第67話 毒と薬
看護師さんは、深く考え込んでいた。
このノートは、あまりにも危険すぎるのではないだろうか。
自殺未遂をしてしまった若い女性に、見せてよい内容なのか。
ここまで読み進めてきた率直な感想だった。
しかし同時に、職業柄、毒と薬の関係性もよく理解していた。
どんな薬も毒になり得る。
そして、毒もまた薬になり得る。
そのことを、嫌というほど知っている。
そして――
毒にも薬にもならないものに委ねた人間の結末も、数えきれないほど見てきた。
だからこそ、このノートに感じているものを無視することができなかった。
そこには、確かに輝くものがあった。
宝石のように、強く、深く光る何かが。
気がつくと、右手がノートを開いていた。
⸻
八重子のあの声が、聞こえてくるのです。
あの姿が、甦ってくるのです。
優しかった母の笑顔、一緒に遊んでくれた父の声を思い出すのです。
私の大好きな日本の歌が、キリスト教の布教に使われていたことに、怒りが込み上げていました。
日本には信教の自由があるので、私には怒る道理はありません。
私はそっとその場を去り、駅の売店でカップ酒をふたつ買い、反対側のあの海岸に行って、ひとりで酒を飲みました。
普段、私はお酒を飲まないのですが、その時は飲んだのです。
悔しさの持っていき場がなかったのです。
その日、私は海岸に座り、飲みたくもない酒を飲み、沈みゆく夕陽を眺め、真っ暗な夜の海と星、そして朝焼けに輝く空を見ていました。
一晩中、あの海岸で過ごしたのです。
アメリカの神に、日本人の魂が踏みにじられたようで、我慢できなかったのです。
その日の朝、太陽が眩しくなり始めた頃、ぼんやりした頭で帰る途中のことでした。
昨日コーラスしていた女の子たちが、教会のクリスマス集会のビラを駅前で配っていたのです。
私は受け取るつもりはありませんでした。
しかし、少し酔っていたせいもあったのでしょう。
思わず受け取ってしまったのです。
ですが、彼女たちの姿が見えなくなってから、それをビリビリに破き、日本酒の空き瓶が入っていたビニール袋に投げ込みました。
その日は部屋に戻り、服も着替えず、畳の上でそのまま眠ってしまいました。
目が覚めた時には、すでに夕方でした。
ビニール袋から空き瓶を取り出し、残りをそのままゴミ袋に捨てたのです。
その時、捨てた教会のビラの切れ端に、「日本の名曲 もみじ」と書かれているのが、ちらりと目に入ったのです。
故郷と同じくらい好きな曲でした。
何が書いてあるのか気になり、袋をひっくり返して、切れ端をつなぎ合わせてみました。
その瞬間、身体に衝撃が走りました。
「日本人クリスチャンの代表曲 もみじについて」
そう書かれていたのです。
何度読み返しても、そう書かれている。
あの「もみじ」が、日本人のクリスチャンによって作曲された――?
信じられませんでした。
私が憎んでも憎みきれない日本人クリスチャンが、あの「もみじ」を作った?
そんなことがあってたまるか。
そう思いました。
私は年寄りで、若い方のように簡単に調べることができません。
翌日、図書館に行って自分で調べてみることにしました。
しかし、何がどこにあるのか分からず、係の人に助けてもらうことにしたのです。
ノートに、
「唱歌の『もみじ』という曲の作曲者の名前が知りたいのですが……それと、その人の信仰について知りたいのです」
と書いて、若い女性の係の人に見せました。
すると、その方は携帯電話ですぐに調べてくださり、
「岡野貞一さんという方で、キリスト教徒だそうです」
と教えてくれました。
八重子に鎮魂歌のつもりで聴かせていた「もみじ」が、八重子が憎んだアメリカ、そしてアメリカ人の信仰するキリスト教と関係していた。
言葉では言い表せないほどの悔しさと憤りが込み上げてきました。
私は全身の力が抜けたようになり、カウンターにもたれかかりました。
すると、その女性はカウンターから出てきて、私を近くの読書用のテーブル席へと座らせてくださいました。
しかし、それだけでは終わりませんでした。
さらに大きな痛みが、私を襲ってきたのです。
先ほどの女性が、
「もう少し詳しくお調べしました」
と言って、印刷されたプリントを一枚持ってきてくださったのです。
そこには、驚くべきことが書かれていました。
岡野貞一という人が作った曲が、一覧になっていたのです。
故郷
朧月夜
春が来た
春の小川
紅葉
日の丸の旗
そして、さらに――
犬のおまわりさんや「さっちゃん」の作曲者である大中恩さんも、熱心なクリスチャンであると書かれていました。
私が最も憎んだ日本人クリスチャンによって作られた曲に、私は戦後何十年も慰められてきたのです。
身体が怒りで震え、止まりませんでした。




