15.綿帽子
コントロールルームでは隊員達がテーブルに置かれたパスタの瓶を囲んで、中の様子を伺っていた。
綿帽子は瓶の中をゆっくりと揺れながら動いていた。
「こいつは漂うだけで、自ら飛ぶことは出来ないようですね」
「ネットに挙げられた映像でも、風に吹かれて動いていましたが、意思を持って飛んでいる様には
見えませんでした」
「よし、では遅番の班でこいつを分析してくれ」
「了解」
パスタの瓶を抱えて数人の隊員がコントロールルームを後にした。
香帆は強化ガラスの傍に立ち、中の忠道をじっと見つめていた。
「ファザーが全部抜け出たのか不明なので、暫くこのまま隔離しておきたいのですが如何でしょうか?」
小隊長は香帆に訊いた。
「はい、意識が戻るまでは出さない方が良いと思います」
「分かりました。小花さんは中に入りますか?」
「はい、傍に行きたいです」
小隊長は隊員に指示すると、香帆にペットボトルの水を二本手渡した。
香帆は開いた密閉扉を通り隔離室の中へ進むと、後方から扉が閉じられてロックする音が聞こえた。
「何かあったら声を出して頂ければ、すぐ開けますし、コントロールルームには最低三人は詰めています
ので、必要な物があったら言って下さい」
「ありがとうございます」
香帆はマジックミラーの中央に向かって軽く頭を下げた。
そして部屋の隅に転がっていた丸椅子を拾い上げて、ベッドの横に置いた。
腰を下ろし忠道の顔を見ると、頬には擦り傷と眼の廻りにはアザができていた。
香帆はハンカチを取り出すとペットボトルの水で濡らして、忠道の顔をそっと拭いた。
「忠道、香帆よ。聞こえる?」
忠道の手をそっと握ると温もりを感じ、不安な気持ちが少し和らいだ。
久しぶりに繋いだ手の感触は昔と違い、ゴツゴツしていた。
手の甲にある拳ダコが鍛錬の日々を物語っていた。
高校時代はいつも忠道と学が傍にいて、二人とも何を考えているのか手に取るように分かったが、
あの無差別殺傷事件の後から、忠道は謹慎中だと言って会うのを避けていた。
口数も減り、想いを伝える言葉も言わなくなった。
苦しんでいるのなら、助けてあげたい。
悩みがあるなら聞かせて欲しい。
心から願っても、二人だけで話せる時間が取れなかった。
そしてこのまま意識が戻らなかったらどうしよう……と、不安と悲しみの感情が込み上げてきた。
――貴方が居ないと……私は一人で寂しい。私の所に戻ってきて……。
香帆は心から願った。頬を伝わる涙が一滴、手の甲に落ちた。
――あなたは彼の事を愛しているのですね……。
女の声が聞こえた。
「誰なの?」
香帆は辺りを見回したが、忠道以外には誰もいない。
――私はマザー。今、彼の身体にいます。そして繋いだ手を伝って、あなたの意識に話しかけています。
香帆は混乱し、思わず忠道の手を離した。背筋に悪寒が走り、手が震える。
動物は未知のモノに遭遇すると、身を守るためにアドレナリンが分泌されます……と高校時代に生物の
授業で聞いた先生の言葉が、脳裏をよぎった。
「小花さん、誰と話しているのですか?」
天井のスピーカーから中村小隊長の声が響いた。
香帆は一瞬、躊躇したが、新聞記者が事実を曲げることは出来ない。
「今、女性の声が聞こました」
「誰の声ですか?」
「世利刑事の身体に、マザーと云う方が居て、握った手を通して私に話し掛けてきました」
沈黙の間、疑問符が飛び交う。そして男たちの驚く声が聞こえた。
「そうか、ファザーが居たなら、マザーも居るのか!」
小隊長の声が響いた。
香帆は深呼吸を繰り返し、落ち着くんだと自分に言い聞かせた。
「対話が出来るなら、もっと話を聞いてくれませんか?」
「はい」
香帆は恐る恐る忠道の手を握った。
「マザーさん、聞こえますか?」
――さんをつけられると少し変ね。マザーと呼んで下さい。
「はい、ではマザー。いくつか質問して良いですか?」
――勿論よ。
その丁寧な話し方は、幼稚園の園長先生の様だった。
「ファザーは身体から出たのに、マザーは残っているのですか?」
――そう、ファザーは水が苦手。でも私は平気。
「貴方は誰ですか? そして何処から来たのですか?」
――我らはファザーが言った通り、万物を司る神々。星を誕生させて海と台地を作り、生命を授け、
その星の繁栄を見守る。そして悪しき者が支配し万物に悲しみを与えているなら、その生命は終焉
迎えます。我らはその審判のために全宇宙を巡って終わりのない旅を続けています。
香帆は脳裏にいくつもの疑問が沸いたが、これは取材だと割り切って質問を続けた。
「では万物を司る神が、どうして人に憑依して、無差別殺傷事件を起こしたのですか?」
――そのことは謝罪しなければなりません。本来、我々はファザーとマザーが一体となり、善と悪を
司っていました。ファザーは破壊神でマザーは守護神。そして私は破壊神のファザーが暴れるのを
防いでいましたが、我々が乗った舟が壊れて爆発し、我々は進んでいた方向へと飛ばされたのです。
そして目的地である地球の大気に突入したとき、大気との衝突で我々の意識が四散したのです。
そしてファザーとマザーは分裂してしまい、ファザーが勝手に暴走を始めて、憑依された人々が
凶行に走ったのです。
マザーは話を止めて間を置いた。
「少し待って頂けますか。今の話をガラス窓の向こうにいる仲間に伝えさせて下さい」
香帆はそういうと、マザーの話を要約して中村小隊長たちに伝えた。
「万物を司る神様って本当に居るのか? 信じられないが、今、起きている事実を踏まえると嘘だとは
思えないな……。マザーの話を俺たちも聞きたいが、何か手段は無いか聞いてくれないか?」
「マザー、私一人で話を聞くのは役不足なので、ガラス窓の向こうにいる陸上自衛隊の特殊武器防護隊の
中村小隊長以下、隊員の方々にも、話を聞かせたいのですが、手段はありませんか?」
「今、貴方たちの世界で使っている遠隔で話せるものはありますか?」
香帆はすぐさま、鞄からスマートフォンを取り出した。
「これは離れても会話が出来るスマートフォンという道具です」
「それを手に持ったまま、音が出る様にできますか?」
「はい」
香帆はスピーカーの音量を上げた。
「貴方の身体を通ってスマートフォンから声を出したいけど、いいですか?」
「はい、どうぞ」
香帆は無意識に返事をしたが、マザーの言葉の意味を考えると、急に身体が震えた。
「大丈夫。貴方の意思を奪うことはしないわ。ただ言葉を伝えるだけよ」
マザーの優しい声に、香帆の心は冷静さを取り戻した。
「お願いします」
香帆は頭を下げて眼を閉じた。すると忠道の手から体温より暖かいものが伝わり、それが手首から
肘、そして胸を通り過ぎて左手へと移動した。
スマホを握る左手が次第に熱くなった。
「私の声が聞こえますか?」
スピーカーからマザーの声が聞こえた。
「はい、聞こえます。中村小隊長も聞こえますか?」
「良く聞こえます。では最初に教えてください。四散したファザーの分身がまだ沢山散らばっていると
思いますが、マザーはファザーが暴れるのを止めて頂けますか?」
「勿論よ、そのためにこうして話をしています」
「良かった。ではマザーは我々の味方ですね」
「貴方達はすぐ敵か味方か分けたがりますが、正しい道を信じれば、おのずと神は味方します」
「ありがとうございます。では顔が見えないと話し難いので、我々三人もそちらに行って良いですか?」
「どうぞ。顔を見せて下さい」
香帆はどこから見ているの? と疑問が沸いた。
「大丈夫よ。貴方の目を通して私も見えています」
「私、今、言葉を喋っていませんでしたが、私の考えが分かるのですか?」
「貴方の意識と会話したから、声に出さなくてもあなたが思ったことは伝わるのよ」
香帆は全ての事がお見通しならば、真っ先に訊きたかったことを願った。




