28.決戦
「油断したな」
忠通が見上げると、壁の上部に大泉大臣のせせら笑う顔が見えた。
その瞬間、目の前が真っ白になり、顔に痛みが走り、そして気が付くと星空が見えていた。
忠通が頭を振りながら起き上がると、廻りには背広の男たちが重なって倒れていた。
そしてその向こうには、迷彩服を着た男達が頭を振りながら起き上がろうとしていた。
屋上の端では大泉大臣が手すりに身を乗り出して両手を広げている。
忠通は音を立てない様に後方へと移動した。
そして大臣が見えない所迄来ると、北波医官が手摺にもたれて座る香帆に話しかけていた。
香帆は頷きながらペットボトルの水を飲んでいた。
「香帆、大丈夫か?」
近づく忠通に香帆は苦笑いで応えた。
「何とか生きているわ」
「世利さんは先頭だったのに、ご無事でなによりです」
「大臣は一枚上手でしたね。でも何故、一特防のメンバーだけ意識があるのですか?」
忠道が訊いた。
「この迷彩柄の防護衣は電気を通さないので、気絶しないですんだ様です」
「そうでしたか……でも雷を放つ大臣にどうやって近づけばいいんだ」
忠道が眩暈を振り払う様に両頬を叩いていると、後方から中村小隊長が顔を出した。
「世利警部補と小花さん二人共、無事で良かった。二人が居ないとファザーは我々だけでは
止められません」
「相手は神様です。私達でも太刀打ち出ません、でもマザーなら……」
香帆の言葉に全員が期待を膨らませると、イヤホンから声が聞こえた。
「ファザーはまた悪意を放っている様です。早く止めないといけません」
「どうやって止めるのですか」
「わたくしが直接話しましょう。香帆、貴女の言葉を使わせて貰っていいかしら」
「勿論です」
香帆が手摺を握って立ち上がった。
そのときファザーの様子を伺っていた立花班長が、格子状の鋼鉄床を這って近づいてきた。
「小隊長、地上から白い綿帽子が湧き上がってきて、ファザーがそれを吸収しています」
一行が音を立てずに手摺側にいくと、東京スカイツリーのライティングの光に照らされて、地上から
白いものが沸き上がり、それがファザーの所に集まっていた。
「あれは、人々から悪意を抜き取っているのですか?」
香帆が訊いた。
「悪意を集めて力を増そうとしています。香帆、ファザーの傍に行きましょう」
香帆が忠通と小隊長の顔を見ると二人は静かに頷いた。
香帆は背筋を伸ばして大泉大臣の方へと歩き出した。
忠通は倒れそうな香帆の身を案じて後ろに続いた。
「悪意を集めるのは止めなさい。まだ審判がされていません。きちんと審判を済ませた上で、
沙汰を下します」
「この星は既に悪意に満ちている。審判の必要はない」
大泉大臣は視線を合わせることなく、両手を広げて悪意を吸収し続けている。
「待ちなさい。私が出会った人々は正義と愛に溢れています」
「何を言っている。お前の後ろの男は人殺しではないか……」
忠通は立ったまま、心臓を抉られるような感覚を覚えた。
「無差別に五人を殺した犯人を取り押さえたときの事故よ。殺意は無かったわ」
その口調は香帆だった。
「人の命を奪った事実はかわらないだろう。その男はただの人殺しだよ」
忠道は返す言葉も出ず凍り付いていた。
香帆が叫んだ。
「全然違うわ。忠通は身を挺して犯行をくい止めたのよ。忠通が止めなかったらもっと大勢の人々が
死んでいたわ。私も助けられた一人よ。確かに悪人は大勢居るけど、それ以上にささやかな幸せを
求めて生きる、善意に溢れた人々の方が圧倒的に大勢いるわ」
「口だけなら何とでも言えるではないか。では東と西へ同時に波動を飛ばし、集まった善意と悪意の量で
審判を下そうではないか!」
そう言うとファザー両手を広げて力を貯め込み、そして東に向かって悪意を放った。
黒い波動が大気を揺らして一気に広がった。
「この星を一周して再び悪意がこの場所に集まったら、我の力でこの星を滅ぼせるぞ」
ファザーは高らかに笑った。
「香帆、西を向いて善意を飛ばすのよ」
マザーの声に香帆は両手を広げ、西に向かって意識を集中した。
「さあ、善の光よ。行くのよ!」
香帆が念じて力を込めると、両手から沸き上がった光が波動となり、暗闇を切り裂いて、一気に
西へと広がった。
そして善の波動は地上を照らしながら地平線の向こうへと消えると、景色は再び闇に包まれた。
「なんだ、それっぽっちか……明らかに俺の勝ちだな」
ファザーは鼻で笑った。
忠通はふらつく香帆の身体を支えた。
勢いが違うのは目に見えて明らかだった。
今日は既に二回も光を放っていたので、力が弱いのは当然だった。
神の力試しに、人は誰も力を貸すことは出来ない。
無言の間に絶望が漂い出したとき、後方から愛と学が屋上に現れた。
「お姉ちゃん大丈夫? 弱っているとマザーから聞いたから助けに来たのよ」
「大丈夫じゃないけど、愛からはすでにマザーの分身を引き取ったのにどうして?」
「マザーの分身は私のことを気に入ってくれていて、少し残っていたのよ」
「そう、なら私に力を貸してくれる?」
「勿論よ。何すればいいの?」
「ファザーが悪の波動を飛ばしたから、善の波動を飛ばさないと人類は滅んでしまう。さあ手を繋いで」
香帆は愛と手をつなぎ、両手を広げた。
「さあ、善の光よ! 我に力を! 行け!」
香帆が声を上げると、広げた両手から光が沸き上がり、再び善の波動が広がった。
それは前回より明らかに大きかったが、悪意に勝てる勢いは無かった。
力を使い果たした香帆は、愛に支えられながらその場に座り込んだ。
「力が……足りないわ」
愛は香帆の頭部につけたカメラに気付いた。
それはライブ配信されていたカメラだった。
人々は真夜中を過ぎているのに人類の存亡を掛けた戦いに、テレビの前で釘付けになっていた。
「この映像を見ている皆さん。このままでは人類は滅亡します。どうか善の力と愛の力を下さい!」
愛の願いは瞬く間に全世界へと広がった。
そして人々は家の外に出て、日本に向かって祈りをささげた。
「悪意が戻って来るぞ。何かファザーを止める手はないのか?」
中村小隊長は隊員たちの顔を見廻した。
「マザーが力を使い果たしたなら、ファザーも力が弱まっている筈です。あの雷さえどうかすれば
倒して拘束できるんだが……」
立花班長の声に北波医官が続けた。
「我々の防護服は電気を通しません。先程は頭部を保護していませんでした。マスクを被り完全防備で
挑めば近づけるのでは?」
「そうだな、何もしないより、やれることはやってみよう」
「ファザーの弱点は水ですよね。水を浴びせれば動揺させられるのでは?」
学が後ろから具申した。
「濡れたら電気は地面に逃げるので、ファザーと我々が水を浴びたら大臣の身体に触れられますね」
「確かにそうだ。屋上に水道があればホースで水を噴射できないか?」
「以前テレビで見ましたが、落雪対策用の小型洗浄機があるはずです」
「準備して水を浴びせよう。床が格子状の金網だから、下から水を浴びせるんだ」
「良し、掛かれ!」
中村小隊長の命令に、一特防の隊員たちが静かに走り去った。
数分後、レシーバーから「準備OK!」と声が聞こえた。
そして数人が戻ると防護マスクを着用した。
「やれ!」
悪意を集めている大泉大臣の足元から水が噴き出した。
大臣は慌てて逃げ惑う。
「よし、今だ」
完全防備の隊員たちが大臣に飛び掛かった。
雷が放たれたが、四人で飛び掛かり押し倒した。
忠道も一緒に大臣を押さえつけて、悪意の綿帽子を確保しようと、容器を取り出し蓋を開けた。
「お前たちはどこまでも詰めが甘いな」
押さえつけられた大臣がニヤリと笑った。
忠道が身を起こすと、容器を持つ右手の甲に白いモヤが這っていた。
「しまった!」
忠通は一人立ち上がると、拘束バンドを取り出し、右腕を強く縛った。
「二度は憑依させない!」
そして愛に支えられて床に座る香帆を真っすぐ見つめた。
力を出し切った香帆は目を閉じ、気を失っている様だった。
「香帆、生きろ!」
「何をするの?」
愛が叫んだ。
「死ぬ気だ!」
学が答えた。
忠道は躊躇うことなく展望台の手すりを掴み、宙へと身を躍らせようとした。
スローモーションの中で忠通の足を誰かが掴んだ。
「死なないで!」
香帆が手を伸ばし叫んだ。
「宿主の意志で死を選べばファザーは死ぬんだ。俺一人死んで皆が助かるなら、喜んで身を投げるよ」
「駄目。死んじゃダメ。私を一人にしないで! 貴方が死ぬなら、私も一緒に飛ぶわ」
「それはダメだ。香帆は生きるんだ!」
「貴方が居ない人生なんて、生きる価値は無いわ!」
そのとき空気が震えて、何かが近づいて来る気配がした。
「悪意が戻って来る。あれが来たら誰もファザーを止められない」
真っ暗闇の景色が、恐怖に覆いつくされた。
「このままでは悪に負けて、全てが終わってしまうぞ」
「大丈夫。何とかなる。祈りましょう。それに死ぬなら忠通と抱き合って死にたい……」
「いや、最後の瞬間まで、生きることを願い続けよう。さあ……」
香帆は立ち上がり、忠道と手を取り合い抱き締め合った。
その後ろで学も愛を抱きしめていた。
一特防の隊員達も、防護マスクを外して両手を合わせて祈った。




