第17話 真庭市
「うおおおおお!」
大気圏を破り、黒鬼は落ちていく。
ガチャガチャと小型宇宙船のハンドルを動かすが、既に小型宇宙船は制御不能なまでに壊れていた。
黒鬼の意思を一切受け付けない小型宇宙船は、何に邪魔されることなく岡山県の地へと突っ込んだ。
小型地平線は着地と共に大爆発を引き起こす、周囲のアスファルトを削って吹き飛ばす。
大きな穴の周りには無数の部品が散乱し、衝突の貯砂を物語っている。
もうもうと上がる黒煙の中からは、煙と同色の鬼が目を擦りながらゆっくり歩いて現れた。
「糞が! いったいなんだあいつは!?……地球の人間か? ありえねえだろ。まだ、他の惑星のやつが擬態して、俺たちの邪魔をしに来たって方が自然だろ」
黒鬼は、のっそりと歩いて煙から脱出する。
目が染みなくなった場所で立ち止まり、警戒するように周囲を見渡し、歩くのをやめる。
「ここはどこだ? 俺はいったいどこに落とされた? 地面に爆弾でも仕掛けてんじゃねえだろうな? ちくしょお、赤鬼たちはどこだ。早く探して、合流しねえと」
どこまでも疑惑を絶やさない黒鬼は、次の瞬間その場に座り込んだ。
「待つ。もしもここに落とされるまでが作戦なら、俺が動かねえのが得策だ」
黒鬼は、常に疑う。
自分も他人も。
黒鬼にとって幸運なことは、たまたま座った場所の見晴らしが良かったこと。
普通車百六十台、バス二十台を駐車可能なだだっ広い空間は、敵がどこから黒鬼に向かって来ようと、見逃すことはない。
青い空の天井と、それを囲むような新緑のカーテン。
風の音しか聞こえないこの場は、敵の移動音さえも聞き逃さない。
黒鬼は、目をぐっと開いて、周囲を強めた。
黒鬼にとって不幸だったのは、警戒を目と耳の届く範囲に限定したこと。
突如、地面より腕が伸びてくる。
腕は、黒鬼の首を強い力で掴んで、黒鬼の体を強制的に持ち上げた。
「な、なんだ!?」
そのまま空中を引っ張られ、黒鬼は洞穴の中に引きずり込まれた。
広い駐車場の先にある空間へと。
狭い空間の中、黒鬼の体は何度も岩場にぶつけられる。
「おらぁ!」
「ぐおぁ!?」
そして投げつけられた先は、先程と打って変わり、水でビチャビチャに濡れた泥の床。
黒鬼が地面をごろごろと転がると同時に、黒鬼の体には泥がべったりとへばりつく。
四方八方囲まれて、太陽の光も通さない洞窟の中では、冷たい泥による不快感は地上以上だ。
「ぐああ! 気持ちわりぃ!」
黒鬼は全身を振って体についた泥を振り払う。
泥がついたところで痛みはないが、纏わりつく不快感からは逃れられない。
ある程度の泥を落とせたところで、黒鬼は自分を投げつけた存在を睨みつける。
「誰だ、お前は。さっきのやつか?」
真っ暗闇の中においても、黒鬼は自身を攫った人間の気配を察知していた。
人影さえ真っ黒に塗りつぶした暗闇の中、黒鬼は一人の人間の方をまっすぐ向いていた。
ライトが点灯する。
白に、青に、緑のライト。
インスタグラマーが喜びそうなほど美しく輝き始めた洞窟の中で、黒鬼の見ていた男性はニカッと笑った。
「おっす! オラ、真庭市市長!」
黒鬼と対峙するのは、長い髪を後ろで一つ結びにした男性だ。
オレンジ色の短パンと黄緑色の半纏が特徴的で、半纏の中には鍛え上げられた胸筋と腹筋が見える。
要するに半裸だ。
真庭市市長、真庭空蔵が、威風堂々と立っていた。
「マニワシ、シチョウ?」
「そうだ! オラは市長として、オメェを倒す!」
真庭市。
岡山県の北中部に位置する市である。
人口は四二五八六人。
総面積八二八キロ平方メートルという岡山県市町村の中で最大の面積を有し、全国でも五十八番目に広い面積を有する。
「シチョウとやらが、何の用だ?」
黒鬼は、疑う。
先ほど、意表をついて攻撃をしてきた相手ならば、再び同じことをされるのではと疑う。
黒鬼は、地面を蹴って真庭空蔵へと飛び掛かった。
「おおっ!?」
が、泥が黒鬼の足を滑らせた。
地面を蹴った黒鬼の力は空中へと逃げてしまい、黒鬼の体は前に傾いて転倒を始める。
「オメェの星には、洞窟ってなかったのか?」
真庭空蔵は、その隙を見逃さない。
回避能力を失った黒鬼の顔面に、容赦なく拳をお見舞いする。
「ぐぼぁ!?」
前に傾いていた黒鬼の体が一転、後ろに傾き、バシャリと仰向けに倒れた。
「もういっちょ!」
追撃をかけてくる真庭空蔵を前に、泥の性質を理解した黒鬼は速やかに立ち上がり、滑ることなく後方へと跳んだ。
壁に背を預け、天井から生えているつららの様な鍾乳石を握った。
へし折り、武器とするために。
慣れない足場で肉弾戦をするよりも、投擲による攻撃の方が利があると判断したからだ。
「抜けないだと!?」
が、鍾乳石はびくともしなかった。
根元から引っこ抜こうとしようが、中盤を折ろうとしようが、微動だにしなかった。
「やめときな。オメェじゃ、この洞窟は壊せねえよ。ここは、日本最古の鍾乳洞『備中鐘乳穴』だからな!」
備中鐘乳穴。
平安時代に書かれた『日本三大実録』に記される鍾乳洞。
千二百年前には既に世に知られていたと考えられている、文献に残る日本最古の鍾乳洞である。
全長は八〇〇メートル。
長い歴史は、『五重の塔』や『洞内富士』と呼ばれる特異な形をした鍾乳石を数多創り上げた。
歴史的な価値は、非常に高い。
つまり、たかが鬼ごときに、崩せるわけがないのだ。
千二百年の歴史を、一個の個体ごときが崩せるわけがないのだ。
真庭空蔵の姿が消える。
次の瞬間、壁沿いに立つ黒鬼の横に、真庭空蔵が現れる。
「なにぃ!?」
「わかったら、さっさと家にケェんな!」
瞬間移動からの殴打。
真庭空蔵の一撃は、黒鬼の顔面に対してこの上なく綺麗に食い込み、黒鬼を再び地面に転がした。
人口は、令和五年一月一日時点の住民基本台帳人口に基づきます。




