襲撃
霧は、災厄の先ぶれのように、目ぬき通りをゆっくりと広がっていった。
霧の長い舌が城門に届くころには、大通りは自分の指先も見えないほどの濃い霧に満たされていた。
霧は魔物たちの姿だけでなく、足音や荒い息づかいまでも包み込んで、町の住人から隠していた。
ただ、ときおり渦巻く霧の奥に、赤く濁った目がかいま見えた。
朝が早い農夫がひとり、鍬を肩にかけ、大きなかごを背負って、ねばつく目をこすりながら町の外を目指して歩いていた。
行く手には濃い霧が壁のように立ちふさがっていた。
「こんなに濃い霧が、町なかまでくるのは初めてだなぁ」
大きなひとりごとは、あたりに響くことなく霧に吸い込まれて消えていった。
いつの間にか濃い霧はひざの高さまで上がってきていて、農夫の泥がこびりついたブーツの先が見えなくなっていた。
「さて、困っただな。こんな天気じゃあ、野良仕事もままなんねぇし、転んで怪我してもばかみたいだ。しかたねぇ。霧が晴れるまで、ここらでようすをみんべ」
農夫は、石造りの館にはさまれた路地を少し入ったところで鍬を立てかけ、置いてあった樽に腰をかけて、背負ったかごを下ろした。
路地にはまだそれほど霧が侵入しておらず、誰もいない町に、ぽつんとひとりだけ取り残されたみたいな気分になる。
だんだん落ち着かない気分になって、また大きな声でひとりごとをつぶやいた。
「まったく、今日は厄日だなぁ。刈り取った麦の後始末なんざ、昨日のうちにやっておくんだった。そうすりゃこんな朝はゆっくり寝ていられたによぅ」
農夫は足元の小石をけり飛ばした。
小石は石の路面にカツンとはねて霧の中へと転がっていった。
こつん。
転がった小石が霧の中で何かに当たった気配がした。
音が聞こえたわけではなかった。
いや、路面ではねる音が聞こえなくなるのがやけに早かった気がした。
まるで毛布か毛皮のような、柔らかくてぶ厚い何かに当たって止まったような手ごたえだった。
農夫がごくりと唾を飲み込む。
いやな予感がした。
不意に霧が渦巻いて揺れ動き、目ぬき通りを満たしていた霧の中で、赤い二つの目がギラリと光った。
悲鳴を上げそうになる口を両手でふさいで息を呑む。
霧の中からつぶれた鼻面が現れて路地を見回した。
農夫は、とっさに積まれた樽の影に身をよせて隠れた。
カチカチと鳴りそうになる歯を食いしばってこらえる。
魔物は少しのあいだ、路地のようすをうかがっていたが、そのまま行ってしまった。
敏感になった農夫の耳は、その後もぞろぞろと続く魔物の足音を霧の向こうに聞き取っていた。
農夫は、次から次へと霧の中から湧いて出る魔物の幻影にたえ切れず、ついに悲鳴を上げて路地の奥へと走って逃げた。
どこをどう進んだかわからなかったが、無我夢中で走っているうちに、城門の前に出た。
城門は朝の見回りに備えて、すでに開かれていた。
農夫は大声で叫びながら、お城に逃げこんできた。
「た、たいへんだぁ。魔物の群れが、こっちにやってくるぞぉ!」
「なんだ?どうした?」
広場で隊列を整えていた警ら隊の兵士が農夫を呼び止めた。
「に、西門から、ま、魔物の群れが、真っ直ぐこっちに向かってきますだ」
「魔物だと?本当か?」
「ああ、おら、この目で見ただ。何十、何百といただよ。く、臭くて、おお、大きくて、あ、あ、赤い目がぎょろりとおらをにらんでただ」
「本当か?何かの見間違いじゃないのか?」
「この霧だ。おおかた、逃げ出した豚か何かだったんだろう」
別の兵士も、疑いの眼差しで言った。
霧は、すでに城門の前まで迫っていた。
しかし、どういうわけか城の中には入ってこないようだった。
「おらが、大事な豚と魔物を見間違えるわけねえだ。ああ、こうしちゃいらんねぇ。母ちゃんが心配だ。うちに戻らねぇと」
農夫は、あわあわとさわぎながらどこかへ去っていった。
「何だ?何があった?」
城門でのさわぎに気づいた警ら隊の隊長が、兵士に声をかけた。
「いや、農夫が魔物が現れたとさわぎまして。おおかた寝ぼけて、霧を何かに見間違えたのではないかと」
「市民の意見は貴重だぞ。そう頭ごなしに疑うものではない」
隊長は少し考えたあと、城門のほうを向いて破れ鐘のような大声で呼びかけた。
「物見台からは何か見えるか?」
「いえっ。大通りは霧におおわれていて、何も見えません」
城門の上の物見台から声が返る。
「ふむ。この霧ではしかたなしか。しかし、タイミングが良すぎるな。……よし」
隊長は隊列を作って待つ警ら隊に向き直って言った。
「警ら隊は、正面の霧の中を捜索せよ。万が一の場合の同士討ちを避けるために、密集隊形で進め」
「はっ」
警ら隊は命令を受けて、さっそく隊形を整える。
準備ができた警邏隊は、足並みをそろえて城門を出発した。
「警鐘を鳴らせ!残りの兵士も、戦闘準備を整えて整列!」
隊長の言葉にこたえて、カンカンと半鐘が鳴らされる。
隊長がやつぎばやに指示を飛ばしているうちに、ぞくぞくと兵舎から兵士たちが装備を身につけながら駆け出してくる。
早朝の城内は一気にあわただしい喧騒に包まれた。
警ら隊が出発して五分もしないうちに、伝令がかけこんできた。
「隊長、警ら隊から報告です。農夫の言うとおり、大通りを魔物が進軍中。真っ直ぐこの城を目指しています。現在正面広場の先で交戦中!」
「なに、本当か。いやな霧がでているからもしやと思ったが、いったい何が起きているのか……。
一番隊、警ら隊と合流して防衛線を引け。これ以上城に近づけるな!」
「はっ」
伝令が休むまもなく、再び城外へ駆け出していく。
そのあとを数十名の兵士が、新たに隊列を組んで走っていった。
「二番隊は城門前で防衛体勢を取れ。一匹たりとも城内に入れるなよ!」
「了解であります!」
太陽が登り、霧が少し晴れるころ、ゴブリンたちが城門前に殺到した。
兵士たちは懸命に戦ったが、ごわごわの毛皮は刃を通さず、槍で突いても、剣で斬りつけても、ゴブリンたちは倒れなかった。
ゴブリンは、ねじくれたこぶのある棍棒で、兵士を鎧の上から力任せにぶっ叩いた。
兵士たちは良く訓練されていたが、多勢に無勢で押されていった。
ゴブリンの汚れた鉤爪には毒があるのか、引っかかれた兵士は、しばらくすると脂汗を流してたおれた。
「隊長、持ちこたえられませんっ!」
前線からぞくぞくと入る悪い知らせに、隊長は苦渋の決断を告げた。
「いたしかたない、城門を閉じて、防御を固めろ!」
「はっ」
隊員のひとりが城門へと駆け出していく。
「外の部隊に伝令を出せ。城門が閉じたら、町なかに退却しろ。交戦は最小限に控え、けが人の救助と市民の安全確保を優先事項とする」
「はいっ」
別の隊員が反対の方向へ走っていく。
魔物が集まる正面の城門を避けて別の出入口から外へと向かった。
隊長の指示で、分厚く重い城門が閉じた。
直後に正面広場に張られた防衛線が破られて、城門にゴブリンが殺到した。
ゴブリンどもは、力任せに城門をがんがんと叩いた。
「この門は、領主さまの魔法の鏡で強化された特別製だ。いくら魔物といえども、簡単には破れまい」
隊長はふっと息を吐いた。
城門の外ではゴブリンが群がり、門を壊そうと手当たり次第に体当たりをかましていた。
城壁からは矢が射かけられていたが、ゴブリンの軍隊はうるさそうに払いのけるだけで、効果はなかった。
喧騒の向こうから、ゆっくりと魔女が近づいてきて杖をふり上げた。
「おまえたち、おどき。まったく、力任せしか知らない能無しなんだから」
魔女の指示にしたがって、ゴブリンどもが道を開ける。
城門の上の物見台から、何をするのだろうと見守る兵士の前で、魔女はローブの裾を払いのける。
魔女は、茨のレリーフに縁取られた鏡を取り出すと、頭上にかかげて城門に向けた。
目に見えない力がほとばしり、城門がきしみを上げる。
魔女はにやりと笑うと、身を引いてゴブリンたちに命じた。
「さあ、やっておしまい」
魔女の命令に、ゴブリンたちはいっせいに城門に体当たりをかけた。
一回、二回、三回と体当たりが続くうちに、とうとうぶ厚い樫の板が裂け、鋲がはじけ飛ぶ。
最後の一撃で、ついに城門が砕け散った。
ゴブリン一体分の裂け目から次々に魔物がなだれ込み、あっというまに城門の内側は魔物であふれかえった。
兵士たちは勇敢に魔物に立ち向かったが、普通の武器では魔物たちにダメージを与えることができず、少しずつ押し込まれていった。




