第28話 奈義町
「……もう、眠くねえ」
緑鬼は、眠りに落ちた直後に目を覚ました。
睡眠の役割は、未だ解明されていない。
なぜ、体は睡眠を欲するのか。
睡眠は、体にどんな影響を与えるのか。
詳細はわからない。
ただ、わかっていることもある。
睡眠時間には、上限があるということだ。
慢性的な寝不足である日本人には馴染がないだろうが、睡眠をし続けると、寝られなくなるタイミングが来るのだ。
それは、体が睡眠という栄養を取り終えた証。
睡眠が満腹の状態。
こうなってしまえば、もう人間は眠ることができなくなる。
また睡眠を欲するまで、起きて活動をするしかなくなるのだ。
緑鬼もまた、睡眠の上限が来た。
現在の、成長上限だ。
言い換えれば、緑鬼のコンディションが絶好調にまで高まったということ。
斬られた緑鬼の体が、再生をしていく。
緑鬼の目は開いたまま、じっと奈義里を見下ろす。
もはや緑鬼の再生に、睡眠は必要ない。
「ぬうあっ!」
迫りくる巨大な拳を前に、奈義里は二本の刀を交差して作った壁で迎え撃つ。
拳が刀に触れた瞬間、強烈な衝撃が奈義里を襲う。
全身が後退し、しかし地に足を付いたまま奈義里は受けきった。
「……馬鹿な」
届かない。
緑鬼の力では、奈義里の体を潰すことが叶わない。
「そんなわけがあるか!」
がむしゃらにもう一発放つも、動かない。
完璧な状態の緑鬼の攻撃は、奈義里を動かせない。
「……認めよう。お前は強い」
だから緑鬼は、戦い方を変えた。
自身の眠気がなくなった時にのみ使える奥の手。
「俺の司る煩悩は、【惛沈】と【睡眠】。お前の身も心も、夢の世界に沈めて落とす」
睡魔が、一帯を襲った。
その攻撃範囲は、巨大モビルスーツの内部にも及ぶ。
「な、なんだこれは!?……瞼が……閉じ」
能力に飲まれた津山太優は、一瞬でその意識を手放した。
コックピットの操縦桿から手が離れ、巨大モビルスーツはその場に倒れた。
大きな衝撃は津山太優の目覚まし時計にもならなかったようで、巨大モビルスーツはそのまま沈黙した。
「ここはどこだ?」
津山太優の目の前には、夢の世界が広がっていた。
無限としか呼べない広大な白い床に、天井代わりの宇宙空間。
ぎらぎらと光る星々は、緑鬼が宇宙船から見てきた光景の再現。
光は、徐々に大きくなっていく。
否、星が流れ星となって、津山太優の方へと落ちていく。
「うおっ!?」
躱しても躱しても、星は落ちてくる。
そして、星は一向に空から無くならない。
夢の世界には、常識も物理法則もありはしない。
緑鬼の引きずり込んだ夢の世界において、津山太優ができることは本当の体が死ぬまで、一方的に痛めつけられるのみなのだ。
「……何故だ?」
沈黙しなかったのは、奈義里。
二本の刀を構えた姿勢を崩さず、視線を緑鬼から外さない。
「ナギ・モカ」
奈義町現代美術館。
通称『ナギ・モカ』。
奈義町に存在する、作品と建物とが半永久的に一体化した美術館である。
展示場は太陽、月、大地の三つから成り、奈義町の自然条件に基づいた固有の軸線を持っている。
即ち奈義町は、自然の全てを理解し、美術館という形で解釈に成功した地。
自身の軸によって、自然を操ることに成功した地。
睡眠とは、サイクルによって動く。
睡眠サイクルは昼夜、即ち月と太陽によって決定する。
故に奈義里は、月と太陽の動きを解釈し直した。
眠気を誘う緑鬼の能力に対して、月と太陽の出ている時間の比率を理解し、太陽の方が大幅に長いと解釈し、自身に眠気が起きる時間の長さを誤認させた。
睡眠という能力の持続時間を、大幅に短縮させた。
「俺に、睡眠は聞かない」
ナギ・モカの能力は津山太優にも及び、津山太優は再び目を覚ます。
「んが?」
コックピットに倒れ込んでいる自分の現状に首を傾げた後、倒れ込むに至った過程を思い出し、操縦桿を握る。
巨大モビルスーツを立ち上がらせ、奈義里と共に緑鬼を囲むように、緑鬼の背後へ立ちふさがる。
「俺は、驚いている」
緑鬼は、はっきりと、静かに言った。
「人間が、ここまで強いとは思わなかった。温羅様が封じられたのを聞いたとき、温羅様が遊び過ぎだと嗤ったが、褒めるべきはお前たちの力だったのかもしれん」
緑鬼の言葉に含まれていたのは、敬意であった。
戦いを面倒くさがっていた緑鬼も今では、そんな感情を捨て去りたいほどに戦いを楽しんでいた。
強者と強者の接触は、双方に興奮を引き起こす。
「名を、聞いておこう」
「岡山県奈義町町長。奈義里!」
「そうか、奈義里。俺は緑鬼。【惛沈】と【睡眠】を司る鬼、緑鬼だ!」
緑鬼は、そう言い放ち、自身の指先を自身の額へ突き刺した。
「何の真似だ?」
「能力の発動さ。俺は、二つの能力を持つ鬼。今、お前が破ってみせたのは、【睡眠】。そして、これから見せるのが【惛沈】。俺が目覚めれば俺の勝ち、目覚めなければ……お前の勝ちだ!」
緑鬼の額からは血が流れ、緑鬼の眼球が瞼の奥へと消えていく。
惛沈とは、サンスクリット語のスティヤーナに由来する。
仏教で解く煩悩の一つであり、心の沈黙を指す。
緑鬼の心は沈黙し、生物としての感情を失った。
「指令了解。皆殺し」
代わりに、ただの殺戮マシーンとして起動した。
痛みも疲労も、そして自身の生存願望という煩悩も捨て去って、ただただ目的遂行に向って体を動かす。
緑鬼は、勝利のために自我を捨てた。
乱暴に振り回した腕は、二本の刀を持つ奈義里の全身を吹き飛ばした。
緑鬼の、限界を超えた一撃。
緑鬼の指の骨は折れ、腕の筋繊維は千切れたが、当然緑鬼に痛みはない。
体が自動的に再生し、再び腕を動かす準備を始める。
着地した奈義里は、津山太優の方を向く。
「こっちへ来てくれ! 二人で一気に抑え込むぞ!」
「了解だ!」




