魔法使いの塔
あっという間に日々は過ぎて新緑の眩しい季節になった。
乳離れした子猫たちは別々に遊ぶようになっていた。
城猫に選ばれた姉はマリルと名付けられた。
純白の毛皮はふわふわで、母猫にそっくりだった。
若いながらも優雅な落ち着きがあり、首もとのえり巻きのようなふさとあいまってすでに女王猫の風格が漂っていた。
兄はモリルと名付けられた。
モリルはしなやかで力強い立派な牡猫になるだろう。
やんちゃではあったが、無茶はしない性格だった。
末っ子はトリルと名付けられた。
トリルは産まれたときから少し体が小さかった。
赤ちゃん猫のころに姉兄猫に押しのけられて母猫のお乳を十分に飲めなかったせいか、いまでもほかの二匹よりも一回り小さかった。
三匹の中ではいちばん好奇心が強く、夢中になるとつい無茶をしてしまうところがあった。
モリルはすぐに狩人の素質を開花させて、三匹の中で最初にネズミを捕まえることに成功した。
小さめのネズミではあったが、産まれてまだ一ヶ月の子猫がひとりでネズミを捕まえるのは珍しい。
大人の猫からほめそやかされて鼻高々になったモリルは、ほうぼうにネズミの死骸を見せて歩いた。
ようやく家族のいる居間にたどり着き、クッションでくつろぐ母猫の前に鼻高々といったようすでネズミの死骸を置いた。
「すごいや、兄さん。これ、自分で捕まえたの?」
「ああ、そうとも」
トリルがネズミの死骸に前足を伸ばす。
母猫はすっと立ち上がり、トリルをさえぎるようにしてネズミをくわえて居間から運び出した。
「なにするのさ!」
文句をいうモリルを連れて廊下に出ると、母猫はさとすように言った。
「ネズミを領主さまのお部屋に持ち込んではなりません。
人間はネズミがきらいなのです。生きているのも死んでいるのも。
このネズミは私が捨ててきます」
「えーっ、せっかく捕まえたのに」
「初めての狩りの成功おめでとう、モリル。
でも、ネズミをお部屋に持ち込むのは絶対に禁止です。
わかりましたね?」
「・・・はーい」
モリルはしぶしぶうなずいた。
木々の緑は深くなり、はっきりと夏の気配を感じさせるようになった。
マリルは母猫が散歩の途中でいつもわざと無視するように通りすぎる扉があることに気づいていた。
その扉はどこかほかの場所と違った雰囲気がして、奥に何があるのか気になった。
マリルは今日はひとりでその扉に向かっていた。
曲がり角からそっと扉のある廊下の突き当りをのぞきこむ。
扉の前は窓がなく、昼でも薄暗かった。
しかし猫の目には十分な明るさだ。
誰もいないことを確認して扉に近づいてみると、頑丈なとびらの下に猫用の小さなドアがついていた。
マリルはまだ小さい前足で押してみた。
すると、猫用のドアは少し重かったがなめらかに押し開いた。
マリルはすばやく身をくねらせて中に入った。
扉の奥は螺旋階段になっていた。
階段は上と下に続いている。
下に続く階段は真っ暗だった。
上に続く階段には細長い窓があって、人間の目でもランプがいらないくらいには明るい。
階段はきれいに掃かれていたが、あまり使っていないらしく、少しほこりっぽかった。
白い子猫は上のほうに登ってみることにした。
小さな体を伸ばして一段一段登って行くと、途中に二つ扉があった。どちらの扉も、鍵がかかっていて入れなかった。
一つ目の扉は、中から古い本のようなほこりのような匂いがした。たぶん倉庫なのだろう。
二つ目の扉は、近づくとなんだかヒゲがチリチリする感じがする。気になったのでとびらをカリカリと引っ掻いてみたが、びくともしなかった。
しばらくそうして扉に爪を立てていると、階段の上から母猫がやってきた。
「そのへんにしておきなさい。
ここは領主さまが魔法を行う塔です。
この倉庫と、上の階にある領主さまの部屋には勝手に入ってはなりません。
ヒゲがチリチリしたでしょう?
あれは近くで魔法が働いているか、魔物がいることを教えてくれる合図です。
この塔の中にはたくさんの魔法の道具が置かれています。
勝手に入ってそれらを壊してはなりません。
これはおまえの身を守るためでもあるのですよ」
「はい、お母さま」
「おまえは次の城猫に選ばれたのだから、そのうち私といっしょに領主さまの魔法の部屋を訪れることもあるでしょう。それまでがまんなさい」
「わかりました。お母さま」
マリルはすなおに母猫のいいつけにしたがって、いっしょに階段を降りていった。
領主は善き魔法使いだった。
辺境の領地にあって、領主は魔法の力で領民を助け、領民も領主に応えて良く働いた。
痩せた土地には領主が魔法で作った肥料をまき、収穫に困らない田畑に変えた。
壊れた鍬や鎌は鍛冶屋が直したあとに領主が魔法で鍛え直し、いつまでも壊れず鋭さを失わない良い道具を領民に与えた。
領主の魔法の力の源は、みずみずしい薔薇のレリーフに縁取られた鏡だった。
この鏡は、映したものの性質をより良い形に変えるという魔法の鏡だった。
丸い石を鏡に写して魔法をかけると、それは完全な球の石になった。
濁りのある質の低い水晶を映すと無色透明の水晶に変わった。
魔法の鏡は複雑な道具にも石ころと同じように効果があった。
例えば、車軸が曲がったガタガタの荷馬車を映すと、車軸が真っ直ぐでよく走る荷馬車に変わる。
動きの悪い水車はなめらかに動き、秤はより正確に重さを示すようになる。
領主は発明家の才能を発揮して、魔法だけではない、すばらしい道具の数々を生み出し、その成果を領民と分かち合った。
領主の最高傑作は、町の広場に設けられた時計台である。
仕組みとしては中央の大都市にある時計台と同じ作りだったが、魔法の鏡の力で細部を仕上げることで、正確さにおいて当代随一の時計台になった。
領民は時計台の鐘の音で毎日の時間を知り、領主が配る正確な暦にしたがって、種まきや収穫を行った。
領主と領民はともに支えあい、小さいながらも豊かな王国を造り上げていた。
領主の持つ魔法の鏡は、敬意を込めて『善なる鏡』と呼ばれていた。
魔法の鏡のおかげですべてがうまく治まっている城塞の町で、領主の魔法使いにはひとつだけ気がかりなことがあった。
ふだん彼が使う魔法は自らの魔力を源としている。
たくさん使えば疲れるし、かけた魔法は時間とともに効果が弱まっていく。
しかし、善なる鏡を使って行う魔法は無制限だ。
一日にどれだけ魔法を使っても、魔法の鏡の力は衰えることがない。
また、魔法の効果も半永久的につづく。
魔法の鏡で鍛えた桶は、いつまでも水漏れせず頑丈で長くもった。
魔法使いは無尽蔵とも言える鏡の力の源を研究したが、とうとう突き止めることはできなかった。
「この魔法の鏡の力はどこから来るのだろうか」
こんなに強力な魔法が何の代価も支払わずに成立するはずがない。
力を使うたびにどこかに歪みがたまっているのではないか、というかすかな予感がのどに刺さった魚の小骨のように魔法使いの心の片すみでうずいた。




