29.審判
東京スカイツリーの屋上に吹いていた風が止まり、辺りが静寂に包まれた。
ライティングの光だけが、色を変えて最後の瞬間を彩った。
地上に微かな光が灯った。
それが次第に数を増し、道路が光の河の様に明るく光り出した。
「あれは何? 人々が集まってきたの?」
愛が声を上げた。
「みんながスマホの明かりをつけて集まって来ているのよ」
香帆が答えて二人の目が合うと、姉妹は手を伸ばして繋いだ。
「我に……善の力を……与え給え!」
マザーが香帆の声で叫んだ。
大声を上げても地上まで届く筈もないのに、忠通は飛び降りたい衝動を抑えて香帆の身体を支えた。
風が急に吹き始めて、星空が瞬き始めた。
そして地上の人々の中から光の粒が湧き出し、スカイツリーを目指して上へと昇って来る。
次第に展望台の屋上が光に包まれ、香帆の身体を優しく包み込んだ。
輝きの中で、香帆の身体へと小さな光の粒が吸い込まれていく。
二人が驚いてみると、香帆の身体全体が光のベールに包まれ、腹部から光が溢れだした。
「何これ?」
香帆が呟きに、マザーの声が聞こえた。
「両手を広げて、悪の波動に向かってもう一度、光を放つのです」
香帆は忠通に支えられながら、両手を広げて祈った。
すると香帆の身体を包んだベールがゆっくりと廻り始めて、次第に掌に光が集まった。
地平線の向こうから悪の波動が空気を震わせてやって来る。
「今よ!」
マザーの呼びかけに香帆は全身全霊をかけて善の光を放った。
その瞬間、スカイツリーの廻りが昼間の様に明るくなり、津波の様に押し寄せる真っ黒な悪意の壁に
向けて、光の波動が広がった。
人々の善意を受けて膨らんだ光と闇がぶつかり合い、叫び声の様な悲鳴を上げて、悪意の大波は
宙へと弾き飛んだ。
光がゆっくりと収まると、辺りは静寂に包まれて、星空がゆっくりと広がった。
「今の光は……マザーのお力ですか?」
荒い呼吸で香帆が訊いた。
「いいえ、あれは貴方のお腹に宿った新しい生命の力です。貴女が死のうと意識したとき、その命が
生きたいと、自らの意志を示したのです」
忠道は縛った腕の先に、ファザーの存在が無くなったことに気付いた。
「ファザーは、どこに行ったのですか?」
忠通が訊いた。
「貴方達の心が一つになったとき、我々も元の一つの意識に戻る事が出来ました。そして本来の万物を
司る神の力を取り戻せました。では私たちの元の姿を見せましょう」
香帆が驚いた表情で忠通と顔を合わせた。
すると香帆の身体から白い靄が抜け出し、目の前に男女の人の姿が浮かび上がった。
神々しい淡い光の中で、白い衣を腰紐で縛り、白袴を履いた装束だった。
マザーは腰まである長い髪で、ファザーは背が高く頭の両サイドで髪を結った、神話の時代の絵に
描かれた神さまの姿そのものだった。
その場に居合わせた全員が無意識に深いお辞儀をした。
「さあ、頭を上げなさい。香帆、これまで貴女の身体に宿り、とても楽しい時間を過ごせました。
特に愛の営みは思い出すだけで胸が高鳴ります。本当にありがとう」
香帆が恐縮しながら嗚咽すると、マザーの柔和な微笑みが涙で揺れた。
「審判はどうされるのですか?」
忠道が真顔で訊いた。
「あなた方二人の、身を挺して人類を救いたいという想いと、集まった人々の愛の力で悪意を打ち砕き、
人々を救ったことで、審判は終わりました」
「それは……人類はこれからも生きられると云う事ですか?」
マザーは柔和に微笑み頷いた。
忠通は嗚咽している香帆を強く抱きしめた。
「それに貴女たちのお腹に新しい命が芽生えました。私の力を秘めた子たちが生まれ、大きくなったら、
この星はより良き世界になるでしょう」
愛が香帆と眼を合わせた。
「……たちって、私もなの?」
マザーが頷くと、愛は満面の笑みで、学と手を取り合い喜んだ。
満天の星空から、一筋の光の階段がスカイツリーの展望台に向かって降りてきた。
そしてマザーは沈黙しているファザーに冷たい視線を送った。
顔の下半分に長いひげを蓄えたファザーの顔が、悲しい表情で人々の顔を見渡した。
「本当に申し訳ないことをした。我を止めてくれて感謝する」
ファザーが軽く頭を下げると、マザーは深いため息で、事の重大さを知らしめた。
「神であろうと審判もなく人の命を奪ってはならぬ。そしてこの星に生きる者もどんな理由があろうと、
人の命を奪うことは許されない。我らが与えた命を、儚いときの中で愛をもって新しい命を生み、
そして老いて死を迎える。涙の中、命の糸を受け継いだ者が、また次の愛を持って新しい命を生む。
その繰り返しこそが人類が生き続けられる定めなのだ。民を治める者たちよ、私利私欲を捨てて定めを
守り、人々が安らかに暮らせることだけを目指しなさい。それが叶わぬ場合は、次に我らが訪れたとき、
人類に悲しい審判が下るだろう」
その場にいた全員が静かに頷いた。
「ファザー、もう勝手な事はさせません。さあ、帰りましょう」
万物を司る神々は腕を組み、光の階段に上った。
すると階段は瞬き一つで星空へと吸い込まれていった。
忠道と香帆は二人寄り添い、学と愛と共に星空を見上げていた。
廻りには一特防の隊員達が、満面の笑みで握手を交わしていた。
西の空が薄っすらと光を帯び、音もなく朝の気配が訪れた。
「さあ、家に帰ろう」
二人は朝日を背に受けて、長く伸びたスカイツリーの影を眺めていた。
展望台では座り込んだSP達と握手を交わしてエレベーターに乗り込んだ。
地上階に降りると、機動隊の隊員たちが一行を出迎え、再び手を重ねて喜びを分かち合った。
スカイツリーのエントランスを出ると、正面の車寄せに輸送防護車が後部扉を開いて止まっていた。
「さあ、乗って下さい。これから総理官邸に向かいます。総理が直接二人の報告を訊きたいそうです」
忠通と香帆は疲労と睡眠不足で朦朧としている中で、拒む気力は残っていなかった。
二人は促されるままステップを上り、指定席に座った。
後部扉が閉まり、エンジン音を唸らせ走り出す防護輸送車は、パトカーの先導でスピードを上げた。
スカイツリーの周りを埋め尽くした人々は、ファザーによって悪意を抜かれ、その場に折り重なって
倒れていたが、香帆が放った最後の光で意識を取り戻していた。
そして何故自分はここに居るのだという不思議な顔で、来た道をぞろぞろと帰って行った。




