王様
さて。魔法院はこの国の中枢――王宮の奥に存在している魔法士の巣窟。末端の役人であった私は当然そんな所に行った事もないし、そんな存在すら知らない。恐らくこの国のほとんどの人間が無関係な機関だろう。秘匿されていると言う事でも無いんだけどね。とユスリハは苦笑気味に言った。
ただ、魔法士に興味が無いのだろうと。まぁ、実際には国の運営に深く根付いて居るらしいが。
そんな魔法院だけれど、入るには許可が必要なのだという。許可には王様の許可と魔法士長の許可が必要なんだとか。
まぁ。この非常事態。そんな暢気な事はしていられないわけで。大体、王宮に入ること自体に許可が――。
許可が。
「楽にしてくれ給えよ」
……。
一度だけ新人研修で王宮を案内されたことがあった事を私は思い出していた。遠くから眺めていた風景はどれも素敵で、綺麗。整えられて埃一つなく。まるで物語の中のよう。光の入り方まで計算されている世界に自分は一生縁が無いのだと思っていた。
まさか。こんな事になるとは。
私は『外』とは別世界のような静寂と平穏が支配する優美な中庭で張り付けてた笑顔を浮かべていた。
ガラスのテーブル。その上に白いレースのテーブルクロス。高級そうなティーセット。生きていてお目に掛かったこともないお菓子の数々。
……。
ふとサマールを思い出してしまったのは内緒だ。
いや。現実逃避をしている場合ではなかった。
「あ、の」
裏返りそうな声を押さえつつ微かに震える手を握りこんでから私は顔を上げていた。
現国王――アルム・ゴートラムス・レブリア。老齢の国王で腰を大きく曲げその手には杖を付いている。白いひげを蓄えた顎。深い皺に埋もれた両眼は灰色だ。昔見た時よりもさらに老け込んだ様なそんな気もする。
いや。そんな事より何故こんなところにと私は遠い目をしてしまう。
そもそもこっそり入る筈だった王宮で堂々と門を叩いた馬鹿が……。そしてなぜか私はここ迄連行されてしまった訳だ。あの二人は――まぁ。何とかするような気もする。心配しても無駄な気がした。
どうやって逃げ出そうか。そんなことを考えつつ私は対面に座る王様を見ていた。
王様は好々爺宜しく『ふぉっ、ふぉっ』と笑って見せる。いや、昔とキャラが違うような。神経質そうだなぁ。なんて思ったのは周りがピリピリとしていた為なのかも知れない。
王様は少しティーカップを弄んだ後で軽く口元に運んだ。年老いても優雅であるし私は王様の前で出された物を飲む自身が無い。マナーも知らないし。この後に及んでマナーなどと思うかも知れないが。
ふぅ。と軽く息を吐くのが聞こえた。かちりと本当に小さくカップが置かれる音が耳に入る。
「さてと。汝はこの街の惨状を?」
「そこから来ましたので」
「酷いであろう? これは我の不徳の致すところでね。皆には申し訳ないと思っている」
この人は本当に惨状を見てきたのだろうか。たいして申し訳ないとは思っていなさそうである。好々爺――とは思ったが狸のようなそんな気がしてきた。
パッと発言の為に手を上げれば『構わぬ』と言われた。
「陛下が魔法士に指示を? こんなことを?」
ふぉ。ふぉ。と笑う。何処か楽しそうに。何が楽しいのかもちろん私には分からない。私は知らぬ間に軽く眉を顰めていた。
「まさか。我は拾っただけである。ここは竜が保護する国である。保護するのは当然であろう。こうなったのは魔法使いの所為よの。あれが連れ出すことが無ければこうなることも無かったはずだと我は思う」
あれ――魔法使い。その人は知らないけど、先輩がおじさんの所に来るまでどう言う扱いを受けていたかなんて何となく分かる。先輩が話さなくともだ。私だってそこまで鈍感でもない。
やせ細った、表情に乏しい少年。年上だというのに私より年下にしか見えなかった小さな人。
……今では別人のようだけれども。
「なまじ感情が生まれれば厄介なものよのぅ」
溜息のように零れ落ちる言葉は特に先輩の事は考えていないようだ。『竜』と言う名の物だとしか思っていない。先輩も人間とそれほど変わらないというのに。
挑む様に見つめるが、その深いしわの奥にある双眸には届かないようだ。昏い。何処までも昏く見えた。
「恐れながら申し上げますと、先――ザイールは人と変わりありません。笑って悲しんで眠って――生きる。同じです」
「ふむ。汝が何といおうが、竜であるのは変わらぬ。竜は我らにその力を与える者であるし、それ以上でも以下でもなしよ」
……ええと。
殴っていいですか?
強い殺意を覚えたが、恐らく手を出した刹那に死ぬような気がした。王様の後ろに控えるのは屈強な騎士らしき男と、細身のローブを着込んだ男だ。その手には長い杖を持ち、魔法士である事を誇示しているように見える。尤も私が出会った魔法士は杖なんて使っている所を見たことないので恐らく飾りだろうけれども。
死にたくないのでぐと口元を結ぶしかない。
「汝を呼んだのは他でもない。竜の暴走を止めよ」
「は――?」
暴走。聞きなれない言葉に私はぱちぱちと目を瞬かせていた。今起こっている事は暴走では無く汚染であるはずだ。先輩が何かをしたというわけではないのだ。
もしかして、正しい知識が無いとか、だろうか。サマールの王が嘘を吐くとは思えない。そしてここでこの王様が嘘を付く必要はないし。
「その為にここに来たのであろう?」
止めに来たのではなく、先輩を助けに来たのだけれども。どっちにしても。
心底命令に心底従いたくない。滅びかけているとはいえ、この国が滅ぶのはどうかと思う。でも――。目の前の人間は救いたくないと思った。
「汝は竜の番。なのだろう? 番さえいれば暴走は収まると聞いた」
「……つがい」
聞いたことある様な。ない様な。けれどそんなものなど関係あるだろうか。
「最悪竜が死んでもその胎に――」
最後まで言わせない。そうとばかりに鈍い音が辺りに響く。同時だったか王様が真横から吹き飛ばされて護衛の男に庇う様に抱きかかえられていた。
何処から、何が起こったか理解も出来ないようで騒然とする辺りにたんと小さな音がしてガラステーブルに足が落ちる。まるで重力など関係ないと言うようにガラスに罅が入ることはなかった。
……え。
確かに見覚えのある背中だった。柔らかな風に琥珀の髪が更々と舞っている。整った横顔。青い目が真っ直ぐに気を失った王様に向けられていた。
それは驚くほど冷たい。まるで塵を見ているようにも見えた。
「何者っ」
護衛の声に、は。と鼻を鳴らす。
「無垢なうちの嫁に汚い目を向けてんじゃねぇぞ。シジイ」
おじさんは珍しく怒ったようにそう、言った。




