悪なる鏡
城猫の魔法の加護のおかげで、城の兵士たちは勢いを盛り返し、じょじょにだがゴブリンの軍勢を押し戻していた。
魔女は手勢が次々と倒されていらだっていた。
「この役立たずの、ぐずども!せっかく私が力を与えてやったというのに、こんな城の一つも攻め落とせないのかい」
あんまりがんがんと地面に打ちつけたせいで、杖は根もとからぽっきりと折れてしまった。
魔女は手元に残った杖の残骸を投げ捨てて、無言で右手を突き出しそばにひかえているゴブリンから代わりの杖を受け取った。
「ふんっ。どっちみちこのままじゃ手駒が足りなくなるね。新しい材料をそろえな。とびっきり活きが良いやつだよ!」
魔女が杖をふり回して命令を出すと、ゴブリンたちは首をすくめて杖を避け、あわてて魔物の材料を探しにいった。
「しかしいまいましいね。どうやら私の魔法に対抗するやつがいるようだ。ふーむ」
魔女はひとりごとをつぶやきながら周囲をねめつけている。
しばらくすると、ゴブリンが二人がかりで、子豚ほどもある大きなドブネズミをかついでやってきた。
ドブネズミは片目だった。
両手両足を棒にくくりつけられて身動きできなくされていたが、ときおり激しくもがいて逃れようとする。
一つだけ残った左目が赤く憎悪に燃えている。
「ぐもも、ぶふっ」
ゴブリンが魔女にもぐもぐと何やら報告する。
ゴブリンの声にふり返った魔女はにんまりと満面の笑みを浮かべた。
「でかしたよ。なんて立派なドブネズミだい。きっとこの城のぬしだね。こいつなら特大の魔物が生み出せるよ。さあ、おまえたち、ぼさっとしないで仲間の死体を集めな。ほれほれ。さっさと働かないか!」
ゴブリンどもが魔女の指示にしたがって倒れた仲間の死体を十体山積みにした。
魔女はそのてっぺんに大ドブネズミを置くと、いつの間にか手にした鉤爪状のナイフで大ドブネズミののどを掻き切った。
「さあ、目覚めるがいい、私の醜い眷属よ」
魔女はぶつぶつと呪文を唱えながらふしくれだった杖をふり回し、悪なる鏡を左手にかかげた。
悪なる鏡にうつったゴブリンと大ドブネズミの死体の山が、くさった下水のような暗緑色の霧におおわれる。
霧の中で何かがごりごりと形を変えるようにうごめき、いつの間にか霧がはっきりとした輪郭を取ると、ヘドロのような暗緑色の醜い巨人が姿を現した。トロールだ。ただでさえ醜い魔物だが、そのトロールは片目だった。
「グオォォォ!」
緑の巨人は天を仰ぐと真っ赤な片目を見開いて雄叫びをあげた。
お城のとびらというとびらがビリビリと揺れる。
「これはすばらしい。私の作品の中でも、群を抜く醜さだ。さあ、人間どもをけちらしておしまい」
魔女はこおどりして杖をふり回しながらわめいた。
トロールは手近にあった椎の木を引っこぬき、根っこや枝をばりばりとかじって巨大な棍棒を作った。
歯の間にはさまった木の皮を、汚れた爪で掻き取る。
ねばねばする唾をベッと吐くと、兵士たちに向かって大股に一歩ふみ出した。
「なんということだ。あの魔女の魔法は、私の魔法にそっくりではないか。もしやあの鏡は『善なる鏡』の同類か」
魔女がトロールを生みだすところを塔の上から見ていた領主が、厳しい表情でつぶやいた。
「しかし、どうやらあの鏡は物事を悪いほうにねじ曲げる性質があるようだ。もしかしたら『善なる鏡』の力であやつの魔法を打ち消せるかもしれん」
そう言うと領主は塔のてっぺんにしまっていた鏡を取り出し、トロールが暴れる中庭に急いだ。
トロールは兵士の列に突っ込むと、みさかいなしに棍棒をふり回した。
直撃を受けた兵士は何メートルも吹き飛ばされた。
棍棒がかすっただけでも兵士たちはきりきりまいして倒れ、あるいは肋骨や腕の骨を折られて身動きできなくなった。
「だめだわ、あんな化け物相手じゃ、いくらわたくしの魔法で守りを強化しても追いつかない」
マリルがあせって言った。
「俺の魔法で強化した武器も、まるで歯がたたない!」
悪戦苦闘する兵士を見ながらモリルが歯ぎしりする。
「人間たちを守らなきゃ。もっと近くに行きましょう」
「ああ」
あの魔物を倒すには、もっと魔法が必要だ。
マリルとモリルは直感的にそう理解して、危険を承知でトロールのもとへ向かった。
***
トリルは城を目指して必死で走った。
魔物の軍団が通ったあとは、高台から見るよりもひどいありさまだった。
土も水も、くさったヘドロのようなにおいがした。
草木は枯れて死にたえていた。
「急がなきゃ」
一心に城を目指すトリルの目に、城から上がるどす黒い煙が映る。
「間に合って。みんな、無事でいて」
トリルの心臓はばくばくと打っていまにも破裂しそうだったが、みんなの無事を願う気持ちがトリルの足取りを支えてひたすら走り続けた。
***
マリルとモリルは城壁を駆け下りると、トロールの目が見えない側に回り込んで身構えた。
ここなら小さな二匹の猫など戦場の混乱にまぎれて目にとまることもないだろう。
「よし、魔法で魔物の自由を奪うわよ」
「了解!」
マリルとモリルは再び足をふんばって体の奥底、しっぽの先から魔力を呼び起こし、トロールに向けて魔法を放とうと集中する。
魔女は、強力な魔法の気配に瞬時に反応した。
「そこかい。私の邪魔をする小賢しいやつめ。おや?ちっぽけな子猫じゃないか。こんなちびどもに引っ掻き回されるとは、私もなめられたものだねぇ」
魔女は、自分を邪魔するものの正体が二匹の猫であることに気づくと鼻で嘲笑った。
「私の兵隊のじゃまはさせないよ。これでもくらうがいい!」
魔女は悪なる鏡をかかげて、マリルとモリルに邪悪な光を向けた。
「ああっ」
「うぐっ」
マリルとモリルの全身から魔法の輝きが急速に失われて、姉弟はひざをついた。
「あーっはっはっ、いい気味だわ。ちっぽけな猫のくせに私のじゃまをしようとした罰だよ」
魔女は、力を奪われてもがく姉弟猫に、さらに悪なる鏡の禍々しい光を浴びせかけた。
「させないわ!」
そのとき、倒れたマリルとモリルの前に母猫が飛び出して、邪悪な光をさえぎった。
「ううっ」
母猫は身をていして子供たちをかばうと、そのままふんばって悪なる鏡の魔法を一身に浴びた。




