迷路
迷路かぁ。この建物は。迷路なんだね。先ほどから同じところをぐるぐる回っている気がする。食堂――多分――へ向かう途中無理やりに逃げ出したのは良いんだけど、私は一体何処を走っているんだろう。
ちらっと後ろを見てみると暗い廊下に誰もいないように見える。なんだか冷ややかな空気が漂ってるし、人っ子一人いないのが不気味だった。今にも、生きていなにかが出そうだ。というか突然誰かと遭遇したら悲鳴を上げる自信はある。
にしても。
「もう疲れたよぅ」
逃げ出したくせに私は泣き言を口から漏らしていた。
うぅ。自慢ではないが体力は皆無なんだ。棒のように重い脚は既に走っているとは言えないし、息は絶え絶えで意識が朦朧としそうになるし。既に体力は限界で。私はもう一度ちらりと後ろを振り返ったけれど、やはり人の気配は無かった。
も、もういいよね。誰も来てないし、少しぐらいは休んでも……。人間誘惑には勝てないものである。うん。
それが命取りになってもね。ははっ。
心の中で突っ込んでから近くの壁に手を掛けてから息を整えていた。バクバクと鳴る心臓。口からひゅうひゅうと在りえない息が漏れる。
あ゛-。
「し、死ぬ」
とにもかくにも何も考えずに出てきたけれど。このままでは行き詰まるのは確実だった。
大体此処が何処か分からないし。魔法院――魔法使いや魔法士が集う独立機関――の何処かとは思うのだけれど。あいつら各地にアジトを持ってるから……少なくとも私が知ってる王都にあるものでは無いと言うことは確かだ。
壁に凭れ掛かりずるずると身体が地面に沈んでいく。解けそうなほどに熱かった身体。それに冷たい壁や床が心地よかった。
……。
「やばい」
――一歩も動けない。少しだけ休憩しようと思ったら永遠に休憩になりそうだった。大体立つための体力がもうない気がする。頑張って立とうとは努力したのだけれど、小鹿のように震える手足では一歩も進まず崩れ落ちた。
どっ、どっと波打つ心臓の音を聞きながらもう一度呟く。『やばい』
こうなるのであれば『運動はした方がいいよー』と先輩の声を無視するのではなかった。いや
だって疲れてるし。
『ええ。そうだよ、私は弱い人間だよ』って謎に自分に切れてみる。だが切れても動かないものは動かなかった。
暗い天井を見ながら息を吐く。こうなればお祈りタイムしかないだろう。『みつかりませんように』なんていつか見た流れ星に願をかけてみる。記憶の中の先輩が悲しい子を見る様な得我ををしている気がする……。
おまけに耳元にカツ、カツと足音が響いてきているわけだが。
終わった。絶対あのサイコパス殺しに来る。終わったわー。せめて故郷に辞世の句でも届けてくれないだろうか。先輩は『幽霊が見える』と宣わっていたから呪い……挨拶に行くとして――。
いや、やっぱり。
「ごめんなさいっ。あの、殺さないでくださいっ」
私は反射的に起き上がっていた。やればできるものである。人体の不思議というのだろう。
そんなことを考えながら暗い中恐る恐る顔を上げれば、小さな光を放つランタンを持って何処か見覚えのある少年――いや、青年だろうか――が立っていた。淡く照らされるその顔は白い。赤い長い睫の奥。水色の双眸が揺れていた。驚いたような顔で暫く私を見ていたが、かちりと針が動き出すように口を開いていた。
「あの、アンタがエリアル・リッチ……さん?」
「? はい」
誰だろう。私を捕まえたり害したりする意思は感じない。伸ばした手は私を引き上げるように腕を掴んだ。
若干足がプルプルしているので少し寄りかかる様になってしまうので少し申し訳なく思ったが、逆に『大丈夫か?』と心配されてしまった。
「あ、ありがとうございます。――貴方は?」
「俺はオース・ユエス。マムとアンタの――友達? に頼まれてここに来た」
……。
光に照らされる青白い顔――昨日の記憶がぼんやりと思い出されて『あ』と声を上げていた。大丈夫なのだろうかと若干失礼かとも思える私の視線を首元に向ければ、その視線に気付いたのかオースはぐっと首まで覆っていた衣服を平然と軽くずらして見せた。
「問題ないよ。あの人のおかげである程度回復したから」
首の中心にはパカリと穴が開いたような傷があった。確かにそこには何かがあったのだという痕。そこから伸びる黒い痣は以前見た時よりも薄くなり消えかけている。
痛々しいのは確かだった。
これはまだ、寝ていないといけないのでは? そう思うほどに顔色も悪いというのに。皆が探してくれるのは有難かったし心底申し訳ないとは思う。でも。
普段マムも恐らく先輩はそんなことをする人でもないのだけれど――よほど心配させたし、焦らせたのだろうなぁということが分かる。
というか。私が悪いのでは?
……。
勝手に動いて、圧倒的に心配させた私が悪いのでは?
あ。私が悪い。
罪悪感が……。
「ふぁあああ。も、も、もももも。申し訳ない――ご迷惑を」
「――? いや、場所は大体分かってたんだけど、大事にしないためだけに俺が来ただけだから。逆に悪い。回復で二日かかって遅くなった。怪我とかはなさそうだな?」
よく分からなかったのか、私の謝罪は華麗にスルーをされてオースは近くの窓から外を見ている。嵌め殺しの窓でガラスは風が強いのかカタカタと揺れていた。
窓からどうにか逃げられないかなぁなんて走っているときも思ったものだけれども。私もちらりと外を見るが……。
陸地がないんだよ。ここ。何処からどう見ても。
何処までも続く水溜り……どう考えても海が月の光に反射して水面を輝かせている。その奥で遠く浮遊島が見える。普段はあんなに遠く見えることは無いから首都から相当離れているのかも知れない。
いや。ここは本当に何処よ。こんな遠くの魔法院を知らない。恐らく公式なところではないのだろう。まぁ、何の罪もない――断固として私はそう思ってる――一般人を監禁するぐらいだから公式であってたまるかと思うのだけれども。
そしてそれを知っているオースもまた何者か謎だ。いい人だと言うことは分かる。出なければ『知り合いの知り合い』を助けにこんなところまで来ないし。
「あの、帰ったらなんでも言ってくださいね? 出来る限りのお礼を」
大枚をと言われれば払うしかないが何せ安月給だ。払えるだろうかと算段する。何とか――何とか難しい顔でやりくりをと考えていると『はは』と小さく笑いが落ちてきた。
「いや、礼はいいよ。沢山貰ったし」
さてと。と呟くとオースは私にランタンを預けてぱちんと両手を合わせる。そこから青い稲妻のような光が走ったのは気のせいではないだろう。ぱりっと空気が微かに冷え付き、両手をずらせばパラパラと銀の氷が床に落ち溶けた。
「氷の魔法?」
オースは自慢げににっと笑う。
「ああ。特段登録されてないけどな。腐っても魔法士だ。あんな『偽物』なんて無くてもある程度は出来る。それに潤沢に魔力は奪ってきたしな。問題は偽物を付けられた時から『一定方向』しか出力出来ないわけだけれども――それでもさ」
アンタを逃がすことぐらいは、出来るだろうよ――。
ダンっとオースは後ろの壁に右掌を叩きつけるとそこからものすごい勢いで凍り付いていく。足元から天井まで――。まるで氷の世界に閉じ込めていくようだったけれど、ある一点において轟音と共に爆発が巻き起こった。廊下を敷き詰められる様に生まれた炎は生き物のようにこちらに向かってくるが私たちの一歩先で凍り付いてパラパラと落ちた。
熱気と冷気が入り混じる空気。蒸気が辺りを埋め尽くし不快指数が上がる。カンテラの明かりは靄にさえぎられて薄く照らすのみだったが、何処から現れたのか淡い『鬼火』がいくつかフワフワと行いていた為になにが、だれが、どこにいるのかは分かる。
だから、影が『そこ』にあったときには悲鳴を上げそうになった――いや少しは漏れた気もする。
鈍いように光る赤い双眸が不服そうに揺れた――。




