第18話 真庭市
「……ヤベェな」
備中鐘乳穴の地面に転がる黒鬼を見て、真庭空蔵は呟いた。
攻勢にあるのは、間違いなく真庭空蔵だ。
しかし、優勢にあるのは、黒鬼だ。
真庭空蔵は、それを正確に理解していた。
何度も黒鬼に攻撃を加えはしたが、真庭空蔵の一撃がただの一度も、黒鬼の芯に入っていないことに気づいていた。
黒鬼の体は、硬すぎた。
「俺が倒れてる? そんな訳があるかよ」
黒鬼が、のっそりと起き上がる。
声のトーンは変わらない。
体の動きは変わらない。
まるで戦闘などなかったかのように、黒鬼は起き上がる。
「ああ、悪い夢だ。さっさと目を覚ますか」
鬼の世界では、強い物が絶対的な正義。
そして、自身が強いことを証明するため、挨拶するように殺し合いをする。
黒鬼は、それが不満だった。
自分の方が強いことは自明なのに、なぜか勝つ気で挑んでく鬼たちの存在が不満だった。
何百回と襲われ、そして黒鬼は生き延びた。
何百何千の攻撃は、黒鬼の皮膚を固くした。
硬い皮膚は、殴ってきた拳を逆にへし折った。
硬い皮膚は、引っ搔いてきた爪を逆にへし折った。
硬い皮膚は、振り降ろされた棍棒を逆にへし折った。
黒鬼は、挑んできた鬼がぼろぼろになって、決してだまし討ちを狙っているわけではないと信じてようやく、止めの一撃で叩き殺した。
ポタリポタリと、真庭空蔵の両手から血が流れ落ちる。
「俺に、挑んでくるな」
黒鬼は、失敗を取り戻すように地面を蹴り、再び真庭空蔵へと殴りかかった。
「速い……!」
真庭空蔵は、黒鬼の攻撃を横に回避しようとする。
が、踏み込んだ足から、突如力が抜けた。
たった数発、黒鬼を殴ったことで逆に蓄積されたダメージが、脱力という形で体に跳ね返ってきた。
「こんな時に!?」
黒鬼の拳が、真庭空蔵の腹部にめり込む。
真庭空蔵の体は備中鐘乳穴の壁にぶつかり、メシリと音を立てて備中鐘乳穴の壁にひびを入れた。
黒鬼のたった一撃が、千二百年の歴史を損傷させた。
「ヤ、ヤベェ……!」
黒鬼の二発目の拳がぶつかる瞬間、真庭空蔵は瞬間移動で姿を消した。
黒鬼の拳は備中鐘乳穴の壁にぶつかり、先程よりも大きなひびを入れた。
「消えた? 瞬間移動でもできるのか? それとも幻覚か? それとも……」
黒鬼はあらゆる手を疑いながら、消えた真庭空蔵を探す。
「はぁ……はぁ……」
が、すぐに見つけることができた。
痛みを耐えるための必死の呼吸音が、黒鬼にとって良い目印になってしまった。
「ははっ! オメェ、強ぇなぁ!」
真庭空蔵は、黒鬼と目が合った瞬間、笑った。
黒鬼は、そんなことなど気にも留めず、三発目の拳をぶつけようと足に力を入れる。
が、なおも笑う真庭空蔵を視界に捉え、動きを止めた。
死を前になぜ笑うのか。
そんな疑問が浮かび、罠かと疑い、真庭空蔵の重賞は現実のものであると確信をした。
一瞬の思考。
その一瞬は、真庭空蔵が瓶一本の牛乳を飲み干すのに十分な時間だった。
「んん?」
牛乳瓶が、岩場にぶつかる音がした。
備中鐘乳穴の中に、黄金の光が満ちる。
その発光の中心にいる真庭空蔵の髪は金色に染まり、逆立っていた。
全身が黄金に輝き、筋肉質な体はさらに盛り上がり、力が満ち溢れているようだった。
「なあ、オラもここから全力で行くぞォ!」
瞬間移動で、真庭空蔵の体が消える。
消えた瞬間、真庭空蔵の拳が黒鬼の顔面を捉える。
「ぶおあぁ!?」
黒鬼の顔がべこりとへこみ、吹き飛ばされて壁へとはりつけられた。
真庭空蔵は再び瞬間移動し、黒鬼から少し離れた位置に立った。
「まー!」
真庭空蔵は、両手を前方に突き出し、両掌をふわりと合わせた。
「にー!」
真庭空蔵は、突き出していた両手を下げ、腰の右側へと移動させた。
「わー!」
真庭空蔵は、両手にエネルギーを溜め、真庭空蔵の両手が黄金に輝く。
「しー!」
黒鬼は、壁にはりつけられながら、真庭空蔵の増大する力を見ていた。
両手足を動かそうにも、まるで壁が黒鬼をがっちりと捕まえているのではと思うほどに動かない。
「波あああああああああああああああ!!」
真庭空蔵は、両手を再び前方に突き出し、合わせていた両掌を開く。
開いた掌からは黄金色のエネルギーが放たれる。
「なんだ……? これは……?」
その光線は、膨大なエネルギーの塊。
本来、目に見えることのない真庭市の大自然から与えられたエネルギーが、あまりの密度によって視覚化された力。
光よりも速い破壊エネルギーは、黒鬼が回避を図るよりも速く、黒鬼の全身を飲み込んだ。
いったい、真庭空蔵に何が起きたのか。
その答えは、真庭空蔵が飲んだ牛乳にある。
ジャージー牛乳。
国内の乳牛の一パーセント未満であるジャージー牛から採れる、貴重な牛乳である。
戦後の復興に向けて、政府が国民に栄養のある食料を届けようとした際、ホルスタインよりも栄養価の高いジャージー牛乳が全国各地に導入された。
しかし、ジャージー牛乳はジャージー牛一頭当たりの搾乳量が少なく、ほとんどの地域で下火となった。
だが、岡山県真庭市は違った。
美味しく、栄養価の高いジャージー牛乳の素晴らしさを理解し、また蒜山高原という広大な育成場を活用し、ジャージー牛を飼育し続けた。
何年も何十年も。
その結果、岡山県真庭市は全国約一万頭のジャージー牛の内、実に三分の一を育成する、ジャージー牛大国となったのだ。
ジャージー牛頭数が日本一の国。
即ち、ジャージー牛乳大国、岡山。
「見たか! オラの本気を!」
高い栄養価を持つ日本一のジャージー牛乳は、飲んだ者に爆発的な栄養を与える。
人知を超えた成長を促し、黄金の輝きを与えるのだ。
つまりそれは――。
超マニワ人。
千年に一人現れるという伝説の戦士の力を、一瞬で与えることができるのだ。
真庭空蔵から黄金の光が消え、元の姿に戻る。
超マニワ人となることで無理やり抑え込んでいた痛みが噴き出し、あまりの激痛に真庭空蔵はその場に膝をつく。
「いってぇ。さすがに、力を使いすぎたか……」
だが、真庭空蔵は痛みより充足感がまさっていた。
超マニワ人となった真庭空蔵の一撃に、確かに手ごたえを感じていたのだから。
手に付着したどす黒い血を見つめた後、真庭空蔵は黒鬼が貼りつけられているだろう方向に視線を向けた。
視線の先は、黒煙で埋まっていた。
代わりに、血の落ちる音が真庭空蔵の耳に届いた。
まにわし波による破壊で充満する黒煙の中、人影がゆらりと揺れた。
「ありえねえ。現実じゃねえ。こんなのは、な」
真庭空蔵の攻撃は、確かに黒鬼に傷を負わせた。
二枚の皮膚を持つ特異な体質である黒鬼の、表面一枚目の皮膚をボロボロに剥がし落とす程度には。
「俺を、悩ませるな!」
一歩。
また一歩。
近づいてくる黒鬼を前に、真庭空蔵はすぐに立ち上がろうとし、しかし痛みが体を下へ引きずりおろした。
動かない足を睨みつけ、真庭空蔵はギリギリと歯を噛みしめた。
「そのまま立つな。もう、一撃で死んでくれ」
黒鬼の大きな足音が、響いた。
「誰に命令をしている。鬼が」
「真庭市長ぉ~。大丈夫ぅ~?」
近づく死を遮るように、真庭空蔵の前に二つの人影が現れた。




