今日へ繋がる道と、小さな笑顔
卒業制作が完成した日。
青児さんがアトリエまで私の作品を見にきていた。青児さんと同級生を含め、作品を眺める彼らの口から「上手い」とか「すごい」、「綺麗」といった技術を称える言葉は全く出ず、挙句の果てに揃って口にした感想はこれだった。
「すごく和む。君そのままだ」
「私は仔犬なの?」
「うん、仔犬みたいだね」
仔犬かぁ……前に誰かにも言われたなぁと、思いに耽っていると、青児さんが続けて話す。
「そういえばさ、この前、室生家の使用人さんにまた兄と間違えられたんだ。前のお手伝いさんとは違う人だったんだけど。……それで何故か屋敷の調査報告みたいなのを聞かされたんだ。……初音さん、御影さんと事実婚になったって本当?」
「うん、ちょっと複雑な事情があって……」
(青児さん、室生家の周り歩かないで下さい、室生の内情が漏れます……)
「そっか……。じゃあ、正式に結婚したわけじゃないなら……」
「え?」
「……あ。いや、何でもないんだ。気にしないで」
何かを言いかけた青児さんだったけれど、言葉を途中で飲み込むと、それ以上は何も言わずに優しく微笑むのだった。
*****
室生本家を訪れると、ハザマ様と御影様が向かい合い、何やら口論のような話し合いを繰り広げていた。
「澄香に連絡を取ってくれたのはありがたいが、俺は礼なんて言わねぇぞ? この間、廻る寿司屋の件で嘘の知識を教えやがって!火傷させられそうになったからな。これで貸し借りなしだからな」
御影様が抗議すると、ハザマ様はぷりぷりと怒ったフリをしながら、冗談ともつかない言葉で返した。
「失礼だな。熱湯が出る蛇口の件は、初音に即座に嘘だと教えてもらって回避できたじゃないか。私の立ち回りのおかげだ、感謝してもらいたいぐらいだ。感謝してくれないなら、今度、刺されて死んだ時、お前の息子に転生してやる」
「それ、ただの嫌がらせじゃねーか! やめてくれよ……!」
まったく、この二人は仲が良いのか悪いのか……。
呆れながらそんなやり取りを眺めつつ、私は光くんの小さな手をそっと繋いでいた。するとその瞬間、私の頭の中に直接、思念が伝わってきたのだ。
(あ……喉が渇いているんだ。お水を飲ませてあげないと……)
思えば、お役目様とハザマ様が激しく言い争っていたあの時も、あのイカの怪異と遭遇した時もそうだ。全く同じ感覚で、相手の思念や波長がダイレクトに脳裏へ伝わってきた。
私はコップに水を汲み、光くんの口元へ運んだ。光くんはごくごく勢いよく水を飲み干していく。
——その姿を見つめながら、私は胸の奥で全てを理解したのだった。
これまでの出来事は、決して偶然などではなかった。私が通るべくして通ってきた道だったのだ、と。
かつて少女の頃、小学校の校庭で置き去りにされた幼いハザマ様を目撃したことも。このお屋敷で様々な霊的な世界のお話を聞かされてきたことも。
すべてはこの日、光くんの手を握り、彼の声なき声を受け止めるために繋がっていたのだ。
そんな確信に浸っていると、コップを空にした光くんが、じっと私の目を見つめてきた。
今までずっと無表情だった彼の顔が、ふっと柔らかく解け、天使のようにニコッと微笑んだのだ。
光くんの初めて見せた愛くるしい笑顔。
それを見つめるハザマ様もまた、すべてを優しく包み込むような、穏やかな笑みを浮かべていたのだった。




