孤独の空
名前は出て来ませんが、ザイール視点です。
少しだけ長くなった・・・><
もはや、この世界が夜なのか、昼なのか分からない白い空間で彼はぼんやりと、目の前の光景を眺めていた。
確かに先ほどまで幸せに暮らしていたはずなのに。平凡に幸せに。愛しい人が居て、笑い合って眠る。そんな何でもない生活。
そのはずだったのに。
幸せな夢に縋っていたかったのに。
まるで現実はかくあるべし。だと言わんばかりの世界が周りには広がっていた。
傷だらけの身体は痛くない――どうせ治るから。血で汚れてべったりと壁に着いたそれは自身のものだろうか。深く抉れた皮膚からは手当もされず血がとめどなく落ちていく。
それを『人間』は『勿体ない』と言って騒ぐものだけれども。誰も来ないようだ。
小さく疲れた様に息をついて、彼は巨大で動かしにくい身体を丸くした。じゃらりと鈍い色の大きな鎖が揺れて彼の羽を締め付ける。その度にジワリと背中からぬめりとした何かが身体を伝って床を汚していく。
はあ。と小さく息を付いていた。
もはや変化する能力も失せたようだ。変化と言うものをすれば多少は動き回ることが出来るのだが――。傷口をぺろりと舐めれば嫌な味が広がり、眉間に皺を寄せて見せた。
まずいとか、そう言う次元の話ではなく――血に混じってあるはずのものが無かったからだ。水色の双眸をずらして、空を見上げる。天井等ない。そこには蒼穹が何処までも広がっている。
ただ、この場以外は低く昏い雲が立ち込めているようではあるが。それは小さく唸り声を上げているようであった。
「――ああ、精霊が汚染されて暴走してるのか。僕の所為で」
いつかはこうなることは分かっていた。自身は竜ではあるけれど、ただの弱い人間なのだと言うことは分かっていたから。
でも。これでも頑張った方だったんだけどな。と独り言ちる。幸い『流れ』を感じる限りまだ被害はこの国だけのようだし。
「そっか。精霊使いが来るのかぁ」
汚染源を狩るのは精霊使いの役目だ。何事もなかった人生。ただ其れだけが救いなのかも知れない。
ずっとその時を待っていたのだから。
ただ――何かを忘れている気もしないが。とても、とても大切ななにか。それが心の奥にいつだってある。
まるで夢の中に見出したみたいに。
「いや――来るのは番だ」
低く声が響いて、彼は顔を上げていた。
最初に思ったのは――小さい、な。だった。自分自身が大きいことに気付くまで数秒。誰だか確認するまで数秒かかった。
滅多にここに来ることは無いその人に、彼は警戒の色を瞳に灯して見つめる。
「陛下」
この身体では上手く言葉を発することは出来ず『ぐるる』と小さく呻きのような音が端から漏れていく。その音を聞きながら彼を見上げた男は口端を軽く上げた。何処か楽し気に。
「番――とは?」
所謂、竜の伴侶の事だろう。一生を掛けて竜は番を愛し抜くという。番の為なら竜はどんなことでもするらしい。それこそ世界を滅ぼすことすら。尤も眉唾で、元来物静かで気弱な竜が出来る筈もないと思うのだ。
彼は考えた。
そんなものはいないし、居た経験もない。自身は『ずっとここで』暮らしていたのだから。何もない世界で、精神をきたすのは当然だろうと自分でも思う。
「へいか?」
一拍。
「……余裕が在りそうよの」
いや。正直に嫌だ。それはお互い様らしく陛下と呼ばれた男は嫌そうに眉を寄せ、軽く空間に円を書く様に指を滑らせる。
空間を繋げる魔法――。繋げるとは言っても、誰かや何かに残した触媒から映像を見るだけの簡単な魔法。確かこの男は王族に生まれた筈なのではあるが、魔宝石に適応が難しく、少しの力しか持つことが出来なかったとか……という事を何となく思い出していた。
なので魔法に。竜に思い入れが強いと聞いた。……違う意味であるのが残念に思う。
小さな輪。それを広げるように大きく手を広げれば空気の唸りと共に白い壁が巨大なキャンバスになったように変わる。
「……映像魔法」
空間を繋げて遠くの出来事を現在進行形で映し出す魔法であり、あらかじめ設定をしておけば比較的安易なものであった。
なぜ、これを。
訝し気に男――王を見、彼はゆらりと水色の両眼をそこに向ける。少しだけ左目が赤く濁っているのは何故だかよく思い出せなかった。また抉られたのかも知れない――と自身で結論づける。それは珍しい事では無かったから。
そんな双眸が映し出すのは、ここではない景色だ。
けれど見慣れた、息を止めたかのような世界だ。灰色で、何も無い。時間さえも留めたまま。
かつて、竜が犯した罪を留めた世界。
浮遊島に残った最後の竜――が精霊をさせてしまい最後の良心ですべての時を留めたという。命と引き換えに止めた時間は二度と動き出すことは無いかも知れない。
動き出したとしても、横たわる人々が還ることはないのだが。
何処か物悲しい面持ちで暫く見つめていたが、そこに動くものを見つけた。
灰色の空には見慣れた生物に彼はよく見ようと目を細めた。
「竜?」
否。竜によく似たものだ。魔力の流れを見れば一目両然で。顔色が悪くなっていくのは仕方のないことで、嫌悪感と怒りで彼は王を睨んだ。誓約などの縛りが無ければ縊り殺していたかも知れない。そんな感情が心の中に渦巻く。
くぐっと喉を鳴らしながら口を開いた。怒りでほとんど枯渇しかけた魔力が口元から洩れて氷としてぽろぽろと地面に落ちていく。
「――つ。あれは、人間だ」
どこかで分かっていた事だった。いずれは誰かが犠牲になって。逃れられないと。だから……。
だから――。
だから。何だろう。その先の言葉が紡げない。かき消えたかのように言葉が空中に消えていくようだった。
「左様。お前の血を使ってみたが……あまり上手くは行かなくての。異形になり果ててしまった。安心をしろ。まだ実験で魔法士しか使っておらん。もう少し自我が持てばよかったが。生憎自我を失くしてな。ここに閉じ込めさせた。勿体なくて殺せなんだが――あれらは違うようだな」
「あれら?」
息を飲む。
灰色の世界に一人の女性が弓を携えて立っていた。鮮やかなピンクゴールドの髪。輝く様な同色の双眸。慣れない弓を痙攣し始めた腕で引きながら竜に向けて放つ。
当たらない。
それでも諦めずに喉辺りに当てて足を止める。その目は『生きる』と言うことに執着している様に見えた。それはいつか見た輝きに凄く似ている。
すごく、惹かれる。目が離せなかった。
『――負けない事だよ。あの子は負けなかっただろう? 最後まで立ったやつが勝ちさ』
それを言ったのは誰だっただろう。
「……番」
呟けば、それがしっくりする気がした。会った事も話したことも無いのに。でも。会いたくはない。と思う。こんな情けない姿を見せたくはない。
来て欲しくはなかった。
大体番が来たところで大した意味はない。精霊の反転はもはや収まることを知らない。汚染源を切って浄化をしなければならないのだし。
ほとんど無理に視線を引きはがして、冷たく刺すように睨みつける。
「そう。……汝の番だ」
「だから?」
すっと王は映像の無効に視線を投げ、女性に指さす。
「死んでほしくは無かろう?」
「……何をする気?」
死んでほしくなければ。という言葉が繋がるようだ。『なに簡単な事だ』と朗らかに笑う。
脅しに奥歯を噛む。『別にいい』とは言えなかった。本当に王は殺すだろうことを知っているから。画像の向こうに居るのが番では無いとしても躊躇してしまうだろう。
人が死ぬのは嫌な事だ。とても悲しくて虚しい事だったから。
だけれど、あの娘が消えていなくなってしまうのはもっといやだった。
「精霊どもを黙らせるがいい。出来るだろう?」
――は?
と思わず呆れたように声が出たのは仕方ない事だ。
「そんなこと出来る訳が無いだろう?」
反転してしまったとは言え竜は精霊を攻撃することは出来ない。人間の様に誓約が掛かっている訳ではないが、それはこの世界に弓を引く行為であるからだ。
精霊を失えば世界は滅ぶ。反転しているだけマシなのだ。精霊の個体数は有限。そしてそのすべてがこの世界の何かに根ざしている。竜は力はあっても浄化する事は出来ない為、黙らせると言えば殺すことになってしまうのだろう。
彼は顔を上げた。
「世界が滅ぶんだ」
竜と言うものを残したいのかは知らないが、そんなことできるわけがない。
「なるほど拒むか」
彼が竜にしては年若――実際若い――いため信じられていないのか、それともただの阿呆なのか。少なくとも賢い方ではないだろう。知っている限り市政は良いとは言えないものがあった。
「なら、娘は必要なかろう。それでも?」
ちらりと画面の向こうに視線を向ける。――また新しい竜だ。魔法士も付いているようだがあのままではジリ貧だろうことは明らかだった。
それに――この映像は『誰か』が設定したものを持っているからだろう。三人の後ろにいる誰かは明らかに王の手の者だろう。
「ふむ。可哀相にの。せっかく汝を助けにここ迄来たのに」
「……」
世界が滅ぶよりは――。
ドクンと一つ心臓が波打ってから、発作のように締め付けられる。『そんなのは嫌だ』と本能が言っているみたいに。それはとても苦しかった。脂汗と小さな呻きが口元から漏れるくらいには。
頭痛がする。
『は』と息を漏らすような笑いが耳に届く。対価草が在ろうとも、その音が響くくらいには耳が良いのは腹正しかった。
「辛いか。なら、行け」
「――行ける、訳がない。そんな、に行きたいなら」
お前が行けばいいのに――。
彼は全身全霊で、持っているすべての魔力を使い魔法を展開していた。




