第57話 境界線
私と同い年くらいに見える。
二十二、三歳だろうか。
希死念慮を抱えている私と、実際に行動に移してしまった彼女——
そして、ご主人を亡くした看護師さんは、どんな思いで私たちを見ているのだろう。
看護師さんが、私たち二人に優しく声をかけた。
「晩ご飯、少しだけでも食べようね。
食べられる分だけでいいから。無理はしなくていいの。いい?」
カールを見ると、カゴを咥えて看護師さんの前にちょこんと座っている。
看護師さんはメモ用紙に
おにぎり、かぼちゃ、きゅうりもみ、さといも……と書き、三人前と添えた。
それをお金と一緒にポシェットに入れ、カゴの中へ。
「カール、頼むね」
そう言って、頭を軽く撫でる。
カールはカゴを咥えたまま、静かに部屋を出ていった。
私は思わず聞いてしまう。
「カールが一人で買い物に行くんですか?どこまで……?」
「すぐ近くのお惣菜屋さんまでよ。
この辺ではカール、有名なの。みんな協力してくれるの」
少し誇らしそうに続ける。
「とても賢い子でね。途中で何か食べ物をもらっても、絶対に食べないように訓練されているの。
もらったものは全部、私に見せに来るの。許可がない限り絶対に食べないのよ」
彼女は、ずっと窓の外を見ていた。
両手を窓にかけ、肩を震わせて泣いている。
何があったのだろう——
聞かないというルールがある。
でも、何か伝えたい。
言葉が見つからない。
私は彼女の後ろに立ち、そっと肩に手を添えた。
震えが伝わる。
痛みが伝わる。
彼女が、小さな声でつぶやいた。
「死ぬ気だったのか……自分でも分からない。
突発的に……柵を掴んで、飛び越えようとしていた……」
——ドキッとした。
突発的。
その言葉に、身体が強く反応した。
私も同じだった。
あの時、ホームで——
突発的に電車に飛び込みそうになった。
私は、まだ境界線の上にいる。
そうはっきり分かった。
そして、それが怖かった。
その時——
ドアを引っ掻くような音がした。
ももが駆け寄り、同じようにドアを引っ掻く。
「看護師さん、ご飯が来たみたい」
そう言ってドアを開ける。
カールが、重たそうにカゴを咥えたまま入ってきた。
そのまま看護師さんの前にそっと置く。
中には、注文したもののほかに牛乳パックが二つ。
お店の人が、カールともものために入れてくれたのだろう。
看護師さんはカールの顎を優しく揉む。
カゴが重かったのだ。
その労をねぎらうように。
看護師さんは、私と彼女の無言のやり取りを、何も言わず見守ってくれていた。
夕陽が、部屋を満たしている。
すべてを知っているかのような光だった。
真っ直ぐにオレンジの太陽を見ても、もう眩しくはない。
夕暮れという時間は——
すべての命を、そっと癒すためにあるのかもしれない。
ももの白い体が、琥珀色に染まっている。
カールに寄り添うように、ぴったりとくっついた。
死と命の境界線に足を踏み入れてしまった私たちに——
正気を取り戻しなさいと告げるような、やわらかな光が満ちていた。
私たちは、見守られている。
——そう、思った。




