幼年期
冬に別れを告げる嵐が過ぎて、草木が芽吹く春が訪れた。
暖かい雨が数日続いたあとの野原は、はじめに背の低い野草がほかの草木におおいつくされる前に急げとばかりに小さな花を咲かせ、冬眠から目覚めたばかりの蝶や蜂に新たな生命をつなぐ力を与える。
紫、淡青、黄色、オレンジ色、薄いピンクと、色とりどりの可憐な花がまだ土の色が見える野原にきれいな模様を描いていく。
産まれたばかりの子猫たちは、朝晩はまだ冷え込むことも多い季節に暖炉の前でぬくぬくと寝ていた。
やがて野原は背の高い菜の花にうめつくされ、一面の黄色に染まった。子猫たちはすくすくと育ってやんちゃな盛りとなっていた。
子猫たちは、互いのしっぽを追いかけたり耳を噛んでは怒った声を上げたりして、まるでひとかたまりの毛玉のようにころげまわったかと思うとぱっとほどけて駆け出すことをくりかえしていた。
子猫たちのあり余る元気に城のタペストリーがすべて台無しにされる前にと、子猫たちは城の中庭に出ることを許されるようになった。
城の庭にも黄色い菜の花が咲き乱れていた。背の高い菜の花は子猫たちの姿をすっかり隠してしまい、どこにいるのかさっぱりわからない。
白い蝶が一頭、ひらりひらりと菜の花を渡りながら花の蜜を吸っていた。
不意に菜の花が揺れて蝶が舞い上がる。
すぐあとから、菜の花の海をかきわけてこげ茶色の靴下をはいた子猫の前足がにゅうっと伸び出してきた。
続いてピンク色の湿った鼻の頭が、次にクリーム色のなめらかな顔が現れる。
サファイヤブルーの瞳は真っ直ぐに白い蝶を見据えていた。
子猫の爪が空中を引っ掻く。
子猫にしては素早く前足を動かしたが、ふわりとかわす蝶をつかまえることなく、再び菜の花の海に沈んでいった。
クリーム色の子猫は空中でじょうずに宙返りして着地する。
そのあいだずっと蝶から目を離さずにいて、足が地面に触れるとすぐに先ほどの蝶が向かった花へと足音を忍ばせて菜の花の林を進んでいった。
白い子猫は小さな甲虫にねらいをつけたようだ。
甲虫の背中には白い斑点があり、光が当たり具合で茶色く見えたり深緑色に見えたりする。
その虫は菜の花に頭をつっこんでいて、黄色っぽい毛の生えた後足をもごもごと動かし、もっともっとというように一心不乱に花の中心へともぐっていく。
白い子猫はコガネムシがしがみついている花との距離を慎重に測り、ゆっくり前足を地面から離して立ち上がった。
次の瞬間、一気に伸び上がって菜の花ごとコガネムシを両前足でつかむ。
再びしゃがみこんだ白い子猫の前足は、しっかりとコガネムシを押さえこんでいた。
コガネムシは子猫の足の下から必死に逃げ出そうともがいている。
白い子猫はくすぐったくなって思わず前足をどけた。自由になったコガネムシはもぞもぞと逃げていく。
白い子猫はじっとサファイヤブルーの瞳を向けてコガネムシの動きを観察し、遠くに逃げそうになると素早く掻きよせては転がし、掻きよせては転がすといった動作をくり返した。
灰色の子猫は落ち着きなくあっちを向いては地面を引っ掻き、こっちを向いては菜の花にジャンプしていた。
ただ、姉兄猫と違って小柄なせいかどんなにジャンプしても菜の花には届かない。無理にジャンプして尻もちをついては悲鳴をあげていた。
いやになった灰色の子猫は立ち上がって菜の花の茎に爪をかけ、むりやりに花を折ってにおいをかいだ。菜の花の中には蜂がもぐりこんでいて食事の真っ最中だった。
怒った蜂が子猫の鼻先で尻を突き出しぶんぶんと飛び回った。
あわてた灰色の子猫は蜂を追い払おうと前足をふり回したが、かえって蜂を怒らせただけだった。
灰色の子猫はたまらず菜の花の林の外で待つ母猫のもとに逃げていっだ。
太陽の下で元気いっぱいに母猫のまわりをとびはねる子猫の毛皮は、青色に輝いて見えた。
菜の花がぜんぶ散ってしまうころ、こんどは木々が白やうす緑色の花を咲かせる。
まだ若い葉は太陽の光に透けて心地よい木もれびを地面に映していた。
子猫たちは足腰がしっかりしてくるともっと遠くまで遊びに行くようになった。
よく磨かれた廊下の床は、つるつるとすべって子猫たちには人気がなかった。
子猫たちはできるだけ壁にそって歩いていく。
最初のころ、子猫たちに人気だったのは台所だった。
遠くから変わったにおいにひかれて歩いていくと、チンチン、カチャカチャとおなべのぶつかる音や、トトトン、トトトンと何かを叩く小気味良い音が響く部屋にたどり着いた。
好奇心に駆られた子猫たちが扉のない出入口からのぞきこむと、おおぜいの人間がいそがしそうに料理を作っていた。
かまどには赤々と火が熾っており、メラメラとおどるオレンジ色の炎のリボンが子猫たちのつぶらな瞳を惹きつけて離さない。
小さな明かり採り窓しかない台所は、昼間でもランプが灯されていた。
黄色い光が揺らめいて、高いところに吊るされたおなべや玉杓子の底に反射する。
ランプの灯りが洗って伏せられた青ガラスのびんをとおしてきらめくようすは、見ているだけでぼうっとしてくる。
毎日、床まできれいに水洗いしているおかげで、台所の空気ははいつも新鮮な湿り気をふくんでいる。
しっとりとした空気は、いろんな食材の香りを運んできて、子猫たちをうっとりとさせた。
もちろん、台所でのお楽しみは、音や光や香りだけではない。
城に住む多くの猫が料理のおこぼれをいただこうと甘い声で人間たちにすりよる。
この城の人たちはみんな猫好きだったが、厳格な料理長は調理の最中に猫が台所に入ることを禁止していた。
「はいはい、いまは調理中だから入ってはいけないよ。おやつの時間にまたおいで。
ほれほれ、しっしっ。こんな追っ払いかたは、私もいやなんだよ。
でも、いまは大事な領主さまのお食事を作っているところなんだ。
じゃましないでおくれ。
おや、きれいな子猫ちゃんだねぇ。しっぽに縞模様があるよ。
これはこれは、城猫さまの赤ちゃんたちじゃないか。
弱ったねぇ。城猫さまなれば、邪険にするわけにもいかないし」
エプロンを着けたふくよかな女性が困っていると、母猫が現れて子猫たちに言った。
「私たちにはたっぷり食事が用意されています。ここはほかの猫たちにゆずって、私たち城猫は近づかないようにするのですよ」
「はい、お母さま」
「ちぇっ」
「・・・」
口々に答える子供たちを連れて、母猫が歩み去る。
「助かりましたよ。城猫さま」
台所の女性はにこやかにお礼を言い、仕事に戻っていた。




