第11話 浅口市
浅口市。
岡山県の南西部に位置する町である。
人口は三三〇五二人。
岡山県の市の中で最少の面積でありながら、多くの伝統産業を抱え、金光教の発祥地でもある。
「ウホオオオオオ!」
鴨方駅前に、猛獣のような叫び声が響く。
「きゃあああ!」
叫び声を上げる化け物を見て、市民たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。
自動車は交差点に入る前に急ブレーキをかけて止まり、次の瞬間加速しながらハンドルをきる。
交通ルールなど、命の危機の前では通用しない。
無法地帯となった交差点前では自動車と自動車が衝突し、衝突した自動車の扉が開いて人々が走って逃げていく。
衝突した相手を責める余裕はない。
最も重要なのは、自分の命だ。
「ウホオオ!」
巨大なゴリラの形をした餓鬼は、交差点近くの駐輪場に置かれている自転車を数台掴んで、的当てゲームでもするように自動車へと投げつけた。
自転車と自動車の衝突音が響く。
餓鬼は巨大な一つ目で、大破した自動車を見ながら大笑いした。
餓鬼にとって、人間と言う存在は食料であり遊具。
格の差を見せつけるように、ドラミングを披露した。
交差点の真ん中で。
鴨方駅の北西。
浅口市役所本庁。
「市長!? 何をなさって!」
「しっしっしっしっ」
浅口市市長、浅口平和は、開けた窓の淵に両手をかけている。
しかし、その体は窓の側にない。
浅口平和の腕はゴムのように伸びており、浅口平和の体は窓よりはるか後方にあった。
浅口平和の左右には浅口市役所本庁の職員が集まり、浅口平和を必死に説得していた。
「鴨方駅に出現した化け物については今、警察と相談して対応を急いでいます! ですので、市長が現場に出る必要は御座いません!」
「おう! わかった!」
必死な職員の形相を見て、浅口平和は職員たちに向いて頷く。
自分たちの意見を聞いてもらえたことに安心した職員は、安堵し胸をなでおろした。
浅口平和は、浅口市の市長。
非常事態時に市長が不用意に現場へ行くことは、指示系統の乱れに繋がることを職員たちは知っている。
「ノビノビのー! ロケットオオオ!!」
そんな職員の内心を知ってか知らずか、浅口平和は顔を前に向け、小さくジャンプした。
足によって支えられていた体は、体をその場に止まらせるための力を失う。
ゴムのような弾性を持つ腕が、元の長さに戻ろうと縮んでいく。
腕がパチンコの紐で、体がパチンコの玉。
浅口平和の体は物凄い速さで窓に近づき、そのまま窓を飛び出して大空へと跳んだ。
「市長おおおおお!?」
「あの人、全然話聞いてねえええええ!?」
本庁内は阿鼻叫喚。
業務を中断し、職員たちは急いで鴨方駅へ向かえる人員をかき集め始めた。
本庁内の混乱など知る由もなく、浅口平和は空から浅口市を見渡す。
いつも通り平和な浅口市。
ただ、一か所を除いて。
「ウホオオオ!」
浅口平和は、餓鬼のいる場所目掛けて腕を伸ばし、近くにあったガードレールを掴む。
窓から飛び出したときと同じ要領で、腕を縮め、空から餓鬼の目の前へと着地した。
餓鬼がドスンという着地音がした方に目を向けると、そこには麦わら帽子をかぶった男が立っていた。
「お前かあ! 浅口市を壊してる餓鬼ってやつは!!」
「ウホオオオ!」
獲物を見つけた餓鬼は笑い、浅口平和に向かって走ろうとする。
「ノビノビのー!」
が、浅口平和の脚が伸びる様子を見て、餓鬼は走るのを止めた。
餓鬼の知識の中には、人間の生体情報も入っている。
脚が伸びる人間など、認識していなかった。
途方もない不安が、餓鬼を襲った。
「鞭!」
浅口平和の伸びた脚は鞭のようにしなり、餓鬼の横っ腹に叩きつけられた。
「グフォオ……」
餓鬼の体は横へと吹き飛び、国道二号線をまっすぐにゴロゴロと転がった。
溜まった自動車も、道路の周囲も傷つけず、餓鬼の体は道路に横たわった。
「ウホオオオ!!」
餓鬼はすぐさま立ち上がり、表情を怒りに染めて、浅口平和に向かって突進する。
不安感など、怒りの前では些細なものだ。
「ノビノビのー!」
向ってくる餓鬼に対し、浅口平和は右腕を後方に伸ばし、弾性を使ってピストルのようなパンチを繰り出す。
「銃!」
「ウホオッ!」
餓鬼にとっては一度見た攻撃。
腕だろうが脚だろうが、伸びることには変わりない。
同じ伸びるだけの攻撃であれば、対処も容易。
餓鬼は、伸びてきた腕を躱し、手首をがっしりと掴んで自身の方へと手繰り寄せた。
「うおっ!?」
引っ張られた勢いで、浅口平和の体が一瞬宙に浮く。
そのまま餓鬼の方へと向かっていく。
餓鬼は、銃弾のように近づいてきた浅口平和を、思いっきり殴りつけた。
浅口平和の顔面は地面に叩きつけられ、被っていた麦わら帽子が地面に落ちる。
「ウホオオオッ!」
足元に倒れる浅口平和の頭を踏んづけて、餓鬼は勝利の雄叫びを上げた。
「効かねえ。ノビるから」
水を差したのは、浅口平和の声。
浅口平和は、餓鬼の足と地面の間に挟まった頭を引っこ抜き、後ろに飛んで餓鬼と距離を取った。
同時に、自分がかぶっていたはずの麦わら帽子がなく、餓鬼の目の前に落ちていることに気づいた。
「あっ」
「ウホッ!?」
足の下から抜けだされたことに驚いた餓鬼は、即座に離れた浅口平和を追うため、一歩踏み出す。
その一歩が、麦わら帽子を踏み潰した。
驚いていた浅口平和の顔が曇り、額に青筋が入る。
「おれの麦わら帽子に、触るな!!」
先程よりも速い伸びた脚の先が、餓鬼の腹部にめり込んだ。
「ウボアッ……」
吹き飛んだ餓鬼に目もくれず、浅口平和は麦わら帽子に駆け寄り、傷ついていないことを確認して安堵した。
岡山県は、麦わら帽子の生産量が日本一。
そして日本一の生産量支えるのが、かつての麦わらの主産地であった歴史と、麦わら帽子の専業メーカーが多数存在する現在を持つ、浅口市である。
浅口市の『かもがた町家公園』や『浅口市立鴨方図書館』には麦わら帽子の作り方や歴史的資料が展示されるほど、その麦わら帽子愛は強い。
麦わら帽子を愛する浅口市の頂点に立つ浅口平和は即ち、日本で一番麦わら帽子愛の強い男なのだ。
「よくもやってくれたな」
よろめきながらから体を起こす餓鬼を、浅口平和は睨みつけた。
「おれはお前を、ぶっ飛ばす!」
どんっ。
まるで、そんな擬音語が浅口市に響きわたったように、浅口平和の言葉は重かった。
人口は、令和五年一月一日時点の住民基本台帳人口に基づきます。




