目標
「人間の商人に連れられて、この街までやってきました。商人はまだ幼かった私と私の兄弟を牧場の主から買い取ると、町をひとつ過ぎるたびに一匹ずつ手放していきました。私は最後まで売れ残り、この街でとうとう捨てられてしまったというわけです。大人になった猫では買い手がつかないと言って」
「なるほどね。どうりであなたに似た種類の猫を見かけないはずね」
ドーラの声は臆病な猫をなだめるように優しかった。
「さて、ぼうや。これではっきりしたね」
「はい」
「海に行くには、人間の馬車に乗って行くしかなさそうだ。猫の足では到底たどり着けそうにないからね。それに、毛むくじゃらの彼の言うとおりだとすると、馬車に乗ったとしても子猫が大人になるくらいの時間がかかるということだよ」
ドーラはトリルの目を見て言った。
「それでも行くのかい?」
トリルは黙ってうなずいた。
猫たちの臨時集会が終わる頃には、あたりはすっかり日が暮れていた。
ドーラはトリルを城まで送ると言い、二人は肩を並べて歩いた。
灯りがともった街は、昼間とは別世界のようすを見せ、トリルを魅了した。
「本当に、海を探しに行くつもりかい?」
「うん」
「おまえはまだ若くてわからないかも知れないが、猫は家につくものなんだよ。それが猫の性ってものなんだ」
ドーラはどこか寂しげに話した。
「あたしもこの街で産まれてこの街で育った。何匹もの猫を見てきたが、どの猫もこの街はおろか自分の縄張りからほとんど出ようとしないものばかりだよ。旅をする猫なんて聞いたことがないわ」
トリルはドーラに、自分が海を探しに行くきっかけになった老船乗り猫のことを話した。
「・・・あたしがこの街でボスをやっているのはね、知らないことを知りたかったからなんだよ」
ドーラが独り言のように自分のことを語る。
「私も、若い頃はおまえみたいに小さい体で好奇心ではちきれそうな子猫だった。若いころはみんな、好奇心のとりこになるものさ。だけど、大人になるとだんだん行動範囲が狭くなる。自分の縄張りだけを守って、縄張りの中だけで生きるようになるんだ。
私はそれだけじゃ満足できなかったんだね。街を出る勇気はなかったけれど、好奇心を満たすために街中を歩き回って、他人の縄張りにも平気で入り込んで話を聞いて回ったね。
そうこうするうちにいつのまにか街の世話役みたいになって、そのうちあたしをリーダーに担ぎあげる連中が出てきて、気づいたらドーラ姐さんなんて呼ばれるようになっちまってた」
ドーラの言葉には、少し自分を卑下するような色合いが含まれていた。
「あたしは自分の興味本位だけで好きなことが出来る力を得たよ。さっきみたいにね。でも、おまえを見ていると、若いときにもっと無茶をしていればよかったかな、なんて思っちまった」
ドーラが苦い笑みを浮かべてこちらを見る。
「街の顔役として忠告するよ。何かに挑戦するなら、ちゃんと準備をしてから取り掛かることだよ。力が足りなければ何も手にはいらないからね」
「はい」
いつのまにか、城門の前にたどり着いていた。
「そして、好奇心旺盛だった子猫の成れの果てとして忠告しようかね」
ドーラが思いやりに満ちたハスキーな声で言った。
「何かに挑戦しようと思ったら、頭で考えているだけじゃあ、だめだ。飛び込んで切り拓く力は、若い時分だけの特別な力なんだ。待っているだけじゃ、どこにもたどり着けないよ」
「はい」
「それじゃあ、また会うこともあるだろうからね」
そう言って、ドーラはさようならを言わずにくるりと背を向けると、夜の街に消えていった。
「力になってくれてありがとう、ドーラさん」
トリルは、自分にだけ聞こえるくらいの声でお礼をいうと、衛士の立つ城門へと歩いて行った。
城門では一悶着があった。
城猫の一匹がいつの間にか城外に出ていたのだからしかたがないところだが、トリルはどうして人間たちが自分のことでそんなに大騒ぎするのかわからなかった。
遅い夕食をひとりで食べたあと、トリルはマリルに呼び出された。
トリルもどうやって海まで行く馬車に乗ればいいか相談したいと思っていたので、ちょうどよかったとマリルのもとへ急いだ。
マリルは姉弟の中でいちばん賢いし、城猫としていつも領主さまのそばにいるから、普通の猫が思いつかないことをいろいろ知っているに違いない。
マリルはいつもどおり、玉座の間の隣にある領主さまの執務室にいた。
「旅だなんてとんでもありません、トリル」
マリルは女王のような落ち着いた声でトリルをたしなめた。マリルの声は決して大きくはなかったが、トリルは思わず目をぎゅっと閉じて首をすくめた。
「わたくしたち城猫は、このお城を災いから守る使命があります。いまは何事もない平和な時期ですが、わたくしたちが必要とされるときがきっと来ます。そのときに国の外にいては、何の力にもなれないではないですか」
「でも城猫は姉さんだけじゃ・・・」
「それは、人間たちが理解しやすいようにと領主さまがそうおっしゃっているだけのこと。お母さまもわたくしも、城猫が三匹も同時に産まれたのには理由があると考えています。きっと、わたくしたちが力を合わせて立ち向かわなければならない災いがやってきます。私たち城猫はそのときに備える義務があるのです。」
マリルは前足をすっと伸ばして、立ち座りの姿勢を取ると宣言した。
「決して城の外に出てはなりません。いいですね、トリル」
トリルの耳には、大きな鉄のとびらが閉じてガチャンと閂がかかる音が聞こえた気がした。




