第59話 自分の十字架
私の摂食障害の、あの感覚が消えている。
信じられなかった。
何か固形物を口にしようとすると、
鵜飼の鵜のように喉の奥が閉じてしまう――
あの苦しさに、何か月も悩まされてきた。
それが今は、ない。
やはり心の状態とつながっていたのだ。
薬が飲めると思った瞬間の、あの感覚。
手の震えが止まった時のことが、よみがえる。
私は、かぼちゃを一口食べてみた。
――ちゃんと味わえる。
こんな感覚は、久しぶりだった。
嬉しい。
回復の兆しかもしれない。
ふと、以前どこかで聞いた話を思い出す。
引きこもりだった人が、近所のボランティアを手伝うようになり、
誰かのために何かができることを知って、
少しずつ外へ出られるようになった、という話だった。
私は、目の前の彼女に何かをしてあげたわけではない。
けれど――
彼女の中に、自分を見た。
そのことで、自分を客観的に見つめる視点が与えられた気がする。
この場合は、あの話とは逆かもしれない。
私が何かを与えたのではない。
彼女が、新しい視点をくれたのだ。
――救われたのは、私の方だった。
もし、私が彼女にしたことがあるとすれば、
「カールがご飯、買ってきてくれたよ……
少しだけでも、食べようよ……」
そう声をかけた、それだけだ。
けれど今の私にとっては、それが
「誰かのために何かをした」という感覚になっていた。
負のサイクルから抜け出す、ほんのわずかな“回れ右”。
そんな気がした。
誰かのために何かをする――
そう考えていると、これまで出会ってきた人たちのことが、次々と浮かんでくる。
岡野貞一さんは、上から降りてきたメロディーを人々に流した。
体の不自由なあの伝道者は、自分の信じたことを語り続けていた。
そして、ハーモニカの老人は、
残された命を使って、私にあのノートを書き残してくれた。
そして、今ここにいる看護師さん。
みんなに共通しているのは、
誰かのために、自分の内側にあるものを流し出しているということだった。
聖書には「自分の十字架」という言葉があると聞いたことがある。
クリスチャンであるかどうかに関係なく、
人はそれぞれ、自分の十字架を背負って生きているのかもしれない。
「どうしたの? 大丈夫?」
彼女が、私の顔を覗き込むようにして声をかけてくれた。
「カールが頑張って買ってきてくれたんだから、食べよう……」
今度は、彼女が私に言った。
その声は、透き通るようにやさしかった。
私は思わず心の中でつぶやいた。
――天使みたいだ。
「うん、食べる」
そう答えたとき、
この部屋に、静かに何かが満ちているのを感じた。
まるで、天国が降りてきたようだった。
看護師さんのやさしい笑顔と、
彼女の透き通った声と表情に、私は見入っていた。
やはり――
今、こうしてこの人たちとここにいるのは、
偶然ではない。
あの「休ませてあげます」と言った存在が、
約束を守ってくれたのだ。
そう思わずには、いられなかった。




