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第76話 命の叫び

「飲まないの?」


彼女の言葉に、

「普段、飲まないから……」

と答え、私はほんの一口だけ口をつけた。


「じゃ、ちょうだい。私、飲みたいから」


彼女の目は潤んでいた。

今にも涙がこぼれそうに揺れている。


私の缶に、彼女の手が伸びる。


看護師さんを見ると、目を閉じて大きく頷いていた。


彼女は缶を両手で持ち、少し苦しそうに飲み始める。

普段は飲まないのだと、ひと目で分かった。


看護師さんの目に、涙が光る。

その視線は深く、遠かった。


自ら命を絶った夫と、彼女の姿が重なっているのだろう。

——そう感じた。


看護師さんはそっと涙を拭い、

自販機の冷たいミルクティーのボタンを押した。


何も言わず、それを私の横に置く。


 


カールは彼女の足元で静かに座り込んでいる。


看護師さんが彼女の隣に腰を下ろし、そっと肩に手を回した。

それを見たカールも、彼女の膝に顎を乗せ、じっと顔を見上げる。


肩に置かれた手のひらに彼女の恐れが滲んでくる。


彼女の呼吸は浅く、かすかに震えていた。

その息遣いから、隠しきれない痛みが伝わってくる。


それでも——

逃げずにここにいる。


その事実だけで、胸の奥が静かに揺れた。


——メンタルの会ではなく、

この三人だけで、あのノートと向き合ってみよう。


彼女の命に触れられる力が、あのノートにはある。


看護師さんは、そう確信していた。



部屋に戻ると、すでに布団が敷かれていた。


「旅館みたい」


私が言うと、彼女は小さく頷く。

そして振り向き、看護師さんに尋ねた。


「カールとももに、ミルクをあげてもいいですか?」


「もちろん、どうぞ」


彼女がミルクを与えている最中、

看護師さんが、ふいに口を開いた。


「……私の夫は、自ら命を絶ってしまったの」


あまりにも突然の言葉に、彼女は大きく目を見開く。


私はその事実だけは知っていたが、

いきさつも事情も知らない。


「詳しくは話さないけど……

今夜、この三人で“命”について、少し一緒に考えてみたいの」


一度、言葉を切り、首を横に振る。


「ううん、話し合わなくていい。

ただ、聞いてもらうだけでいいの」


彼女は身を乗り出した。


「聞かせてください。聞きたいです」


その声には、迷いがなかった。


「私はこの仕事を通して、多くの人の死と向き合ってきました。

悔しい思いも、たくさんあります。

夫のことも、今も忘れられず、苦しんでいます」


看護師さんの目から、涙が溢れた。


それは、教えるためでも、諭すためでもない。

ただ、真っ直ぐに向き合おうとしている涙だった。


看護師さんは、老人のノートを取り出す。


「これは、ある患者さんが亡くなる前に書いたものです。

……ここにいる彼女のことも、書かれています」


静かに、息を整える。


「少し長くなるけど……全部、聞いてもらいたいの。いい?」


「はい。ぜひ、全部聞かせてください」


彼女の目が、鋭く光る。


私も適応障害で苦しんできた。

けれど——


彼女の苦しみも、

そこから解放されたいという渇望も、

まるで次元が違った。


看護師さんも、その反応に息をのむ。


私は、神がいなくても生きていける気がしている。


——でも、彼女は違う。


その必死さは、圧倒的だった。


命そのものが、叫んでいる。


そんな迫力を、目の当たりにした気がした。

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