第19話 鏡野市
現れた二人の人間は、人外たる黒鬼を前にしてなお、劣らぬ異質さを醸し出していた。
一人は男性。
逆立たせた黄金色の髪が、重力を一笑に付すほど天に伸びて、針のように尖っている。
高貴の象徴である紫色のスーツで全身を構築しており、自身が何者よりも高貴であることを周囲に示しているようである。
一人は女性。
青いボブカットからアホ毛が一本飛び出しており、どことなくあどけなさを感じさせる。
しかし、全身には無数のしわが刻まれており、御年八十の年齢が隠しきれていない。
女性の着ている水色の色留袖は、女性の腰を起点に九十度に曲がっているが、女性の所作の美しさによって余分なしわが一切現れない。
二人を見た真庭空蔵は、安心した表情を浮かべ、全身の力を抜いた。
未だ黒鬼が目の前に存在する以上、力を抜くことは愚行であるが、それほど真庭空蔵が二人を信用している証拠でもあった。
「ようやく来たか。オメェらが来てくれたんなら、百人力だぁ」
真庭空蔵は、にっと微笑んだ。
「偉大なる新見市長を前に、その態度はなんだ?」
が、気の緩んだ真庭空蔵に、男性は拳骨を落とした。
「いっでぇ!? オラ、怪我人だぞ!?」
「怪我がどうした? そんなことで、偉大なる新見市長の行動を妨げることなどできん」
「ちょっとぉ~。何やってんのよぉ~?」
喧嘩を始めそうな二人の間に、女性が仲介に入る。
まるで孫でもあやす様に、よしよしと二人を止める。
「こいつらも待ち構えていたのか? 俺を嵌めたのか?」
まるで黒鬼が目の前にいないとも思われる三人の振る舞いを見て、黒鬼は不快を感じた。
この状況は、人間たちの想定通りなのか。
はたまた、結果論なのか。
疑いの答えを得るためには真庭空蔵を含む三人を殺すしかないと、黒鬼は一歩踏み出した。
ズシン、という巨大な音が備中鐘乳穴の中に響く。
「五月蠅い」
男性は、黒鬼をギラリと睨みつけて口を開く。
「土下座せよ」
足音よりも大きく、男性――新見王民の声が響く。
当然、黒鬼が人間ごときの命令に従ういわれはない。
黒鬼は、突然の命令を完全に無視し、しかしその場に土下座した。
突然、目の前に広がる地面に、黒鬼は訳が分からないと言った表情を浮かべる。
バッと顔を上げた土下座の体勢で、黒鬼は新見王民を見上げた。
「良い様だな。鬼畜生にはぴったりの体勢だ」
新見王民はそう言い放ち、すぐに黒鬼から真庭空蔵の方へと興味を移す。
真庭空蔵を持ち上げ、負荷のかからぬ体勢へと体を動かしてやる。
「偉大なる新見市長は、真庭空蔵の回復にあたる。お前は、鬼を抑えておけ」
「はあぁ~。口の利き方を知らない子ねぇ~。わかったわよぉ~。じゃあ、これ飲ませてあげてぇ~」
新見王民からの命令に、女性――鏡野水原は、相変わらず孫からの生意気な口をたしなめるような話し方で応答する。
その表情は終始穏やかなままだ。
新見王民は、鏡野水原から小瓶を受け取り、真庭空蔵へ飲ませていく。
再び、ズシンと再び黒鬼の足音が響く。
土下座の体勢から立ち上がった黒鬼が、不快感をあらわに睨みつける。
「……何をした?」
黒鬼は、全てを疑う。
それ故、相手の手の内を知りたがる。
あまりにも想定外のことばかりが起きた今、黒鬼の感情が怒りにぶれ、同時に感情を忘れさせるほどに知識を求めていた。
「教えると思うぅ~?」
「……なら、いい。お前が死ねば、疑う理由もなくなる」
黒鬼が駆け出すと同時に、鏡野水原も歩いた。
「せっかちねぇ~。自己紹介をする余裕とかないのぉ~?」
走り続ける黒鬼を前に、鏡野水原は歩きながら自分の左手を胸に当てた。
「私は鏡野水原ん~。鏡野町の町長よぉ~。よろしくぅ~」
鏡野町。
岡山県の北中部に位置する町である。
人口は一二四六八人。
温泉、滝、紅葉と、あらゆる自然を詰め込んだ里山であり、柔らかな空気で満たされる健康の町である。
鏡野水原の自己紹介など聞くはずもなく、黒鬼は拳を振り下ろす。
「貴方はぁ~……名乗る気はなさそうよねぇ~」
鏡野水原は右手で腰に差していた剣を引っこ抜き、黒鬼の拳を迎え撃つ。
黒鬼の拳と鏡野水原の剣が衝突し、金属音とは異なる音が響き渡る。
「今の一撃で折れてしまえばいいものを」
「それはぁ~、無理かなぁ~。うちのガラスはぁ~、頑丈だからぁ~」
「ぬうん!」
黒鬼は、先程とは逆の手で、拳を作って振り下ろす。
鏡野水原は、右手に持っていた剣を指揮棒のように滑らかに動かし、再び拳を防ぐ。
「あらぁ~、これは困ったわねぇ~」
鏡野水原の持つガラスの剣は、今の黒鬼の拳では砕けぬ程度に硬い。
しかし、哀しいかな、ガラスの剣を持つ鏡野水原の今の握力は何度も黒鬼の拳を受け続けられるほど強くはなかった。
「ああ! さっさと! 潰れろ!」
ギイン、ギインと衝突音が響く。
一撃ごとに、衝突時にガラスの剣が押し戻される距離が増えていく。
「おおおおおお!」
「そろそろぉ~。限界ねぇ~」
「潰れろおおおおお!!」
無数に浴び去られる拳の中、鏡野水原は曲がった体をさらに曲げ、体勢を低くとる。
拳一発分が空を切り、黒鬼は次に拳をぶつける場所を確認するため、視線をさらに下に落とす。
視線の動きより速く。
黒鬼の動きより速く。
鏡野水原は動いた。
すでに加速した鏡野水原の姿を視界にとらえることはできず、腹部にガラスの剣の切っ先を受けた。
「ぐ……」
指で腹部を思いっきり押された程度の痛みが、黒鬼を襲う。
効果は黒鬼のストレスを刺激する程度。
黒鬼が地面ごと、鏡野水原を蹴り飛ばす。
「うぅ~……」
鏡野水原は空中でくるりと回転し、華麗な着地を決める。
全身を走る痛みも、来ると分かっていれば耐えられる。
そして、鏡野水原は即座に小瓶を取り出し、中に入った液体を飲み干した。
その小瓶は、真庭空蔵へ与えた物と同じ物。
その正体は、『山田養蜂場』のローヤルゼリーである。
岡山県鏡野市は、日本三大レンゲ産地の一つ。
レンゲの集まるところにはミツバチが集まり、ミツバチの集まるところには養蜂が栄える。
山田養蜂場は、実に六十年もの間を養蜂に携わった巨大企業である。
また、ミツバチの人間の関係は一万年以上に及び、ミツバチとは即ち古代から続く人間の隣人である。
そして、ミツバチが生成する神秘の物質の一つが、ローヤルゼリーである。
その効果は、ローマ法王ピウス十二世が健康管理に使うほど権力者に好まれ、山田養蜂場もまた多くの人々の健康を守るためにと大量生産を習得するに至った。
ミツバチと人間。
岡山県はいち早く、そのマリアージュへと辿り着いた。
即ち、養蜂大国、岡山。
「ふぅ~。美味しかったわぁ~」
ローヤルゼリーを飲み干し、捨てられた小瓶が岩に当たって音を立てた時、鏡野水原の蹴りが黒鬼の顔面にめり込んだ。
「うぐぉ!?」
ひっくり返った黒鬼のどてっぱらを、鏡野水原はガラスのヒールシューズで容赦なく踏みつけた。
傷も痛みも、老化さえも消し去った鏡野水原は。
「だてに、健康の町を名乗っちゃいないわよぉ~」
齢四十の鏡野水原は、妖艶な笑みで見下ろした。
人口は、令和五年一月一日時点の住民基本台帳人口に基づきます。




