19.長い一日
時計は深夜二時を過ぎていた。
二人は立花班長に案内されて、薄暗い地下道を進んでいた。
「この地下道は戦時中に作られた避難用の通路で、駐屯地外の倉庫に繋がっています。今は、緊急時の
脱出ルートとして我々特殊武器防護隊が管理しておりまして、内密に出動するときに使っています。
倉庫の中には宿泊出来るエリアがありますので、今晩はそこで休んでください」
先頭を歩く立花班長の声が通路の中に反響して、疲労感がピークの身体には子守歌の様に聞こえた。
香帆は忠道の腕を取り、二人寄り添って歩き続けた。
薄暗くてかび臭い地下道でも、二人一緒なら怖くはなかった。
「もう七、八分、歩いたわよね」
「五百メートル位かな」
香帆の問いに忠道が答えた。
「ほぼ正解ですね。地下道の長さは五百二十メートルです。もうすぐ終点の上り階段に着きます」
そう言うと突然、頑丈な鉄の大扉が目の前に現れた。
戦前に作られた古い壁に近代的なセキュリティボックスが設置されていた。
立花班長は蓋を開けて幾つかのテンキーを押すと、ロックの解除音が鉄の扉の中で響いた。
班長が年季の入ったレバーを廻すと、鉄扉がゆっくりと開いた。
「この扉は爆風にも耐えられるように二十センチの厚さがあります」
そして扉が大きく開くと、目の前に上り階段が現れた。
「さあ、あと少しです」
階段を登りきると六畳程の殺風景な部屋があり、正面の壁には再び鉄の扉が現れた。
立花班長は、レバーを下げて両手で扉を押すと、ゆっくりと扉が開いた。
通り抜けて振り返ると、それはスチールで出来た書棚だった。
「これはカモフラージュで鉄の扉と一体になったキャビネットです」
立花班長が壁のスイッチを入れると照明が点灯し、そこは机が四つ並べられた小さな事務所だった。
部屋の両サイドには扉があり、一つ目は車庫に繋がり、もう一つは二階に上がれる階段だと説明した。
そして導かれて階段を上ると、二階は十二畳程の部屋になっており、左手にはキッチンとシャワー
ルームと書かれた扉があり、部屋の両サイドには二段ベッドが六つ並んでいた。
それぞれのベッドの上には毛布がしわ一つなくマットの上に被せられ、枕の上に折りたたまれて置かれ
た毛布も、六つのベッド全てが同じ形に置かれていた。
「ここは特殊武器防護隊専用の宿舎となっていますので、今晩はここでお休みください。明朝、
マルハチマルマル時……ではなく、朝八時にお迎えに上がります。キッチンには非常食が置いてあります
ので、好きなものを食べて頂いて構いません。冷蔵庫にはビールも冷えていますよ」
立花班長は一通り説明が終わると、二人に敬礼して部屋を後にした。
香帆は一番近いベッドに腰を下ろして、天井を見上げてため息をついた。
「長い一日だったわ」
「確かに。夜通し張り込みする事はあるけど、今日の疲れ具合は尋常じゃないよ」
忠道は冷蔵庫から缶ビールを取り出し、香帆に差し出した。
二人は蓋を開け乾杯して、缶ビールを傾けた。
「喉が渇いていたから……生き返るわ」
香帆はそう言いながら再び缶ビールを傾けた。
忠道は冷えたビールが空腹の胃袋に流れるのを感じながら、何故ここに二人居るのか不思議に思った。
そして香帆の顔を静かに見つめた。あの日以来、ずっと避けていた筈なのに、一緒に居るのが当たり前
の様な安心感で、心の奥底に押し込めていた香帆に対する愛しさが込み上げてきた。
疲労と睡魔で理性は機能を停止し、お互いの息遣いがやけに大きく聞こえた。
「ねえ、さっき話が途中だった……忠道の辛い思いを聞かせてよ」
香帆は真っすぐな視線で忠道を見つめた。その慈悲深い眼差しに嘘はつけない。
じっと見つめ合うと、愛おしさが忠道の心から苦悩と共に溢れ出した。
「俺は……例え殺人犯だとしても、この手でその命を奪ったんだ。だから……もう自分は人を愛しては
いけないと……」
「分かるわ。でも貴方があそこで犯人を止めなければ、もっと被害者が増えただろうし、私も殺されて
いたかもしれないわ」
忠道の脳裏に、路上に倒れた香帆の姿が浮かんだ。
「それは……絶対に……嫌だ」
「私はこうして生きているわ。そしてあの場に居た人たちも貴方が助けてくれたのよ」
忠道は静かに頷いた。
「貴方の罪は、私が許します」
香帆はベッド横の机に缶ビールを置くと、目の前に立っている忠道に手を差し伸べた。
「来て」
忠道は香帆の目を真っすぐ見つめると、吸い寄せられるように香帆の手を掴んだ。
ぐっと引っ張られた勢いで、そのまま香帆の腕の中に飛び込んだ。
「忠道、助けてくれて……ありがとう」
強く抱きしめられると、香帆の懐かしい香りが、忠道の胸一杯に広がった。
「忠道が目覚めて……本当に良かった」
柔らかい胸に顔が埋まると、あの日と同様に息が出来ない。
思わず顔を上げると、目の前に香帆の微笑みがあった。
そして柔らかい唇が触れ合うと、理性というタガが外れて本能の赴くままにお互いを求めた。
ボタンを外して服を剥がすと、重ねた肌に温もりを感じた。
荒い息遣いが交差し、毛布が波を打ってベッドが軋みだす。
二人の身体は一つとなり、激しく燃え上がって天に上った。
朝の光とコーヒーの香り。そして見慣れない二段ベッドの天井。
「起きた? コーヒー淹れたから顔洗っておいでよ」
女神様の声に愛おしさが沸き上がる。
天井の採光窓から差し込む朝の光で、キッチンに立つ香帆がキラキラと輝いて見えた。
「綺麗だ」
忠道の突然の言葉に、香帆は顔を赤らめて笑った。
「ありがとう」
忠道は無意識に出た言葉に内心驚いた。心の中にあった茨の茂みが消え去り、見晴らしの良い草原に
立つ感覚を覚えた。
「なぜか心が軽いよ」
「私もよ。この年まで貞操を守ってきたから、やっと三十路で大人の女になれたわ」
忠道は返す言葉が無かった。
自分も昨日までは女性を知らなかったとは言えない。
頭を掻きながら苦笑いでごまかし、洗面所で顔を洗った。
鏡に映った顔は、ひげ面で目の下には隈が出来ていたが不思議と疲れはなく、乱れた髪を整えて部屋に
戻った。
香帆はフードトレイに盛られたピラフと、湯気が立つコーヒーをテーブルに置いた。
「非常食を温めただけだけど、空腹のままだとファザーと戦えないでしょう。さあ、召し上がれ」
香帆の言葉に、機能を停止していた脳が記憶を呼び戻した。
あまりにも幸せな空間に浸りすぎて現実をすっかり忘れていた。
「俺のせいで色々ごめん」
「貴方が謝ることはないわ。悪人の命を奪ったとしても、沢山の人々を助けたのは間違えの無い事実よ。
だから私にとって貴方はヒーローなの。もう苦しまないで、私と一緒に前を向いて生きて欲しい」
忠道の目から涙が溢れた。
普段なら感情は抑え込んでいたが、今日は制御が効かない。
「もう、泣き虫なんだから……」
香帆は椅子から立ち上がると、忠道を抱きしめた。
「私がついているから、もう泣かないで……」忠道の頭を撫でながら、香帆は急にあっ! と声を発した。
「マザーがいらっしゃるのをすっかり忘れていたわ」
香帆は慌ててスマホを取り出して右手に持った。
「マザーごめんなさい」
「大丈夫。私も数千年ぶりに愛し合う喜びを味わえました。私からもお礼を言います」
香帆と忠道は真っ赤な顔で頭を下げた。
「貴方達は遠い昔から、繰り返し愛し合って子孫を残し、そして生まれ変わっても再びめぐり逢い、
愛を育んでいます。二人の出会いは定めなのです」
二人は静かに見つめ合い、マザーの言葉を聞いていた。
幼いころから一緒に居るのがあたり前だった。
物心ついたときから、ただ傍にいたいと強く願っていた。
その思いはどこから来たのだろうと不思議に思っていたが、何となく分かった気がした。
忠道は香帆に微笑みかけると、香帆は笑顔で頷いた。
「さあ、朝食をとって出発の準備をしましょう。迎えのマルハチマルマル時まであと三十分しかないわ」
二人は急いで朝食を済ませて身なりを整えた。




