罠
トリルはまず、仲間の猫たちに街の様子を訪ねてみた。
しかし、驚いたことに城育ちの猫はあまり外の街には興味を持たないようで、詳しい話はさっぱり聞き出せなかった。
「街に出たいならそうしなよ。城門から歩いて出ればすぐそこなんだから」
かろうじて大人の猫の一匹がそう教えてくれた。
次の日の朝、トリルは街に出てみることにした。
誰も詳しいことを知らないなら自分で確かめてみるしかない。
トリルは朝食のあと、真っ直ぐに城内の広場を突っ切って城門を目指した。
意気揚々と頭を上げて城門をくぐる。
と、門扉を通り過ぎる直前で衛士の大きな手が優しくトリルをつかみあげた。
「おやおや、これは城猫のぼっちゃんじゃないか。ここから先は行ってはいけないよ」
「どうしてさ。人間は自由に出入りしているよ」
トリルは、にゃーと抗議の声を上げて衛士の腕から抜け出ようともがいた。
「こらこら、暴れないでおくれ。すまないがこれは規則なんだ。城猫のぼっちゃんを見過ごしてここを通したとあっては、私が領主さまに罰されてしまう」
「えっ、おじさんに迷惑がかかるの?」
そうと聞いては無理強いも出来ない。
トリルはしかたなく城内に戻った。
城門から出られないとなると、ほかにどこから行けばいいのかな。
トリルが外壁沿いをとぼとぼと歩いていると、建物の影から意地悪猫のスロウが半身を出してにやにやとこちらを見ていた。
「見ていたぜ。追い返されちまったな」
嫌なやつにつかまったな。
トリルはスロウを無視してそのまま通りすぎようとした。
「城の外に出るくらいのことも出来ないのか。やっぱりおまえは弱虫だな」
スロウはすれ違う瞬間に、くっくっと喉の奥であざけ笑った。
「なんだよ。きみだって、お城の外にはでたことないでしょう?」
つい、かっとなって相手をしてしまう。
こんな嫌味なやつのいうことにいちいち反応してはいけないのに。
「おれ?馬鹿言っちゃいけない。俺は好きなときに、いつでも街に行ってるぜ」
トリルは、スロウの誘いかけるような口調に思わず足を止めてしまった。そのままスロウを振り返る。
「教えてやろうか。街に出る、とっておきの抜け道を」
スロウはにやにやとずる賢そうな笑みを浮かべて言った。
トリルはスロウのあとについて裏庭の雑草の茂みに分け入った。
「こんなところに出口があるの?」
「とっておきって言ったろ。ついてきな、こっちだ」
いよいよお城の外に行ける。
わくわくと気持ちがはやって、スロウがこっそり漏らした含み笑いには気づかなかった。
「着いたぜ。ここなら人間にも他の猫にも見つからずに好きなときに街に出られるぜ」
それは、城壁の隅に空いたねずみ穴ほどの小さな抜け穴だった。ちょっと小さいが、小柄なトリルには十分な幅があった。
「きみって本当は親切だったんだね」
トリルは抜け穴に入る前に、スロウを振り返って言った。
スロウは相変わらずのにやにや笑いを浮かべている。
「ああ、そうとも。おれは誤解されやすいたちなんだ。世間知らずの坊っちゃんに、いろいろ教えてやるのが好きなのさ」
スロウのこと誤解していたかも。
彼のにやにや笑いは地顔なんだな。
そうだとしたら見かけだけで判断して悪いことをしたな。
次からはもっとお話をしよう。
「ありがとう。街から戻ったら、見聞きしたこと全部話すね」
「そうだな。無事戻れたら話を聞かせてくれ」
スロウはそう言って満面の笑みを浮かべると、トリルを抜け穴の奥へと送り込んだ。
狭い抜け穴を体をくねらせるようにして進む。
すぐに反対側の出口にたどり着いた。
出口の先は城壁の基礎部分がテーブル状に張り出したようになっていて、下から吹き上げる風が台の上を心地よく過ぎていく。
下から吹き上げる?
トリルが台の端から下を見ると、地上までは四メートルほどの高さがあった。
左右を見ても、下に降りる道は見当たらない。
「ねえ、スロウ。なんか変だよ。下に降りる道がない」
「ほう、そうかい。じゃあ、飛び降りればいいだろう。大人の猫なら誰でも出来るぜ」
妙にくぐもった声が穴の向こうから聞こえる。
一緒に、ゴリッ、ゴリッ、と重いものを引きずるような音がした。
「!」
トリルが慌てて穴を振り返ると、奥は真っ暗だった。
入り口はいつのまにか大きな石でふさがれていた。
「なにするんだ!」
「城から出たかったんだろう?遠慮するなよ。ただ、俺のとっておきの抜け穴は出口専用なんだ」
「スロウ、この卑怯者!」
スロウの嘲笑が響く。
「まったく、おめでたいやつだ。だまされているとも知らずにお礼を言うとはな。心苦しくて涙が出ちまったぜ。ぎゃははは」
なんてやつだ。
「そうそう、さっきの約束、忘れてないぜ?
無事に戻ってこられたら苦労話を聞かせてくれや。
ぎゃははは・・・」
スロウの笑い声が遠ざかっていく。
ちくしょう。あんなやつを一瞬でも信じたなんて。
しかし、いつまでも穴の中で文句を言っていてもしかたがない。それこそ、あの嫌なスロウを喜ばせるだけだ。トリルは後ずさりで抜け穴を出て張り出した台まで戻り、ここから降りるルートを検討することにした。
地上までの高さは約四メートルある。
春にこれくらいの高さで身動き取れなくなったことがあったが、あれから自分もいくぶん成長したはずだ。
ちゃんとした足場はないが、石垣のそこここに出っ張りが見える。あれを順番に伝って行けば、なんとか降りられるかもしれない。落ち着いて観察してみると、下は丈のある雑草に覆われていた。
途中で勢いをそぐことができれば、足を踏み外して落ちても大けがしないですみそうだ。
トリルは早くも自分を罠にはめたスロウのことを忘れて、新しい挑戦にわくわくし始めていた。
ここからあそこに見える足場までジャンプ。
そこからさらに右に向かって壁を駆け下りて、あの小さいでっぱりで勢いを殺しながら、左、右、左と行ければ降りられそうだ。
最初のジャンプが危険だけれど、そこさえ越えれば、あとはなんとかなる!
自分を鼓舞するために、心のなかで絶対できると断言する。
トリルは最初の足場までの距離を再度測り、覚悟を決めて前脚を踏み出した。
大きく体を伸ばして、目的の足場に前脚を伸ばす。ジャンプというよりも、飛び込むようにして抜け穴の出口の台を離れ、もうしわけ程度に飛び出した石垣の一部に着地した。
足場は本当に狭くて、トリルの小さな四肢がようやく収まる程度の面積しかなかった。
トリルは足場に、背中を丸めて立った。
あんまり長くここにとどまると、ふらついて脚を踏み外しそうだ。
トリルは素早く次の足場を確認し、思い切って石壁を走った。
垂直の壁を駆け降りる。
途中、ほんの少しのでっぱりを足場にして、ひらり、ひらりと進行方向を変え、何とかスピードを制御する。
トリルは最後の足場を蹴って一気に地面に突進すると、全身のばねを使って勢いを吸収し、何とか無様に転ぶことなく着地を決めた。
ふぅ。
溜めていた息を吐きながら降りてきた場所を見上げる。
上から見るよりも案外低いな。
トリルは成功した高揚感に浸りながらついいましがたの冒険を振り返りつつ、城をあとにした。




