逃亡
別視点
暗い廊下。小さな体が駆け抜けていく。しかし出口を示すものは何もなく、まるで迷宮の中をぐるぐるしているようだった。その背中を見ながら彼は『ふぅん』と小さく声を上げていた。暗い中で赤く輝く双眸はまるで獲物を狙う獣のようだ。
「捕まえないのか? ユスリハ」
ふと問われて彼――ユスリハは視線を向ける。そこには深くローブを頭から被った男。まるでこの暗闇に同化するかのようであった。陰気で気味が悪い。それを言うのをぐっと堪えてユスリハはにっこりと、余裕な笑みを浮かべて見せてた。
闇にかき消えていく小さな身体に焦ることは一つもない。捕まえる事はユスリハにとって簡単だ。それにもし捕まえられなかったとしても此処から至る場所は知っている。
大して動じることの無かったあの可愛らしい顔が絶望に染まるのを想像すると気持ちが些か高揚する。そしてそれを隠すこともなかった。
「疲れ切った所を狩るのが楽しいと思わない?」
男はいつものかと言いたげにうんざりと息を吐いた。
こんな人格でも、魔法士になれるのだから世も末だ。成り手、素養。そして魔法石の不足なのだから仕方ない。そして、ユスリハはこの国最高の力を持つ魔法士だった。品位が叫ばれなくなってどのくらいになるだろうか。
「まぁ。死ななければ良いと思うんだよね」
「そ、そうか。――そんなことよりあの娘。何か分かったのか?」
たしか。と男は口元を転がした。
あの事件は隠匿の為に魔法がかけられている。それは修復の魔法だけではない。一般人がごく普通に入り込まないように阻害の魔法が掛けられていた。例えばそこに足を踏み入れた刹那、用事を思い出すとか、お腹が痛い気がするとか――ごく自然に魔法とは分からなくなる方法で。それを簡単に突破したのは娘――エリアルのみであった。恐らく本人も気づいていないだろう。ユスリハが視たところ何の素養もない、魔法石も一般人と変わらないただの石だというのに。
そして、尋問時の精神魔法さえ効きはしない。
……自身に掛けられる魔法の無効化――。
恐らくはそうなのだろうと踏んでいる。これは言うのは簡単だが、難しい技術だ。魔法を無効化するために魔法をかけるという意味の分からない事をするのだから。出来ない事は無いが、やる気もないし、いくらユスリハでも疲れるから試したくもない。
そして、それが出来る魔法士をユスリハは自分自身以外知らなかった。いや、過去一人だけ知っているが『それ』は死んだはずだと考える。
正確には『殺した』なのだがそれを知っているものは少ないだろうか。その時の高揚感は忘れはしない。
そんなことよりもう一つ。分からないことがある。
なぜ、重要機密を知っていたか。だ。
「うーん。分かったというか。分からないというか」
調べたところ。エリアル・リッチには後ろ盾が何もない。田舎の出身で先祖が過去貴族と交わったという事も無いようだ。秀才が集まる王立学園で常に底辺を泳ぎ続け、ぎりぎりで官僚になった人物。交友関係はほぼなく、友人と呼べるのは現在まで学園一の天才『ザイール・ロウ』。ザイール自身も調べたがほぼ何も出てこない。というか、何も出なさすぎだ。どちらかと言えば、こちらの方が怪しいだろうか。少し調べて分かったことと言えば、著名な魔法研究者の養子と言う事だった。あとはトップで官僚試験を合格。将来を嘱望されたが自ら現在の職場を選んでいる。
その途中で重要機密に触れたという痕跡は見つけられなかった。
おまけにこちらも著しく交友関係が少ない。気になる点と言えば――被検体の妹との距離が近いという事であるが、その妹も情報を持っているわけではない。徹底的に秘匿されているはずだ。
おそらくは偶然なのだろう。
にしては引っかかりを覚えるが。
「あぁ、ザイール・ロウねぇ。確かあの美形だろ? ――女にも男にもモテてたから結構有名だったな。俺は別にどうでも良いけど」
「え? もしかして、僕より可愛い?」
沈黙が落ち、フードの下で男は顔を引きつらせていた。
お前は可愛くも美しくもない。何ならチビ――と男は言葉を飲み込んだ。そして男に可愛いと言う趣味などないと突っ込みたかったがそれも飲み込んだ。恐らく冗談で言っているはずだと心の中で言い聞かせてから目を逸らす。
ユスリハには魔法で到底敵わないのだから逆らわないほうが吉であった。
「……まぁな。この際男でも良いと馬鹿な奴らが並ぶくらいには。確か。ああ、そうだ『黒い髪』と『目』が印象的だった美人だったと思うぜ」
いや、確か『男だからいい』と誰かが言っていたか。という遠い目をした男の声を聞きながらユスリハは『ふぅん』と、聞いておいてどうでも良さそうな生返事をしていた。




