第20話 鏡野町
「ははっ。相変わらず、スゲェ変身だ」
「お前が言うか、真庭空蔵」
黒鬼を踏みつける鏡野水原を、真庭空蔵と新見王民は野球観戦でもするように見守っていた。
真庭空蔵と鏡野水原。
どちらも、その姿形を変化させる能力持つ。
違いを上げるならば、真庭空蔵は岡山県真庭市の市民だけが持つ遺伝子の記憶、超マニワ人を呼び覚ます能力。
云わば、選ばれし者だけができる覚醒だ。
対して、鏡野水原はローヤルゼリーという自然と人間の協力で作り上げた製品によって、過去の自分を揺り起こす能力。
全ての人間ができる純粋な若返りだ。
曲がっていたはずの腰をピンと伸ばし、鏡野水原は嗜虐心のままにヒールをぐりぐりと回す。
ヒールは黒鬼の体にねじり込まれ、黒鬼の顔が痛みで歪む。
黒鬼は鏡野水原を睨みつけ、力任せに体を起こす。
鏡野水原は黒鬼の起きる体に逆らうことなく、むしろ起き上がる力を利用して後方へ跳ぶ。
くるりと回転して着地する鏡野水原に、黒鬼は即座に飛び掛かる。
「うがあぁうっ!」
黒鬼の攻撃が、雑な大降りへと変わる。
命中率が下がる代わりに、威力は先程よりも上がっている。
「あらぁ~? 余裕がなくなってきちゃったのかしらぁ~?」
黒鬼の表面の皮膚は、真庭空蔵によって剥がされた。
齢四十にまで若返った鏡野水原の蹴りは、確実に黒鬼の痛覚を刺激していた。
「おお! うがあっ!」
「そんな雑な攻撃ぃ~、当たらないわよぉ~」
鏡野水原は黒鬼の攻撃をひらりひらりとかわし、鋭い蹴りを黒鬼の腹部に突き刺す。
「ぐぶぅ……」
黒鬼は腹部を押さえ、二歩後退する。
「うぅ~ん、まだ足りないかぁ~」
優勢は、鏡野水原。
しかし、黒鬼の反応を見て致命傷を摂ることはできないと判断した鏡野水原は、懐から『姫とうがらし』を取り出して口にした。
姫とうがらし。
鏡野町奥津地域にて栽培されている、日本古来のとうがらしである。
遅効性かつ独特の辛みが特徴的で、藁綯いにより魔除け効果も信じられている。
さらに、姫とうがらしを使用した辛味噌ラーメンは通称『辛美人ラーメン』と呼ばれ、辛みが内面からも外見からも美人の本質を引き起こす。
健康を引き起こす。
「あはぁ~」
鏡野水原の額は汗がにじみ、汗が地面へ落ちると同時に鏡野水原の老化も落ちる。
齢二十にまで若返った鏡野水原の脚が、黒鬼の両手ごと腹部を貫いた。
「げ……あ……」
ボタリボタリと、黒い血が流れ落ちる。
洞窟の泥水と混じり、水の色を黒く染める。
「あり得ねえ……」
否、流れ落ちるのは血液だけではない。
黒鬼の目からは、同じく真っ黒な涙が零れ落ちる。
「んん~?」
泣く子を前に、鏡野水原はうっかり動きを止めた。
鏡野水原自身が持つ母性本能か、はたまた弱い者いじめへの抵抗感か。
「鏡野水原!」
が、新見王民の一声で、鏡野水原は目の前の存在が世界に仇なす邪悪であるとすぐに思い出した。
コンマの時間で覚悟を決め、再び槍の様な足を延ばす。
さて、黒鬼の涙の意味は。
この場において、黒鬼にしか理解できない涙の意味は。
疑い。
それだけであった。
全てを疑い続けてきた生だった。
しかし、疑うべきことは次から次へと黒鬼にのしかかってきた。
地球への遠征に参加する理由も、その一つ。
結局、黒鬼が同行する理由の納得などできなかった。
疑えば疑うほど、、黒鬼の疑う対象は増えていった。
平和に生きようとすればするほど、黒鬼の疑いは増えていった。
そして今、黒鬼は死に一歩近づいている自分が信じられなかった。
不可解で。
不可解で。
許せなかった。
「土下座せよ!」
新見王民が、鏡野水原の支援のために叫ぶ。
黒鬼の体が土下座に移行を始め、頭を垂れ始める。
丁度、鏡野水原の蹴りが、黒鬼の脳天に突き刺さるようなタイミング。
鏡野水原の蹴りが刺されば、止めが指せるだろうタイミング。
「ありえねえんだよおおおおおおお!!」
黒鬼は、叫んだ。
鬼は、罪より生まれる。
生物が罪を犯せば、神が逆さ吊りされた聖杯に一滴水を落とす。
聖杯は最後の防波堤。
一滴ずつ増えていく水は、ある一点をもって決壊し、聖杯から流れ落ちる。
無色透明だった水は、流れ落ちる瞬間に変色し、変色した水が世界にぶつかった瞬間鬼が生まれる。
黒鬼を生んだ罪は、【疑惑】。
「おおおおおおおおおお!!」
黒鬼の叫び声が耳に入る度、鏡野水原は自身の攻撃に言いようのない疑いを感じた。
この蹴りは、果たして黒鬼に当たるのか。
この角度、この威力、この手段は、果たして適切なのだろうか。
疑いの末、鏡野水原は蹴りの軌道を変えた。
黒鬼から、逸れる方向へと。
「オメェ、何を!?」
真庭空蔵の叫び声が届いたときには、黒鬼は自分に当たることのない鏡野水原の足首をやすやすと掴んだ。
「わ、私は何をぉ~!?」
黒鬼が手を振り上げると同時に、鏡野水原の体が天井へぶつかる。
この後の未来は、言うまでもない。
鏡野水原の体が、地面へと叩きつけられるだけだ。
およし、数秒後に。
「その手を止めよ!」
叫ぶと同時に、新見王民はゴム製容器を取り出した。
ゴム製容器の中には、球場の物体が四つ入っており、一直線上に並んでいる。
そして、容器の片側は、輪ゴムによって口が閉められていた。
新見王民がゴム製の容器を握りしめると、中に入っていた球が前へと押し出され、口を閉めていた輪ゴム部分に押し込まれる。
輪ゴム部分は球状に広がっていき、最後には輪ゴムをはじき飛ばした。
同時に、一つの球は黒鬼の方へと吹き飛んだ。
さながら、大砲のように。
そして、黒鬼にぶつかった瞬間、大爆発を起こした。
「ぬうぉお!?」
黒鬼は、爆炎と爆風の勢いに押され、数歩後ろへ下がった。
黒鬼の力が弱った隙に、鏡野水原は黒鬼の手から脚を引っこ抜き、黒鬼の元から急いで離れる。
「ぎゃー!? オメェ、洞窟の中で何てことすんだ!?」
真庭空蔵が驚いたように新見王民を見るも、新見王民の視線は黒鬼にしか向いていなかった。
「選手交代だ。偉大なる新見市長が、貴様に引導を渡してやろう」




