室生家スパイ合戦
——ここまでの出来事は、ほんの数ヶ月前までのことである。
なぜ急にそんなことを思い出したのかといえば、あの日の混乱が全ての始まりだったからだ。
雨宮青児さんが室生家のお屋敷の周りをうろうろしていた時のこと。
お手伝いさんの藤城さんは、青児さんの姿を見るなり、外へ遊びに出たハザマ様だとすっかり勘違いして、例の「同人誌」を渡してしまったのだ。
青児さんはハザマ様の異母弟にあたり、顔立ちが非常に似ているため、うっかり間違えてしまったらしい。
渡された同人誌の扱いに心底困り果てた青児さんは、わざわざ大学のアトリエまでやってきて、それを私に委ねてきたのだった。
だが、問題はその中身だった。
同人誌のページとページの間に、一枚の折りたたまれた紙が挟まっていたのだ。それは藤城さんからハザマ様へ宛てられた極秘の報告書——室生家の使用人たちがどの派閥に属しているかを示した『勢力図』と、使用人たちの日頃の言動を記した密告書であった。
(藤城さん、ハザマ様のスパイだったんだ……!)
執事の惟光さんが白川家から遣わされた諜報要員であることは知っていたが、こうなるとあのお屋敷の使用人たちは、ほぼ全員が誰かのスパイだと見て間違いなさそうだ。
私はとりあえず、その同人誌と報告書を正しくお渡しするため、ハザマ様のお部屋を訪ねた。
「あの……ハザマ様。これ、藤城さんが間違えて青児さんに渡してしまっていたみたいで……」
恐る恐る同人誌と挟まれていた紙を差し出すと、ハザマ様は「ああ」と頷き、くすりと笑って受け取った。
「わざわざすまなかった。藤城は私に手渡したつもりでいたようだから、報告が来なくて何かおかしいと思っていたんだ」
「……室生家って、なんだかまるで陣地取り合戦のようですね」
私がポツリと呟くと、ハザマ様は手元の報告書に目を落としたまま、静かに話した。
「私は御影のように大きな実家や、律や陸の親のような強い後ろ盾があるわけじゃないからな。常に自分がどのような立場に置かれているか、状況を把握しておかないと生き残れないんだ」
「まさか……お屋敷を追い出されるなんてことはありませんでしょう?」
心配になって尋ねると、ハザマ様はどこか達観したような瞳で私を見つめた。
「問題は、私が『お役目』になれなかった時の身の振り方なんだよ。……だが安心しなさい、今は何かあっても沙藤の家が後ろ盾になってくれることになっている。その時は、沙藤家の巫覡にでもなろうと思っているよ」
「だから、皆さんそれぞれに自分のお仕事を持って働いておられるのですね……」
(わたしは……この屋敷で一体何ができるんだろう? そもそも、まともな仕事にすらありつけるのかな……)
己の無力さに少し落ち込んでいると、ハザマ様は私の不安を見透かしたように、優しく目元を緩めた。
「初音は何も心配しなくていいと思うぞ? もうしばらくしたら、誰もが納得するような次期『お役目』がハッキリして、その人物がお前を付き人に選ぶはずだからね」
「ええ……!? 次のお役目って、一体どなたなんですか……?」
私が驚いて身を乗り出すと、ハザマ様はにっこりと笑い、どこか深謀遠慮な含みを持たせて言ったのだった。
「さて、誰だろうな?初音にとって意外な人物だ」




