狩るものと狩られるもの
ようやく食べ物にありつけそうだと喜びながら、芋虫に顔を近づける。
トリルのヒゲが芋虫にふれた瞬間、芋虫の頭からにゅっと黄色のつのが飛び出し、あたり一面にとんでもなく臭いにおいがふりまかれた。
まぢかで異臭を放つ汁を浴びたトリルは、思わずぎゃっ、と叫んで地面に鼻をこすりつけた。
涙が止まらない。
草むらを転がるようにしてその場を離れたトリルは、ひとしきり涙を流したあと、ようやく目が開くようになった。
またしてもとんでもない目にあった。
お城育ちの若い猫には、自然は厳しすぎるようだ。
しかし、追われるままに逃げ回ったトリルは、とうに街道の場所もお城のある方向もわからなくなっていた。
おなかを空かせて、あてもなくとぼとぼと歩いていくうちに、低木の茂みが尽きて、草原にでた。
トリルは痛み始めた肉球を気にしないようにして丘の上に向かって歩き続けた。
しばらく行くと、草原に突き出た岩の脇に、お城のネズミより二、三倍ほど大きい、耳の長い動物が、体を起こしてじっとこちらを見ているのに気づいた。
顔立ちはどことなくネズミに似ているが、ふかふかの毛皮は柔らかそうで、ごわごわした毛のドブネズミとはぜんぜん違う。
後足が太くて、とても足が速そうだ。
ネズミもとれない自分には荷が重いとわかっていたが、しかし、獲物をとる努力をやめてしまったら待っているのは餓え死しかない。
トリルは身を低くして慎重に野うさぎに近づいていった。
野うさぎはじっとトリルを見つめて立っていたが、トリルが十分に近づく前に、くるりと身をひるがえして素早い動きで距離を取った。
しかし、そのまま逃げ去るのではなく、ようすを見るように立ち止まっては、またトリルを見つめている。
その間も、長い耳はぴんと立って、右に左に忙しく動いていた。
丘の稜線を越えて、獲物より高い位置に立ったトリルは、忍びよることをあきらめ、真っ直ぐ追いかけることにした。
野うさぎが動き出すぎりぎりの距離までゆっくり進むと、それっと獲物に向かって走りだし、丘の斜面を駆け下りる。
しかし、野うさぎは余裕でトリルの前を走っていく。
必死に走るトリルをからかうように、少し距離を開けては立ち止まる余裕を見せた。
ついにトリルがへろへろになって立ち止まると、野うさぎは、また離れた位置からじっとこちらを見つめていた。
「くそーっ」
あいつ、ぼくをからかっているんだろうか。
トリルはとてもくやしかったが、疲れて怒る気力も沸かなかった。
こちらを見つめていた野うさぎが、不意に上空を見上げて鼻をひくひくうごめかせる。
トリルには何の気配も感じ取れなかったが、野うさぎたちはいちもくさんに駆け出して、草原に隠された巣穴に逃げ込んだ。
トリルは、本気で逃げる野うさぎの飛ぶような速さに目を丸くした。
「やっぱりからかわれていたのか。でもなんで急に逃げ出したんだろう?」
そう思って、トリルも野うさぎの見上げた方向に目をやる。
すると上空にゆっくり旋回する大きな鳥の姿があった。
鳶だ。
逃げなきゃ。
しかし、野うさぎを追って走り回ったせいで疲れきった足は言うことを聞かず、トリルは急降下して向かってくる猛禽を、驚きの目で見つめることしかできなかった。
もうだめかも。
あきらめかけたトリルの目の前で、鳶が急に方向転換して上空に戻る。
鳶は再び上昇気流に乗って旋回すると、くやしがるようにぴーひょろろろ、と鳴いた。
一体どうして?
トリルは危機を逃れた幸運を喜びつつも、わけが分からず立ちつくしていた。
すると、背後からなにものかの影が差した。
あわててふり向いたトリルは、驚きのあまり尻もちをついた。
逆光の中に、大型の猛獣のシルエットが、おおいかぶさるように立っていた。
三角の耳は、先端が真っ直ぐな硬い毛の房で飾られている。
精悍な顔立ちは、口を開けなくてもその奥に長く鋭い牙を隠していることを感じさせる。
痩せた体は、斑模様に彩られた金色の毛皮におおわれており、太い前足は押さえつけた獲物を逃さない力を秘めているようだった。
トリルは猫科特有のギラリと光る瞳に射すくめられて、金縛りにあったかのようにその場に立ちすくんでいた。
「おい、そこのガキ」
山猫は、ごろごろと腹の底に響く低い声でトリルに話しかけた。
「は、はひっ!」
息をするのも忘れて固まっていたトリルは、ようやく金縛りが解けて、飛び上がるようにして返事した。
「さっきから俺様の縄張りを荒らしやがって、どうしてくれるんだ?
ようやく野うさぎどもが警戒を解いて出てきたってのに、せっかくのチャンスを引っ掻き回しやがって」
「はひっ、すみません。ぼく、外は初めてで・・・」
「ケッ、ガキってだけでも気に入らないのに、町の住人かよ。
おおかた、好奇心に駆られて外の世界が見たいとかなんとか、ふざけた理由で出てきたんだろうが、とっとと帰んな。ここらじゃ、おまえみたいなガキは、一晩とたたずに誰かの胃袋に収まっちまうんだぜ」
「ご、ごめなさぃーっ」
トリルは、いちもくさんに逃げ出した。
が、すぐに立ち止まると、丘の上でまだあたりを見回している山猫を振り返った。
トリルの視線に気づいた山猫が再びうなる。
「とっとと、行っちまえ。めざわりだって言ってんだ。それとも、この俺様の晩飯になりたいってのか?」
山猫は、鋭い視線でトリルをにらみつけた。




