16.奇跡の光
――今、すぐ忠道を目覚めさせてくれませんか……。
「そうね。愛する人を救うのが一番だわ」
そして部屋の扉が開き、中村小隊長たちが椅子を持って現れた。
香帆の左右に椅子を置いて姿勢を正した。
「初めまして。私はこの日本国を防衛する陸上自衛隊特殊武器防護隊小隊長の中村です。そして後の二人
は副長の藤木と北波医官です」
そういうと三人は同時に頭を下げて一礼した。
「貴方達がこの国を守っているのね。頼もしいわ」
中村小隊長はマザーの声が聞こえるスマートフォンを覗き込んだ。
そこには電話やラインの通話画面ではなく、香帆と妹の愛が並んで微笑む待ち受け画面だった。
「この部屋は外部からの電波を遮断しているので、確かにマザーの声はスマホのスピーカーから聞こえて
いますね」
小隊長は香帆の顔を見て、不思議そうな目をした。
「良かった。私の存在を信じてくれたのですね」
マザーの嬉しそうな声がスマートフォンから響いた。
「勿論です」
「では、真っ先に香帆の願いを叶えましょう」
「小花さんはいつマザーにお願いしたのですか?」
小隊長が驚いた顔で訊いた。
「マザーは心で会話できるので、私の願いが伝わりました」
香帆は真っすぐな目で小隊長を見つめた。
「分かりますよ。彼を目覚めさせるのが先決ですね」
「ありがとう御座います」
悲しみに深く沈んでいた香帆の心が、急に明るくなった。
「よく聞いて下さい。意識の無い人に宿っている私には何の力も出ません。意識のある人に宿らないと
彼を目覚めさせることは出来ないのです」
マザーはそういうと間を置いた。
「私の身体を使って下さい!」
香帆はスマホに向かって懇願した。
「分かりました。貴女の決意を聞きたかったの。でも安心して。貴女の意識を奪うことはありません。
貴女の中に居て、必要な時に声を掛けます」
「宜しくお願いします」
香帆は忠道を救うことが出来るのならば、たとえ地獄に落ちても良いと思った。
そして静かに目を閉じた。
「手に持つ道具はそのまま握っていてね」
香帆は頷き、ゆっくりと息を吐いた。静寂に包まれた部屋の中で、早まる心臓の鼓動がやけに大きく
聞こえた。
そして繋いでいた忠道の手が急に温かくなり、その熱が香帆の手に伝わった。
そしてその温かいものが手首から腕へと伝わり、そして肩へと血管を流れる様に、首から頭部へと
移動した。
香帆の呼吸が荒くなる。
「大丈夫よ。もう貴方の身体に来ました。息を整えて。彼と繋いだ手は放して良いわ」
香帆はゆっくりと目を開けて、握っていた手を離した。
「それでは、右手を彼の額に近づけて下さい」
香帆は静かに中村小隊長の顔を見た。
「何か異常があったら、我々に構わず部屋ごと封鎖するんだ」
「了解」
日夜、訓練を積んだ隊員達は小隊長の命令の意味をかみ締めていた。
それは隔離室の人間の命より、危険を外部に漏らしてはいけないというバイオセーフティレベル4の
施設の鉄則だった。
モニタールームに残った四人の隊員達は、無言でそれぞれの持ち場についた。
「準備完了」
スピーカーの声を受けて、小隊長はマジックミラーに向かって親指を立てた。
そして香帆と目を合わせて頷いた。
香帆は小隊長に軽く微笑みながら、忠道の額に手を近づけた。
「彼を助けたいのですね」
マザーが訊いた。
「はい、助けたいです」
「貴女は彼を愛していますか?」
「心から……愛しています」
「では彼を救う言葉を……強く願って下さい」
「はい」
香帆は静かに目を閉じた。
――忠道、帰ってきて! 私の所へ帰ってきて! 私の顔を見て……
また笑って欲しい。忠道が居ないと、私、一人では生きていけない!
お願い、目覚めて!
静寂の中、香帆の願いが心の中で響き渡った。
そしてその願いは心から飛び出し、この場に居た隊員達の脳裏に木霊した。
香帆の細い指先が微かに光を帯び、黄金色の光の粒が零れだした。
それはゆっくりと空間に広がり忠道の頭を包んだ。そして輝きが増すと、その光が波を打つ様に一気に
部屋中に広がり、忠道の全身が光の衣に包まれた。
中村小隊長はその光景を見逃さないと目を細めた。
その奇跡の光は、小隊長の心の奥底に降り積もった悲しみの大地を照らした。
爆発事故に巻き込まれて小隊長の腕の中で息を引き取った部下の顔、災害派遣で救助が間に
合わなかった人々の最後の姿、海外派遣先で爆弾テロの現場で見た地獄絵図……すべての記憶が
光に照らされて溶け出し、中村小隊長の目から涙と共にとめどなく溢れ出た。
小隊長は男泣きしながら、他の二人の隊員も泣いているのに気付いた。
そして光が次第に収まると、香帆の右手は忠道の額に置かれていた。
「温かくて……柔らかい、香帆の手だ……」
忠道の目から涙がこぼれた。そして開いた目は香帆の顔を見ていた。
「お帰り!」
香帆が泣き顔で微笑む。
「ただいま」
香帆は忠道の胸に飛び込んだ。
そして忠道の両手は嗚咽している香帆の身体を優しく抱きしめた。
「マザー、忠道を助けてくれてありがとう御座いました」
「彼を目覚めさせたのは、貴女の力よ」
スマホのスピーカーからマザーの声が聞こえた。
「私は願っただけで、何もしていません」
「いいえ、貴女の彼に対する強い思いが光を生んだのよ」
香帆は驚いた表情で隊員達と顔を合わせた。
「私は今の光で禍根が消え、心が洗われました」
中村小隊長はタオルで涙を拭きながら答えた。
「光は奇跡を導きます。我々はその奇跡の手助けをしているだけです。遠い昔、我々がこの星に命を
与えたとき、我々の分身がそれら新しい命に宿りました。そしてその分身が長いときの流れの中で
受け継がれ、そして貴女の身体にも私の分身が存在するのです。その分身は他よりも大きく強い慈悲に
満ちた意思を持っていました。私は貴方の心を解き放つ手伝いをしただけです」
香帆はきょとんとした目でスマホを見つめた。
「これまで私の身体の中に、マザーの分身が存在しているなんて、気づきませんでした」
「私がこの星で分け与えた分身は、親から子へ、子から孫へと代々受け継がれていき、そしていつの間に
か、その分身は本人の意識へと馴染んでいったのです」
「それは我々も一緒なのですか?」
忠道が起き上がって訊いた。
「そうです。男も女も関係なく、貴方たちの身体にはファザーとマザーの分身が存在しています。但し、
その存在は、ファザーが強いのか、マザーが強いのかで、その人の人生に与える影響が変わってきます。
特に強力なファザーの意思が受け継がれた場合、戦乱を招き人々を恐怖に陥れるような暴君が出現した
かもしれません」
その場にいた全員が唖然とした顔で言葉を失くしていた。
それぞれの脳裏にはナポレオンやヒットラーの名が浮かんでいた。
「――ということは、普通の人なのに、突然、魔が差して大事件を引き起こすのは、ファザーの力が
強すぎたということなの?」
香帆が訊いた。
「確かにあり得るな。逮捕された後の取り調べで、誰かがやってしまえと囁いたからとか、供述する奴も
いるからな」
忠通の話に中村小隊長が頷き、言葉を続けた。
「ファザーの悪意は質が悪いな……。だからマザーの存在が必要なんだよ。魔が差さない様に悪意を
止める役目として……」
全員が同時に頷いた。
「貴方達が何か危険な場面に遭遇し、右に逃げるか、左に逃げるか決断を迫られたとするでしょう。
そのときに右だ! と決断するのが、我々の分身の役目なのよ」
「ということは、マザーの力が大きい場合は、困った人々を助ける救世主の様な人が生まれるという
ことですか?」
香帆が訊いた。
「そうよ。貴方たちの歴史の中で、困難な状況にあっても人々を救済し、良き方向へと導いた人が
いたと思います」
香帆は主要な宗教の開祖の名や、ナイチンゲールや杉原千畝の名が浮かんだ。
「今、この世界が幸福に満ちているのか、悪に支配されているかで、審判を下す筈でしたが、ファザーと
マザーが分離した今、ファザーは暴走し、審判を行うこと無く、この星を滅ぼす役目をすでに始めた
のです」
「だからファザーが憑りついた人々は、無差別殺傷事件を起こしたのですね」
「そう、小さなファザーなら傍に居る人々にだけ危害を加える程度ですが、分離したファザーの分身が
集結したら、知恵を使って大勢の人々を一度に滅ぼそうとします。だから一刻も早く、どこかに
散らばっている分身か、憑依された人々を取り押さえて、抜け出したファザーを回収していくしか
ありません」
「ということは、今晩、総理大臣に憑りつこうとしたファザーは、総理大臣の権限を使って何か大変
なことを企てていたということでしょうか?」
中村小隊長が身を乗り出してスマホに訊いた。
「彼が止めてくれたおかげで、最悪の事態は阻止されました。ただ……」
マザーの沈黙に、忠道が声を上げた。
「私の身体の中にいたのは、本来のファザーを百とすれば、どの位なのですか?」
「そうね。三分の一位かしら」
全員が驚愕した。
「では、まだ三分の二のファザーの分身が、彷徨っているということですか?」
「小さく散らばっていればいいけど、もし三分の二が一つになっていたら、今の私にも止められかどうか
分からないわ」
「ファザーが三分の一なら、今のマザーも分離されたのですか?」
「私はファザーよりも事故の衝撃は小さかったので、今の私は三分の二位かな。だからファザーを
止めるのと合わせて、私の残り三分の一も回収して欲しい」
中村小隊長が立ち上がった。
「であれば、ここでのんびりしていられないですね。我々はどう動けば良いのでしょうか?」
「動き出す前に、決めて欲しいことがあります」
そう言うとマザーは間を置いた。
その場に居た全員が顔を見合わせて何を? と疑問に思ったとき、香帆が切り出した。
「私……マザーの気持ちが分かりました。私の身体にずっといて下さい」
「ありがとう。彼より香帆の方が同性だから居心地が良かったわ」
香帆は忠道に向かって申し訳ない顔で微笑んだ。
「俺と一緒だとマザーに危険が及びそうだから、香帆に居て貰った方が有難い」
忠道はそう言いながら、内心安堵していた。
敵と対峙したとき躊躇することが命取りになるので身軽な方が良いと思っていた。
だがマザーの話で祖先から受け継がれたファザーとマザーの意識が存在することを思い出した。
――俺の意思は俺が決めていたのではないのか?
考えれば考えるほど迷宮の奥へと迷い込んでいる気分になった。
「忠道、貴方の心には強いファザーの意識と、それを包み込むもっと大きなマザーの心が居ます。そして
貴方の意思はマザーやファザーを超越した貴方自身が決定しています。安心しなさい」
忠道は心の声に答えたマザーに驚いた。
「私の内面の意識がマザーには分かるのですか?」
「私が貴方に憑依したとき、貴方の身体にいるマザーと再会しました。そしてマザーの意識は再び
繋がって、たとえ離れていても心は通じているのです。だから今、私は香帆の身体にいるので、もし
あなたが強く願うなら、香帆の意識とも対話できますよ」
忠道は急に下を向いて両手を膝の上で握りしめた。
そして心の中で渦巻いている漆黒の闇に蓋をしたい衝動にかられた。
――こんな心を覗かれたくはない。
「香帆の光を受けても、貴方の心の中は解放されなかったのですね」
マザーの優しい声がスマホから聞こえた。香帆は忠道の姿をじっと見つめていた。
「忠道、昔は何でも言い合えたよね。辛い思いを抱えているなら私に話してよ」
忠道は視線を上げて香帆の顔を見た。
心配そうな表情は、いつも以上に綺麗だった。
「俺は……」
そのとき部屋の扉が急に開き、コントロールルームに居た立花班長が飛び込んできた。




