繋がれた小さな手と、新しい選択
光くんのお母さんである澄香さんは、女手一つで働きながら、障がいのある我が子を懸命に育てていたのだという。だが、その努力も限界に達するほど、日々は大変なものだったようだ。
何しろ光くんは普通の子に比べて成長が著しく遅く、言葉を発することもない。自分から何かを欲して動くことすらほとんどなかった。
体が鬱血しないよう体位を三時間ごとに変えたり、脱水症状にならない様に定期的に補水をさせたり、トイレに連れて行ったりと、ずっと赤ちゃんのように世話をしなくてはいけない。
療育(発達支援)にも通わせていたものの、一向に症状が改善する兆しは見えず、追い詰められた澄香さんは次第に絶望し、我が子との心中まで思い詰めるようになっていたのだ。
そんな彼女からの悲痛な相談を受けた際、ハザマ様から返ってきたのは彼らしい一言だった。
『死ぬくらいなら、その子を室生の家に養子に出しなさい』
後日、私は澄香さんと直接お会いした。
やつれて少し痛々しい印象はあったものの、ハッとするほど整った顔立ちをした、とても綺麗な女性だった。
「……本当に、光をお任せしてしまっても良いのでしょうか……?」
不安げに尋ねる澄香さんに、私はまっすぐな視線を返して頷いた。
「はい。私は実の母親の代わりにはなれないかもしれません。ですが、室生家の一員としてなら、責任を持ってこの子を愛することができます。どうか私にお任せいただけませんか?」
私が抱き上げると、光くんの小さな手が、キュッと私の服の袖を握りしめてきた。
喋ることも笑うこともしないけれど、それは確かに「私を離さないでほしい」という、彼の切実な意思表示だったのだと思う。
「……これからは、お父さんと一緒に暮らそうね」
腕の中の小さな命にそう優しく声をかけると、私は惟光さんの運転する車へと澄香さんを案内し、静かに見送ったのだった。
*****
それからの毎日は、静かに、けれど確実に過ぎていった。
大学の授業がない日は室生家で光くんの面倒を見、御影様とともに穏やかな時間を過ごす。
そして大学の卒業後は、私は正式に光くんのお世話係としての就職が決まった。奨学金の返済も残っている私にとっては、何よりありがたい道だった。
御影様はあれ以来、結婚や婚姻届の件について一度も触れてこなくなった。
形式的な「名」よりも、今ここにある絆という「実」を取る——言葉で確かめ合うわけでもなく、私たちは自然と事実婚という形へ行き着いていた。
私は御影様と籍を入れても「室生初音」だし、籍を入れなくても「室生初音」のままだ。
形式に縛られず、何ひとつ変わらない自分でいられること。それこそが、私たちがこの穏やかな事実婚を選んだ一番大きな理由だったのだと思う。




