浮世の夢
目の前には『お花畑』があった。地平線まで続く様な色とりどりの花が柔らかな風に揺れている。ふわりと鼻孔をくすぐる香りは強くもなく、とても居心地のいいものだった。何ならここにずっと居たい。そう思ってしまう程に。
……天国?
訝し気に心の中で独り言ちる。よく記憶を思い出して見てもよくわからないが、あの魔法を飲み込んでから記憶が無いので卒倒して死んだかだろうか……。
いや、待って。死ぬとは聞いていないのだけれど。
辺りをぐるりと見回しても誰もいない。何もない。空は茜が混じった淡い青で、星一つ浮かんでいなかった。けれどそれを不安とも孤独とも感じないのはやはり天国だからだろうか。
「困ったなぁ」
はぁ。と一つ息を付いてから大の字に倒れていた。死んでる場合ではないとは言っても、どうやって此処から出れば良いのか分からない。
ぼんやりと自身の血だらけの手を眺めてから苦笑を浮かべる。皮が捲れて血だらけの手は治してくれないらしい。忘れていた痛みがじわりと襲ってくる。それをぐっと握りしめるようにして拳を固めていた。
「……どうしたら」
「大丈夫よ。そんなに時間は取らせないわ」
さくっと地面を踏みしめる音と共に聞こえたのは鈴のような柔らかな美しい声。居なかったはずである女性の声に私は反射的に上半身を起こすと、ぱちりと淡い水色と目が合った。鼻と目の先。遠きのような滑らかな肌がめいいっぱいに視界に入る。
近――っ。
慌てて後ずさっていた。
「あら? 驚かせちゃった?」
ニコニコと女性は笑ってしゃがんでいた身体をすっと伸ばしていた。
何だろう。会う人は美形がやたら多いのは。いや、もはや人外では。などなど考えるがそれほどまでに目の前の女性は美しかった。スラリと伸びた手足。滑らかな肌。整った顔立ちは女神のごとく。淡い水色の双眸と銀色の髪。些か古めかしいワンピースを身にまとっていた。ただし生地は厚みがあり、上ものだと言うことが私の目から見ても分かる。
少しだけ垂れ目の優し気な雰囲気を身にまとっていた。
というか、何処から来たんだろう――幽霊、にしては影も足もある。私は驚いてバクバクした心臓を何とか落ちつがせるとゆっくりと立ち上がっていた。
「ごめんね。そんなつもりは無かったのだけれど」
「あ、あなたは?」
「あら。分からない?」
茶目っ気に笑うが、分からない。困惑した表情を浮かべると『冗談よ。ごめんね』と笑っている。その間に『かわいい』とか楽し気に挟まれるのは何故だろう。
すっと彼女は背筋を伸ばして胸に手を当て、軽く膝を折った。まるで絵本に書いてある昔の挨拶のように。
私はどうしていいのか分からずにぺこりと頭を下げるのみである。正しいのか――もちろん正しくないだろうけれどこれしか分からなかった為だ。
「私は、浮遊島最後魔の主――ロード・エクスセンス。エクスでいいわ。初めまして。エリアル・リッチさん」
「浮遊……主?」
ええ――と困ったように笑ってから肩を竦めていた。
「かといっても浮遊島はあの有様で、ここは私の精神世界なんだけれど。まったく、不甲斐ないわよね。私はあの程度しかできなかったなんて――」
「ま、待ってください。浮遊島の主って、竜?」
いや、それ以外無いのだけれども。だけど竜は――先輩を残して滅んだはずだ。何故という視線にエクスは目をぱちぱちと瞬かせた。
「えっと、滅んだのでは?」
「身体はないわよ? だからここに居る。ここにしか居られない夢のようなものよ。ここでしか世界の行く末を見ることができないの。誰かの干渉がないと人にも触れられない」
「……夢」
「ええ。貴方にとってはね。いずれ目が醒めるわ。そうしたら――あ。そうだ」
ぱちんと掌をエクスは合わせ、ととと、と小さな歩幅で私の隣に立った。身長は私より一回り大きいだろうか。胸は言わずもなが。縊れた腰は寸胴の私とは比べ物にならない……。悲しくなって一歩距離を取ったが詰めてくるのは何故だろう。しかも嬉しそうに。
なぜかとても居心地が悪かった。
「うちの子とはどうかしら? 上手く行っているかしら? あの子はヘタレだから、貴方がぐいぐいとね……」
これは近所のおばさん臭がする……。いや、うちの子って……若干引きつりながらその整った顔を見つめると既視感があった。
……あ。よく見ればパーツが似ている。先輩に。
「先輩の、お母さん?」
「正解。ふふふ。お嫁さんが可愛い。残念ながら夫は無くなってるから紹介は出来ないのよ。ごめんなさいね」
むぎゅうと手に顔を挟むのは止めてほしい。そして、嫁って。どうして思考がそうなったんだろう。
「あの、嫁では無くて。友達で」
「何言ってるの。うちの子の為に命掛けてる時点で嫁じゃないなんて在りえないわ。過去がどうだろうかいいじゃない。あの子も貴方も。単純に好きでしょう? 嫌かしら?」
二択。
嫌いとは言えないので『好き』しか無いわけだけども。何となくずるくないかなその質問。『ぐぅ』と唸るしかない。
「ふふ。あの子は貴方が大好きだわ。愛してるわよ」
……何故だろう。本人に言われたわけでも無いのにジワリと頬が赤くなった。きっと違うのに。
「それは私が助けて……別に恋人とか……そう言うのでは、なくて。私も――私は先輩の保護者で……」
「ずっと一緒って約束したんでしょう? 告白ぽくないかしら。そこまで言っておいて無自覚って小悪魔はよくないわよ」
どうしよう。逃げ出したいのに逃げ場が足りない。
「こ、小悪魔っ。でも、そ、れは。家族で。私は」
「でも、愛してるでしょう?」
「――あ、い? 」
ぶあっと顔に熱が灯ったように赤くなった。それを見て『あら、かわいい 』とまた満足げにエクスは笑っている。
悔しい思いで睨むしか無かった。
そんなの。分からないのに。例えば、私が好きでいても、相手が好きでいるという保証は何処にも無いのに。
だから。
きっと私は愛していないと思う。
「わ、わたしは」
溜息一つ聞こえて、軽く視線を上げていた。
「まったく――此処からは本人同士の話ね。あのヘタレがどうでるかしら? ま。話は変わるけれど私が貴方を呼んだのは力を貸すためよ。ほらうちの子、ヘタレでも父親譲りでね力だけは強いし頑固なのよねぇ。なので、貴方の力でねじ伏せないと納得しないでしょう。殺せ――そう言ったくらいだし」
「ねじ伏せる」
何。その脳筋。どう考えても無理なのだけれども。そして私は保護者と言えど先輩に暴力を使ったことは一度もない。いや、誰に対しても暴力は無いな。いくら脳筋一家と言えど。
ちらりとエクスを見ると満面の笑みだ。
「さぁて。『精霊契約』をしましょう? ここにある私の力をすべてあげるわ。ちなみに旦那の力も使ってね。残ってるから」
すっと伸ばされた滑らかな指が私の指に触れ、軽く絡めるように繋いだ。ひんやりとした手だ。まるで石に触れているかのような。
「精霊契約?」
「そ。本当は魔力を渡したいけれど、エリアルちゃんには無理だから。それがベストよ。そうしたら」
「先輩を救える?」
その問いにエクスは笑みを深め、私の手を口元に持っていく。何処か悲し気に見える水色の双眸。薄い赤の唇を見つめていた。
「私は見ていることしか出来なかったから、これくらいしか出来ないのよ。あの子の為に出来ることは、親らしいことを一つだってしてあげられなかったわ。それこそ、この手に抱いてあげることすらね」
好きで先輩を手離したわけではない。だけど残るのは後悔で。もっと。もっと何か出来ることがあったのではないだろうか――。そんな思いがありありと伝わってくるようだった。
横たわるのは深い悲しみで。それを私はどうにかすることは出来ないけれど。
「あの。おばさん。先輩は少し気が弱い所もありますが、とても優しい人です。きちんと整理整頓だって出来るし、料理だって美味しいんですよ。賢いですし、こんなことが無ければ将来有望で……」
……うん。
何となく、何となくだけど私自身が整理整頓が出来ずに料理がまずいとばらしていないだろうか。これ。
おばさんがいなくとも、先輩は立派に育ったって励まそうとしただけなのに。なんだか墓穴を掘っている気がする。
エクスは驚いたように私を見つめてぱちぱちと瞬きを繰り返している。
考えないでほしい。感じてほしい……。
「あの、何が言いたいかと申しますと」
言葉を重ねる前に『ふふっ』と小さくエクスは笑った。
「ありがとう。知ってるわ。こんなことになってしまったけれど、あの子は『いい子』だって。知っているのよ。貴方もとてもいい子だって。貴方なら、救ってくれるってね、信じているの」
すっと離れていく手。少しだけ冷たさがそこに残っている。その手を心もとなげに握りしめていた。
「……でも。出来なかったらどうしたら」
本当は怖かったりもする。あれだけ助けたいと進んできたけれど。出来なかったらどうしようって不安がずっとあった。
先輩を見捨てたくも殺したくもないのに。
出来なかったら――。その恐怖が横たわって離れない。
「出来るわよ。だってそう信じているから。――貴方も信じなさい。これは竜の加護を。私の事を。自分の事を。それと、貴方を大好きなあの子の事も」
力強い双眸に背中を押されている気がした。風が吹く。柔らかい風が。それは辺りの花弁をふわりと巻き上げていく。
根拠はない。だけどやるしかない。
やるしかなかった。
「――はい」
私はにっこりと笑って返事をしていた。




