11.憑依
忠道はナビを操作して警察庁長官の官舎を確認すると、赤色灯を消し、サイレンを鳴らさずに
パトカーを発進させた。
皇居横の内堀通りを進み、最高裁判所前を通過して二つ目の路地にハンドルを切った。
そして官舎への通用門の手前でパトカーを静かに停車した。
官舎の通用門は開いていた。忠道は警棒を手に車を降りて、通用門の柱から中の様子を伺った。
玄関前に続く車寄せには、大勢の人が倒れていた。
忠道は辺りを警戒しながら近づき、一番手前の男の首筋に手を当てた。
脈はある。負傷した様子もなく、身なりも乱れていない。
そのとき近くでうめき声が聞こえた。
辺りを見回すと、数人先に警官が倒れているのに気付いた。
急ぎ近づくと、頭部から血が流れ、徐に腕が上がって傷口に手を当てた。
「おい、大丈夫か。しっかりしろ! 俺は刑事だ。誰にやられた?」
忠道はショルダーバックの救急セットから止血ガーゼを取り出し、警官の傷口を押さえた。
「突然、大勢の男たちがやってきて襲われました。そして官舎から出てきた坂口長官も男たちに
囲まれたのですが、何故か男たちが次々と倒れて、そして坂口長官が一人立ち上がって、門から
出ていきました」
「それは本当か?」
「間違いありません」
――ということは、逃亡犯達に憑依していた悪意が抜け出して、長官に移ったのか?
忠道は警官の無線機を借りて救急車を要請した。
そして急いでパトカーに戻ると、車を走らせながら、車載無線で北沢係長に状況を報告した。
「何! 坂口長官に悪意が憑りついたというのか?」
「現場の状況から、それしか考えられません」
「分かった。本庁に連絡を入れるが、十五分後に、総理大臣が会見を開く予定だ。そのときに坂口長官も
同席する予定だから、すぐ危機管理センターに向かってくれ。特殊武器防護隊もそっちに行かせる」
「了解」
忠道はパトカーのサイレンを響かせて二四六号線を走り、総理官邸のゲート前で車を止めた。
そして警察手帳を掲げて、ゲートを開ける様に要請したが、私服でパトカーに単身乗り込み、
中に入れろと懇願する男は、どう見ても不審者にしか見えない。
そのうちに警備の隊員達がパトカーを取り囲んだ。
「私は横浜署の世利で、石村総理に呼ばれて来たんだ。本庁の特別チームに聞いてくれ」と声を上げた。
ゲート奥の警備ボックスから一人の隊員が駆け寄り、世利さんですかと問いかけ、警察手帳を確認した。
「世利警部補、失礼しました! ゲートを開けろ!」
隊員達がさっとパトカーから離れて、危険人物が急に身内に変身した。
喉まで出かかった啖呵を飲み込み、忠道は敬礼して、ゲートを通過した。
パトカーを車寄せに沿って走らせ、玄関正面で止めると、三人のSPが駆け寄ってきた。
「世利警部補ですね。SPの木暮です。合同捜査本部から、協力するように要請がありました」
忠道はパトカーを降りて礼を言いながら、記者会見室へと足早に進んだ。
「細かい説明は省きます。坂口長官が襲われて悪意に乗っ取られた様です。何を企んでいるのか不明
ですが、総理大臣の身に危険が及ばない様に、坂口長官を人気の無いところへ連れ出し拘束して下さい」
「勿論、協力しますが、メディアが生放送で撮影している中、騒動を起こさずに連れ出せますか?」
「状況に応じて臨機応変にやるしかありません。それと長官を拘束出来た場合、長官の頭部から、
白い綿帽子が抜け出す可能性がありますので、それには触れないでください」
「触れたらどうなるんですか?」
「多分、その綿帽子は悪意の塊で、憑依される可能性があります」
「分かりました」
四人は記者会見室横の通路を進み、開いた扉から中を覗いた。
まだ石村総理は到着していない。
記者席は埋まり、後方には各局の撮影クルーがテレビカメラの調整を行っていた。
そして会場の中央に、輝きを放つ香帆の顔が見えた。
「坂口警察庁長官が何処にいるか聞いて頂けませんか?」
木暮SPはすぐさま襟に付けた小型無線のマイクに向かって問い合わせた。
「会見室の裏手にある控室で待機しているそうです」
「そこで確保出来ればいいが……」
「もう会見が始まります」
躊躇している内に、裏手の控室扉が開き、SPに囲まれた石村総理が現れた。
そして記者会見室の演台へと進んだ。
司会者が会見の始まりを告げ、総理が状況の説明を始めた。
そして反対側の扉が開くと、坂口警察庁長官が姿を現した。
「向こう側のSPに坂口長官の様子が変なら、阻止するように伝えてくれ」
忠道の声に、木暮SPが小声で小型マイクに囁いた。
イヤホンで聞いたSP達の視線が急に厳しくなり、記者会見室の空気が張り詰めた。
忠道はどこで止めたら良いのか迷った。
ふと視線を感じて記者席に目をやると、香帆が胸元で小さく手を振っていた。
忠道の心の奥底から、ふつふつと何かが沸き上がってきた。
――香帆を守る!
総理の前ぶりが終わり、司会者が坂口警察庁長官による捜査状況報告を行うと告げた。
石村総理が演台を降り、坂口長官の方へ歩みを進めた。
そして長官が握手をしようと手を差し出した。
「握手をさせるな!」
忠道の声が記者会見場に響き渡った。
会場にいた香帆が目を見開き、驚く様子がスローモーションの様に見えた。
SP達が石村総理を取り囲み、坂口長官の後ろにいたSPが長官の肩を押さえて腕を下ろさせた。
二人の距離が広がり、総理が囲まれながら離れようとした瞬間、坂口長官が左右に居たSPを
なぎ倒し、演台を蹴って石村総理の方へ高く飛び上がった。
それは普通の人間では出来ない跳躍だった。
「いかん!」
忠道は咄嗟に飛び出して、石村総理の前に立ち、空中で降下を始めた坂口長官の腕を掴んだ。
そして背負い投げをするように、床に叩きつけた。
記者席から悲鳴と共にフラッシュが一斉に光り、後方では各局のレポーターがマイクを握りしめて、
突然起きた騒動をカメラに向かって叫んでいた。
忠道は掴んだ手を捩じり、床に押さえつけて、凶器を持っていないか、腹部を確かめた。
坂口長官は、忠道が抑えているにも関わらず、逃れようと暴れ出した。
突然の凶行に唖然としていたSP達が、我に返って坂口長官に飛び掛かった。
五、六人のSPが折り重なった瞬間、そのSP達が浮かび上がり、忠道が掴んでいた長官の腕が
ボキっと音を立てた。
そして忠道とSP達は記者席へなぎ倒された。
記者たちが我先に、床を這いつくばって逃げ回る。
そして床に倒れた坂口長官に、SP達が覆いかぶさった。
そのとき長官の頭部から白い綿帽子が沸き上がった。
「出たぞ! 気をつけろ!」
忠道が声を上げた先には、腰を抜かして床に座り込んだ香帆の悲しげな顔が見えた。
白い綿帽子は漂いながら香帆に迫った。
忠道は坂口長官の手を放し、転がったパイプ椅子を拾い上げて、白い綿帽子に振り下ろした。
何の手ごたえもなく、椅子は床を叩き、乾いた音が悲しく響いた。
忠道は香帆の前に立ち、振り下ろした椅子をそっと持ち上げた。
「奴はどこだ?」
白い綿帽子は、パイプ椅子を掴んだ忠道の手にまとわりついていた。
パイプ椅子を離し、手を振るが、白い綿帽子は離れない。
そして手の甲に吸い込まれるように、小さくなり始めた。
「しまった!」
忠道は振り返ると香帆に悲しい視線を送って、腰の手錠を取り出し、自分の右足に嵌めた。
「俺が憑依されたら、ティザー銃で動きを止めてくれ。特殊武器防護隊が来たら運び出し、密閉室に
隔離して綿帽子を抽出して欲しい!」
忠道はそう言いながら、腰の拳銃と手錠の鍵を木暮SPの足元に滑らせ、警察手帳とパスタの瓶が
入ったショルダーバッグを香帆に投げた。
「香帆、後の段取りは頼んだぞ!」
そう言い残すと、忠道は自分の右手に手錠をかけて、自ら床に転がった。
「忠道!」
近づこうとする香帆に、忠道は右手を広げて、近づくなと最後の意思を示した。
「誰だ、来るな!」
忠道の叫び声が悲しげに響く。そして忠道の抵抗する力が抜けて、動きが止まった。
辺りが静寂に包まれる中、全員の視線とカメラが忠道に焦点を当てた。
すると忠道の手足が操り人形の様に不自然な動きを始めた。
そして首を振りながら、ゆっくりと起き上がろうとするが、バランスを崩して再び床に倒れた。
右足と左手が手錠で繋がった状態では、上手く立ち上がることは出来ない。
忠道は嵌められた手錠を視認すると「鍵をよこせ」とSPに鋭い視線を送った。
それは香帆が知っている正義感の塊の忠道ではなく、あきらかに別人だった。
誰も動かないと悟った忠道は手錠を外そうと暴れ始めた。
「駄目よ。忠道を傷つけないで!早く、誰かティザー銃を使って!」
香帆が叫んだ。
すぐさま、木暮SPがティザー銃を取り出し、忠道の背中を狙って引き金を引いた。
ウッと声が上がり忠道の動きが止まった。
「気絶したか?」
SP達は距離を取りながら様子を伺う。
「特殊武器防護隊が来るまで手を出さないで!」
香帆は忠道と相談した段取りが、まさか忠道本人のために指示するとは夢にも思わなかった。
そして忠道が守ってくれなかったら、自分が憑依されて、他人を傷つけていたのかと思うと、背筋が
凍り付いた。
そして目の前にスクープが横たわり、ベストポジションだと思いながら、カメラを構える記者魂は
失せていた。
――どうやって助ければ良いの?
絶望感に包まれる中、「避難して下さい!」とSP達の声が響いた。
記者たちは身の危険を感じて、出口に向かったが、撮影クルー達はスクープ映像を逃すまいと、床に
倒れた忠道にカメラを向けたまま、梃子でも動かぬ様子だった。




