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魔、降る夜  作者: 夢出 啓示


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3.働く卒業生の声を聴く会

 「二十針縫った傷口はすぐ癒えましたが、辛かったのはその後なのです」


 忠通はそのときの状況を説明しようとしたが、湧き上がる感情に言葉を詰まらせた。


「無理して話さなくて良いのよ」


 香帆は優しく微笑み言葉を続けた。


「あの事件では警察官一人を含め五人が亡くなり、十人が負傷しました。そして犯人は腹部に隠し

持っていた刃物が災いして、亡くなりました。事件後、マスコミも世間も無差別殺人を非難し、犯人を

逮捕した忠通を称えましたが、一か月後に犯人の家族が逮捕時の過剰な拘束が原因で犯人が死亡したと

訴訟を起こしたのです。結局、裁判では大勢の人の命を奪った犯人に対し、その凶行を止めた警察官に

過失は無いと判決が下りました」


「当然だよ。傷を負いながら被害をくい止めた世利君は称えられるべきだよ」


 校長の言葉に香帆と学は大きく頷いた。


「先生、裁判で罪は無いと言われましたが、私が押さえつけた事によって犯人の命を奪ったのは

事実なのです。抵抗する犯人の力が抜けて、地面に血が広がったとき、馬乗りにならず、座らせたまま

後ろ手にした上で、手錠を嵌めた方が良かったのかと後悔しました」


「いや、それは冷静になったから、考えられる事であり、刃物を持った相手と対峙しているときに、

犯人の安全を考えながら応戦するのは無理だよ」


 学が忠通の肩を優しく掴んだ。


「私はその場に居合わせ、犯人と戦っている忠通を助けに行きたいと思いましたが、一歩も踏み出せ

ませんでした。怖くて足が震えて……唯一、忠通が死なないで……と祈ることしか出来ませんでした」


「そうだよ。いずれにしても人を無差別に切り付けた犯人が一番悪いし、法的にも問題ないのだから、

これ以上、自分を責める必要はないよ」


 忠通は恩師の言葉を噛みしめながら姿勢を正して一礼した。


「もう誰も忠道の事は責めていないでしょう。私が許すから自分を責めないで」


 慈悲深い女神様の微笑みは、忠道の心を少しだけ軽くした。


「さあ、そろそろ時間ね。行くわよ」


 香帆が立ち上がると、忠道と学はいつもの様に後に続いた。




 校長の先導で懐かしい体育館の鉄の扉を抜け、板張りのフロアーに一歩足を踏み入れると、在校生達が

拍手で三人を迎えた。


 そこは染み着いた汗と女子達の香りで、相変わらず耐え難き空間だった。


 来なきゃ良かった……忠通は後悔したが、香帆の誘いを了解したからには従うしかない。


 依頼の電話は「私の頼みは断れないよね」と甘い声で、それは副会長に立候補して欲しいと頼まれた

ときと同じ台詞だった。


 ステージ中央には演台が置かれ、上手にはパイプ椅子が並べてあった。


 三人は案内されて椅子に座り、校長が演台に立った。


 そして『働く卒業生の声を聴く会』の趣旨と開催を宣言して、一番手に香帆を指名した。


 香帆は軽い微笑みで一礼すると、マイクの高さを合わせた。


「私たちは十二年前にこの学校を卒業しました。三人とも家が近所で、幼い頃からの幼馴染です。


そして中学生のころから話していた職業に、三人とも就きました」


 香帆の話は、学生の頃から憧れていた新聞記者になれたと、夢を叶える所までは良かったが、

「私は来月、会社を辞めてフリーになります」と言った所で、会場がざわめいた。 


 香帆は演壇に両手をついて、体育館に座る後輩達を見まわした。


 一呼吸置いて、聴衆の反応を見ながら話すのは、生徒会長時代と同じだった。 


 パイプ椅子に座る世利忠通は、天海学の耳元で囁いた。


「知ってた?」

「初耳だよ」


 二人が顔を見合わせて呆然としていると、校長が声を上げた。


「新聞記者の仕事は順調そうだったのに、何か目指すものがあるのですか?」 


 香帆は校長に微笑みを返して頷いた。


「今、世の中にあふれている情報は、本当に真実か分からないものが多くあります。正しい事はなにか?

それを追及しようとしても、会社の方針に従って働くことに限界を感じたので、フリーになって真実と

は何かを追い求めたいと思っています」


「確かにそうだな。いくらマスメディアでもフェイクニュースを鵜吞みにして流す事があるからな。

ではこれからの活躍を期待しましょう」


 思いもよらない告白に、忠通は学と顔を合わせて、手酌の真似をした。


――今晩飲みに行くか? という意図は、頷き一つで伝わった。


 物心ついたときから、一緒に過ごしてきた記憶は、高校卒業と共に途切れた。


 大学に進学してからは年に数回、飲みに行ったり、それぞれの家に集まって家族と一緒に食事

したりする程度だった。


 卒業後、ジャーナリストになるという夢を叶えて、取材に走り回っている話を聞き、上手くやっている

と安心していたが、幼馴染でも話せない事があるのかと、少し寂しい気持ちになった。


 二番手の忠通は警察官になりたかった理由と、努力して憧れの刑事課に配属された所で話を締めて

夢はきっと叶うと前向きな状態で話し終えた。


 無差別事件の事を語ると、誰も警察官になる奴はいないよな――と、本音を飲み込んだ事に後悔は

無かった。


 それに悪人を相手にしていると、否が応でも世の中の闇を知ることになる。


 知らなくて済むことなら、知らずにいた方がどれだけ楽だったか、それは警察官になってから

気づくという後の祭りだった。


 学の話も香帆と同じ経過を辿った。


 希望していた宇宙線研究所に採用されて、宇宙の研究が出来た所までは良かったが、目新しい成果が

得られず、予算が削られる一方で、来年はどうなるか分からないと、不安な状態を正直に語った。


 そして締めの教訓は、引き出しは複数持った方が良いと伝えて話を終えた。


 最後に校長が演台に立ち、三人の話は現実的で、実に面白かったとポジティブに纏めて、

『卒業生の話を聞く会』は無事終了した。




 その夜、校長を誘い四人で居酒屋に繰り出した。卒業後に恩師との酒席は新鮮だった。


「三人の記憶は教員生活の中で一番印象に残っているよ」

「それは良い意味ですか?」


 横から香帆が突っ込むと「当然、良い印象だよ」と校長は笑った。


 校長の正面に座る学も大笑いしていたが、忠通はウーロン茶のジョッキを片手に遠くを見つめていた。


「世利君、高校時代は明るく弾けた性格だったが、随分、物静かな大人になったな」

「一番身近な上司が殺され、自分がその犯人の命を奪ったら、立ち直るのに時間が掛かりますよ。

結局、怪我の治療で入院して、その後、自宅療養だったのですが、訴えられたことで判決が出るまで

半年程、自宅待機となりました。その時間が貰えたので、何とか立ち直り復職して、刑事課に転属に

なりました」


「そうだな。人の死を身近に感じると大人でもきついよな」

「ところで、自宅待機が終わった後の忠通は、胸幅が厚く精悍な顔つきになったけど、家で

トレーニングしていたの?」


 香帆が訊くと忠通は軽く微笑み、ジョッキのウーロン茶を空けた。


「自宅待機と言われても、家でくすぶっている訳にはいかないから、ネットで調べたんだ。凶器を持った

奴らと対峙したときに、スムーズに逮捕する術をね。警察学校で柔道や剣道を学び、逮捕術も教えて

貰ったけど、所詮、複数で取り押さえろと指導されただけなんだ。

 でもあの日の様に、一人で対峙する場面もあるだろう。だから空手に始まり、合気道やボクシング、そして統合格闘技のスクールに通ったよ。そして最後に辿りついたのが、イスラエルで開発されたクラヴマガという近接戦闘術なんだ。

 主は護身術なので刃物から銃器類まで色んな場面での戦闘スキルをマスター出来て、身体も鍛えられた

から、復職するときは前を向いて刑事課に出向くことが出来たんだ」


「それは凄い。忠通と一緒にいると安心ね」

「それなら、もう心配はいらないな。さあ、もう一回、乾杯しよう。その後は小花君のフリーになりたい

真の理由を聞かせてくれ」


 校長の声掛けに四人はジョッキを合わせた。



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