虹の輝き
「――そんな感じで、僕はここに立っているんだ」
いや、どんな感じ? さくっとした説明だったような。私は軋み始めた米神を人差し指で揉みこんでいた。
目の前で、ニコニコ笑っているのは確かにユスリハで。いや。主体はユスリハで時折先輩が顔を出すと言ったほうが正しいのだろうか。どうしてそうなったか――は簡単で。驚くことにその水色の目は先輩のものを借りている為だという。
ユスリハ曰く『大丈夫。目なんてものは復活するから』だそうだけど本当だろうか。
にしても、私が時々ユスリハに先輩が重なって見えたのは病気でも何でもないらしい。よかった。
瓦礫の上に座りながら息を吐く。
「つまり……先輩は意識ごと身体を明け渡して来たと?……」
「嫌だな。あのクソヤロウを押し込めて来ただけだよ。なので、やっちゃってもいいよ」
他人事のようにけらけら笑っているユスリハ。実際他人事なのでどうでも良いのだろう。先輩自体の感情が表に出ることはあまりないらしい。意思だけが深く根ざしているのだという。
……ものすごく嫌そうに言っていた。
瓦礫の上。竜避けの炎を見つめて座りながら軽く指を組んでいた。ジワリと手に汗が滲んでいるのは微かな緊張からだろう。
「……でも。私に力を与えたとして。例えば、先輩を倒せたとして。先輩はどうなるんですか?」
「ん。竜はこの世界から消えたほうがいいらしいよ。人は魔法が無くとも歩き出しているから、余分なもの。いずれ人は魔法の域に到達するのだと思う――って。何年、何千年掛かるのか。それは途方もない時間だと思うけどなぁ」
消える。
消える? 助けに来たのに?
私はぐっと両手を握りこんでいた。ユスリハに言われなくても、どこかで気付いていた答えに苛立ちと怒りを覚えていた。ぐっと口を真一文字に結ぶ。
もちろん許容なんて出来るはずもない。
これは私の我儘かも知れないけれど。
――けれど。そんなことは許せなかった。
「本当は、精霊使いが来るまで耐える気だったんだけど、おねーさんが来てくれたから。どうせ死ぬなら綺麗なものに触れてから死にたいってね」
『――馬鹿じゃないの』
一拍おいて、そう言ったのは私だったか、ユスリハだったか。珍しく意見が合うようだった。ゆらりと視線を上げればユスリハが相変わらずにっこりと笑っている。その笑顔の向こうにいる誰かを見据えながら口を開いていた。
「私は助けに来たんだよ。私に魔法が効かないなら歩いてでも、そこにたどり着く。一人だってたどり着くよ。たとえ――たとえ死んだって」
そこにたどり着くから。
水色の双眸が軽く揺らめいて、水を湛えた。そんな気がした。ただ、ユスリハの表情だけは変わらない。にこにこ。何処か苦とを喰ったような笑みに変わっている。いや、最初からそうだったのかも知れない。
「どうして――もう、僕はあそこに居ない。核を失くしてもはや制御を失いかけてる。まだ、少し残っているけれども殺すしかないんだよ」
「死にたいの?」
死にたい。そう言われても殺す気なんて無いけれど。だけれど本当に死にたい。そう願うのであれば――諦めず何度だって引き摺り上げてやればいい。
今までそうしてきたように。手を握って笑いかけて。隣に。いや。居てくれたのはザイールなのかも知れないけれども。
水色の目が怯えたように揺れる。『僕は』と小さく唇が紡がれてぐっと結ぶ。昔からの癖だ。本当は言いたいことがあるのに我慢するから。苦しい。
私は言葉を引き出すように、語りかけるようにして口を開いていた。子供の頃からそうしていた様に。
「どうしたい?」
「……僕には。未来が無いんだ。『竜』だから。人とは歩めない」
零すように、苦しそうに。
「うん」
寿命はどうにも出来ないけれど。出来ることならきっとある。慰めでもなんでも。
「でも、私の子供が、子孫がずっと一緒だよ。ずっと、ずっとだよ。私が居なくなってもずっと一緒だよ。先輩――ザイールが寂しくないように」
「――つ。僕は、エリアルと一緒に居たい。ずっと其れだけが願いだった。子供の頃から、ずっと、ずっとだ。其れしか、要らないのに」
平坦な表情から慟哭のような声が漏れる。手を伸ばそうとして弾かれたのはユスリハの意思だろうし所々『気持ち悪い』と言ったりするのもユスリハだ。まぁ、確かにユスリハに抱き着きたくないので何とか止めてくれて安堵の気持ちが大きかった。
それは、それとして。
気を取り直して向き直ってからその目を見つめた。
「うん。なら、ずっと一緒にいよう。私、そこに行くから。絶対に行くから」
双眸が揺れてから、一拍。ようやく聞こえてきたのは平坦な声。
「……沈黙。これ以上は無駄だよ。おねーさん。逃げた」
「ヘタレか?」
黙っていたオースが呆れた様に口を開く。それに同意したようにユスリハはうんうんと頷いている。
「で。これからどうするんだ? 悠長に歩くのか? 其れだと時間は無いし、死ぬけど?」
やってられない。と空を見上げながら零す。それほど竜は多くないが、倒すまでに一苦労だ。こちらの疲労が増すばかりである。それに、と息を付いていた。どんなに掛かってもたどり着くとは言ったけれど、本当に時間が足りない。どれほど残っているのかは分からないけれど、与えられた時間の内に結果を残せなければ――サマール国王が来る。
排除にむけて。
ぐっと拳を握っていた。
それに。先輩が言う事が本当で在れば制御を本格的に失う前に何とかしないと。
「でも。私は先輩を殺す気はないし」
魔法が効かないなら歩く――走るしか無い。策は何も思いつかずうんと沈黙だけが辺りを支配し始めた頃、パンと心地よい音が響いていた。
両手を合わせてにっこりと笑うユスリハがいる。
「いいよ。その呪い解いてあげる」
別に親切心と言う訳では無いだろう。その裏に何か在りそうな気がして、私は構えていた。その双眸に、先輩の意思など介在しないように見える。
「疑ってるけど、『なんとか出来る』のは本当。それは僕でも出来るよ。おねーさんがするくだらない約束など無くても、半分以上竜の力だから」
「じゃあ早く何とかしろよ。んで、黙ってんだ?」
オースの刺すような言葉に軽く肩を竦める。
「僕のメリットが何一つ無いから。この魔法を行使すれば確実に竜は僕から離れるし僕は瀕死になるからね。ここに居た竜が進んで使うなら別だけど。なら、進んで使うものでも無いでしょ。命を掛ける。それに見合う代償が欲しい、かな?」
それは。と視線を地面に落とす。いくらなんでも――色々しでかしているとは言え――簡単に『命を掛けてください』とは言えなかった。しかし、時間には変えられなくて。即ち先輩の命には変えられなくて。
時間が無いのに。
葛藤する様に口を開いて閉じる。
「……じゃあメリットを見出したのかよ?」
ざりと地面を踏みしめる音に、顔を上げていた。対峙するユスリハはくすくす笑いながら自身の頭を人差し指で突く。
「もちろん。向こうについてからのお楽しみだよね。瀕死になっている間軽く魔法の研究をしておくよ」
……。
瀕死になっているのにどうやって魔法の研究をするのだろう。私たちの『は』と間抜けな言葉を無視して掌を宙に掲げた。
淡く手が光る。そこから幾重にも幾何学模様が浮かんで、円を描き、それは巨大なものになっていた。
オースの息を飲む声が聞こえてくる。
「ま。そう言うことで。竜は顔を真っ赤にして怒るだろうけれど、僕に力を貸したのが運の尽きだと――いや。おねーさんが居たということが運の尽きだったのかも知れないね。いやぁ。凄いよ。本当」
掌をくるりと滑らせてユスリハはその円を潰す動作をすると一瞬でそれは一つの光体に纏まり七色の虹を放つ。
それはまるで星を捕まえたかのようだった。それはとても美しく、この世のものではないようだ。そこにあるだけで人々を魅了してならない。そんな輝きは太陽よりも優しく、月よりも温かく。そして瑞々しかった。
「飲んで」
……。どう見ても飲み物ではないし食べ物でもない。それを笑顔のまま躊躇することなく、ユスリハは私に渡すとそう言った。




