンをも撃退した冒険者が、魔法の入門について調べようとしているのだから。
魔物の図鑑やアーティファクトについてならまだ不審がられることはないだろう。
だが、まあ言葉の用意はできている。
「教えるためにはまずは基礎を振り返ろうってね」
「ふーん」
納得がいかないような表情で、フィンチは机に置いてある羊皮紙にすらすらと何か書いていった、
簡単に推測するなら、借りた人物と借りた本の名前か。
マミアも数と日数の制限があると言っていたはずだ。
恐らく当たっているはず。
「借りられる期限は二週間。それを超えると通知が届くわ。それでも返却がない場合は、アタシがあなたの部屋まで乗り込むわよ」
「おっと、じゃあベッドを綺麗にしておかないと」
「・・・あらあらぁ?」
彼女は不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
机に隠れていた全身が露わになる。華奢で小柄だが、スラリとした長い手足と妖艶な表情が彼女を大人の女性だと再確認させる。
まるで猫のようにゆっくりと近づいてきたのに、今度は俺を猫だと思ってるかのように俺の顎に指を添える。
しなやかな指に身を任せると、くいと顎を持ち上げられた。見下ろすと、まるで獲物を見つけた豹のような彼女の顔があった。
艶のある唇の間からは、小さく舌が妖しく顔を覗かせる。
「あなた、可愛い顔してるのに結構慣れてる?」
囁くような甘い声。
花とも果実とも違う、女特有の柔らかな香りが鼻をくすぐる。
この女は本気で俺を誘惑しているのか、それとも退屈の中に転がり込んできた珍しい玩具を弄んでいるだけなのか。
恐らく後者だ。
彼女のふるまいから察するに、書庫なんて頻繁に人がくるようなところじゃない。
そこへ現れた、噂だけは派手な男。
格好の暇つぶし相手。
「いや、顔が赤くなるのを抑えるのに必死だよ」
「嘘。全然ドキドキしてない」
強かな女だ。顎に触れた指先は、なぞるように下に滑り俺の胸へと落ちてくる。
司書が開くのは本だけじゃないようだ。俺の胸まで開いて心まで読みとろうとしてくる。
大人の余裕を見せるようなやり方から一変、方法を変えてきた。
少し切なそうな表情を見せる。
「アタシの方がドキドキしてるわ」
上目遣いがいじらしい。本当に食えない女だ。
年上の女が、年下の自分に向かい投げかける愛くるしさ。それは俺にとても効果的だ。
策士め。
俺を餌を目の前に我慢している犬かのように見ている。弱点をついたと余裕ぶいてるようだ。
だが、俺だって負けはしないさ。
「へえ、それは確かめたいな」
「どうやって確かめる?」
「ふ、分かっているくせに。いいのか?」
静かに彼女の目を見つめる。我慢できなくなったほうの負けだ。
ただ、こうやって俺が見つめた時は、負け知らずだぞ!
「最近来るのなんて一人くらいよ。大丈夫」
そう言って彼女の指が俺の手に蛇のように絡みつく。細く、柔らかな指だ。
だが獲物に嚙みついた蛇のように、力強く俺の手を締め付ける。
そして飲み込むように強い力で彼女に引きよされようとしたその瞬間!
「失礼します」
静かな書庫の扉が開き、少年の声が響いたのであった。
俺もフィンチも慌てて飛びのき、距離を取る。
これだけ素早く動いたのは久しぶりだ。
「あ、あははいらっしゃい。ちっ」
フィンチが爪を噛んでいる。
そのフィンチに向かい少年は進んでいった。
「借りていた本を返却しにきました」
重そうに一冊の本をフィンチの机へと持っていく。
フィンチはいそいそと机につき、またあの羊皮紙に何かを書き始める。
「Dクラス、レオンくんね。もう少しゆっくり読めばよかったのに」
「いえとても面白い内容ですぐに読んでしまいました」
Dクラス?
Dクラスと言ったか?つまりはこの少年が俺が墓の予約を取らなければならない訓練生か?
もとい、俺が見ることになる訓練生か。
おいおい。まあ最初から話を聞いてりゃ対して見込みのなさそうなガキばっかりなんだろうなとは思っていた。それでも素質はないがやる気はあるだとか、こんなところに来るんだから頭は足りなくてもガタイだけは良いみたいなやつだとか、多少はどうにかなりそうなやつらだと思っていた。
石多めの玉石混交どころか、こいつは砂利じゃねえか。
「こちらの方は?」
レオンと呼ばれたガキがフィンチに俺のことを聞いている。
少々萎縮したような表情は、余計に幼さを感じさせる。
歳は十三、四、五。まだ下の毛も生えそろってなさそうなガキだ。
艶のある金髪、字も読めるみてえだし、まるでいいところのお坊ちゃんだ。
こんなところに居るような見た目じゃねえ。
「Dクラスのハンドラーよ」
「えっ!?失礼しました!ぼ、僕はレオン・ギータです。お噂はかねがね・・・」
フィンチの紹介を聞いたレオンは慌てて姿勢を正し、胸に手を当て敬礼のポーズをとる。
少し緊張か萎縮か、言葉は震え視線は泳いでいる。
言葉遣いもこざかしいし、こいつが剣を振り回すところなんて想像しづらい。
ここには今日死ぬより一年後に死ぬことを選ぶようなガキが集まってくるんじゃなかったのか。
こんな育ちの良さそうなガキが来るようなところじゃないはずだ。
不思議に思ったがまあいい。邪魔もされたことだしもうここを後にしたい。
だが軽く挨拶くらいは交わしておくか。
「はじめまして、レオン・・・だったか。明日からよろしく頼むよ」
「は、はい!ハンドラーも本を借りられたのですね。どんな本を読まれるのですか」
おっと、こいつはあまり見られたくないんだ。
お前も見たくはないだろう、お前が教えを乞う冒険者が今から初級魔法の入門書を借りてるところなんて。
「いや、面白い本じゃない。俺は失礼するよ」
俺はそそくさと本を抱えて出て行ったのだった。
果たして、俺は自室へと帰ってくる。
すぐさま向かうのは机だ。バカみたいに重い本を机に乗せ、二冊のうち一つを開ける。
『初級魔法入門』
と、多分書かれている。
さて、と俺はミミズが這った後のような記号を解読する作業へと移ったのであった。




