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第69話 愚かな考え

ここに書かれていることは、看護師である自分自身のテーマでもあるのではないか――


そう思い始めていた。


これまで仕事を通して、多くの患者の死と向き合ってきた。


その記憶が、次々と呼び起こされる。


説明のつかない、不思議な体験も決して少なくなかった。


医師から、人の死に関する驚くべき話を聞いたこともある。


そして――


自分自身にも、誰にも話したことのない体験がある。


医療の現場を混乱させてはならない。


そう判断し、沈黙を守り続けてきた。


この老人の体験は、真実である。


その確信に近い感覚が、胸の奥にあった。


看護師さんは緊張を抱えたまま、ゆっくりとページをめくった。



美しく輝く夕陽に、吸い込まれていくような時間でした。


しばらくその場に佇んでいると、不思議な感覚が訪れました。


まるで、上から世界を見下ろしているような視点が与えられたのです。


暖かく、やわらかな草原に寝転んでいるような、穏やかな気分でした。


あの時のことは、今でもはっきりと覚えています。


以前あなたにも話したと思いますが、

「アメリカ人にはアメリカ人の神、日本人には日本人の神がいる」という考えは、間違っているのではないか――そう思えたのです。


今、目の前にある夕陽は、アメリカ人の夕陽なのでしょうか。

それとも、日本人の夕陽なのでしょうか。


そう問いかけるのと同じくらい、愚かな考えに思えたのです。


戦争は、人間の持つあらゆる残虐性をむき出しにし、すべてを巻き込みながら通り過ぎていく巨大な竜巻のようなものでした。


一瞬で、当たり前だった日常を吹き飛ばし、命を奪っていくのです。


そして生き残った者たちは、怒りと憤りに囚われ、判断力を失っていく。


その中で、神に対する考え方さえも歪められていくのだと気づいたのです。


そして、私のように「怒りの人」となってしまう。


その怒りは、「敵の神」に向けられていたのです。


私は、本当のことが知りたくなりました。


あの「休ませてあげます」という声が、どこから来たのかを、どうしても知りたかったのです。


あの言葉を聞いたあと、なぜ私の怒りは鎮まったのか。


これまで一度も思い出すことのなかった八重子の、あの楽しそうな顔が、なぜ浮かんできたのか。


なぜ、「故郷」と「紅葉」の旋律は、忘れようとしても、捨てようとしても、私の中に響き続けるのか。


それが分かるまでは、私は死ねない――


そう思いながら、空を見上げていました。


分かっていることは、ただ一つだけです。


あの声は、決して気のせいではないということ。


私は耳が聞こえません。


だから、人間の声とは思えないのです。


だとすれば、それは自分の心の声か、あるいは神のような超自然的な存在からの声か――


そのどちらかしかないと思えました。


誰もいない海岸の砂浜に座り、私のひとり問答が始まったのです。


もし、あの声が神のような存在からのものだとするなら――


何から「休ませてくれる」というのですか。


……それは、あなたの怒りからです。


怒りから解き放たれること、それこそが「休ませてあげます」という言葉の意味ではないでしょうか。


怒りはエネルギーを奪い、判断を狂わせ、さらに怒りを呼び込みます。


やがて心は疲れ果ててしまう。


だからこそ、その怒りから離れ、平安を取り戻すことが必要なのです。


私の中での問答は、なおも続きました。


では――


あの声は、私の心の声なのですか。


それとも、神の声なのですか。


教えてください。


しかし、その問いは煙のように空へと消えていきました。


一番知りたかった問いには、沈黙しか返ってきませんでした。


私は仕方なく、暗くなるまでその海岸に座り、真っ赤に染まる夕陽を眺め続けていました。


なぜ、あんなにも遠くにある太陽の熱が、ここまで届くのだろう。


宇宙には空気がないはずなのに、どうして暖かさが伝わってくるのだろう。


太陽はどこからエネルギーを得ているのだろう。


一日も休まず燃え続けるあの存在は、どこから燃料を受け取っているのだろう。


私の問いは止まりませんでした。


宇宙はどこまで続いているのだろう。


いつ、宇宙は始まったのだろう。


私はどこから来たのだろう。


そして、どこへ行くのだろう。


天国や地獄は、本当にあるのだろうか。


何一つ、私は分かっていない。


私は、死んだらどうなるのだろう。


記憶も感覚も、すべて消えてしまうのだろうか。


それとも、天国か地獄に行くのだろうか。


疑問は次々と溢れ出し、止まることがありませんでした。


九十年も生きてきて、人生の終わりが近づいているというのに――


私は何も知らない。何も分かっていない。


「あなたが神なら、答えてほしい!」


思わず叫びたくなるほどの思いでした。


なぜ、八重子はあのような姿で死ななければならなかったのか。


父や母が、いったい何をしたというのか。


神なら答えられるはずだ。


答えてみろ!


なぜ、私は耳の聞こえない身体で生まれてこなければならなかったのか。


答えてみろ!


なぜ、私を愛してくれる女性が、一人も現れなかったのか。


答えてみろ!


私の問いは、いつしか神に対する怒りへと変わっていました。


その時――はっきりと気づいたのです。


私は、神に向かって問いかけていた。


それはつまり、神の存在を前提としているということではないか。


本当に神などいないと思っているのなら、怒ることも、問いかけることもないはずです。


私は神を信じてはいない。


信頼もしていない。


しかし――


神の存在そのものは、認めていたのです。


その事実に気づいたとき、私は愕然としました。

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