5.取り調べ
忠通は事件の経緯を川上捜査一課長に報告した後、男を取調室へと連れて行き事情聴取を始めた。
北沢係長が見守る中、質問を始めると、男は黙秘することなく名前や住所を答えた。
「自分は何も覚えていません……」
男はうなだれ肩を震わせた。北沢係長は忠通に顔を寄せた。
「本当にこいつが電車の運転士を負傷させた犯人なのか?」
「目の前で凶行を目撃して、その場で現行犯逮捕し、そのまま離さず連行したので間違いないです。
一緒に居た記者が逮捕の瞬間を映像に収めていますので、後ほどお見せできると思います」
忠通は説明しながら、犯行を覚えていない事が不思議に思えた。
隣の部屋で尋問を受けている女も同様に犯行を否認した。
運転士は意識不明の重体で、女に金属棒で殴られた五人も集中治療室で治療を受けているが、
命に別状はないとの報告だった。
香帆が新聞社に戻り編集部の扉を開けると、通路には書類が散乱していた。
同僚たちが呆然と立ち尽くす先には、椅子に縛られた編集長の姿があった。
「一体、どうしたの?」
「見ての通りだよ。編集長が鋏を持って急に暴れ出し、そして鋏を自分の手に突き立てたんだよ。
慌てて皆で取り押さえて、椅子に縛った訳だ」
主任が意識の無い編集長の手に包帯を巻きながら答えた。
「自分で刺したのだから、警察に通報する訳にもいかないな……」
「そうね、意識が戻って、また暴れる様だったら通報しましょう」
壁に並んだテレビから、京急線の車内で男が電車の運転士を襲ったとのニュース速報が流れていた。
「主任、私はこの電車に乗っていて、犯人逮捕の瞬間の映像を撮りました」
「それはスクープだな。早速、見せてくれ。まだ朝刊に間に合うから一面トップに出来るかもしれない」
香帆はカメラを取り出しモニターに接続すると、報道フロアーに居た全員が食い入るように画面を
見つめた。
映像は忠通が犯人の腕を掴んでいる所から始まり、背負い投げで取り押さえ、犯人のベルトを
抜き取り、縛り上げるシーンが流れた。
そして電車が駅を通過し、悲鳴が聞こえる中、学がレバーを操作する所で映像が途切れた。
そしてホームに止まった電車から、忠通が犯人を連行する後ろ姿が流れた。
「犯人を取り押さえた男は、この社の前で起きた無差別殺傷事件で犯人を取り押さえた警官だよな」
「はい、当時は交番勤務でしたが、今は刑事部捜査一課で警部補になっています」
「ベルトで拘束したところがベストショットだな。編集長は御覧の通りだから、支局長に判断を仰いで
くるよ。それに無差別殺傷事件の功労者がまた活躍したと記事にすれば読者は食いつくぞ。小花君は
早速一面の記事を準備してくれ」
主任は映像を再生させて、印刷した数枚の写真を手に部屋を飛び出した。
香帆は自分の机に座ると、パソコンを開いて原稿を考えるために映像を見直した。
録画の続きには、派出所での様子も壁を映しながら音声だけ記録されていた。
忠通の質問に自分はやっていないと訴える男の怯えた顔が鮮明に蘇る。
――あの顔は悪人の顔じゃなかったわ。でも確かに消火器を振りかざして運転士を襲ったのはあの男だ。
この眼で見ているから間違いない。じゃ何故自分はやっていないというの? それは自分がやったことを
記憶していないって事。だれかが彼を操ったの?
頭を抱えて天井を見上げると、少し眩暈を感じた。
――そうだ……中生三杯飲んだから、まだ酔いが抜けてないのか。
香帆は鞄からペットボトルの水を取り出すと喉を潤した。
そしてパソコンに向かって見出しを考え始めた。
横浜署内の大会議室に捜査本部が設置され、夜九時過ぎから捜査会議が始まった。
通常、捜査一課の北沢係長が情報をまとめ、宮下管理官に捜査方針を仰ぐが、その日は帰宅していた
太田署長や川上捜査一課長も駆けつけて報告が行われた。
横浜署管内では十件の110番通報があり、その内半数の五人は現行犯逮捕出来たが、他の犯人たちは
凶行の後、人混みに紛れて逃走していた。
犯行を直接目撃し、現行犯逮捕した忠通が状況説明を求められた。
「私は京浜急行の先頭車両で、被疑者が消火器を使って運転士へ危害を加える場面に居合わせました。
一度目の凶行は止められませんでしたが、二度目の前に男の行動を阻止し、取り押さえて、現行犯逮捕
しました。その後、事情聴取を行いましたが、一貫して覚えていないと犯行を否認しており、動機や
目的などは全く分かりません」
忠通の報告の後、現行犯逮捕された被疑者達の取り調べ状況が報告されたが、全員が犯行当時の記憶が
無いと主張し、犯人達の繋がりは無い事だけが、判明した事実だった。
「一体、繋がりの無い被疑者達が、何故同じ時刻に無差別殺傷事件を犯したのか、分かる者はいるか?」
川上課長が声を上げたが、皆、首を傾げるだけだった。
そして気まずい空気の中、北沢係長の電話が鳴り、通話しながら「テレビを付けてくれ!」と
声を上げた。
大会議室の壁に掛けられた大型テレビのスイッチを入れると、臨時ニュースが始まっていた。
画面には新宿駅前の映像が流れて、救急車やパトカーが並び、規制線の手前からレポーターが駅前で
起きた無差別殺傷事件を報告していた。
「横浜だけじゃないのか⁉」
太田署長が声を上げると、刑事たちは顔を見合わせた。
そのうちに無差別殺傷事件が東京や横浜以外に埼玉県や千葉県でも発生したことが判明し、テレビ局は
クルーを出して新宿や渋谷で中継を行っていた。
「これは本庁に合同捜査本部が立ちますな」
川上課長は腕を組んで、太田署長に顔を向けた。
「――というより、総理官邸に危機管理室が設置されるぞ」
太田署長は立ち上がると全員を見回して声を上げた。
「被疑者達への事情聴取は継続してくれ。それから逃げた犯人達は防犯カメラの映像で逃走経路の洗い
出しを頼む。いずれにしても本庁への報告を要請されるから、二十一時時点の情報を纏めといてくれ」
太田署長の指示で刑事たちは、一斉に部屋から飛び出したが、忠通は椅子に座ったまま、テレビの
ニュースを眺めていた。
何故、被疑者達は自分はやっていないと訴えるのか? 取り押さえた犯人の様子を思い出しながら
考えていたとき、スマホの着信音が微かに聞こえた。
上着のポケットからスマホを取り出すと、香帆からラインに映像が届いていた。
忠通は立ち上がると、雛壇に残っていた幹部達に声をかけた。
太田署長と川上一課長、宮下管理官と北沢係長の四人が忠通の周りを囲んで、スマホの画面に顔を
近づけた。突然、加齢臭が忠通の鼻腔を襲ったが後の祭りだ。
じっと堪えてスマホの再生ボタンを押した。映像が流れると、全員が驚いた表情で息をのんだ。
「逮捕の瞬間が撮れているじゃないか!」
「確かに犯人は消火器を持っているから、自分はやっていないと主張しても、確実な証拠だな。
もう一回、大きい画面で見せてくれないか」
川上課長が声を上げると、忠通はスマホとパソコンを操作して準備を始めた。
「所でこの映像を撮影したのは、例の幼馴染の新聞記者か?」
北沢係長が訊いた。
「そうです。一緒に電車に乗っていて、犯行現場に遭遇しました」
「二人はスクープに出くわす何かを持っている様だな……」
忠通は苦笑いで返した。
「それにしても魔が差した奴が騒動を起こすのは普通、単独犯だからな。こんなに同時に魔が差す奴らが
居るとは思えないよな……」
「魔が差した犯人達が全員やったことを覚えていないなんて、有り得ないですよ」
「確かにそうだな」
五人は唸った。




