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第55話 屋上で

私は、何が起きたのか分からず、ただ看護師さんの方を見ていた。


院長らしい人が言う。


「やっぱりカールは特別だな」


看護師さんがすぐに聞く。


「お怪我の具合は?噛まれた方は……」


「今、手当てしているところだけど、大丈夫。心配ないよ」


その言葉を聞いて、少しだけ胸がゆるむ。


足元にももが体をすり寄せてくる。


院長が続けた。


「ももも偉かったよ。第一発見者だ。


ももが気づいてカールに知らせたらしい。子どもたちがみんな見ていて教えてくれた」


看護師さんはももを抱き寄せる。


「そうか……ももも頑張ってくれたんだね。ありがとう、ももちゃん」


優しく抱きしめる。


私は、まだ状況が飲み込めずにいた。


院長が、少し神妙な顔で説明してくれた。


「若い女性の患者さんが、柵を乗り越えて飛び降りようとしたんだ。


それを、ももが見ていてカールに知らせたらしい」


言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。


「片足が柵をまたいだところで、カールが突進していった。


そして、もう一方の足に噛みついて離さなかった。


そのまま柵から引きずり下ろしたんだ」


私は息を呑んだ。


「そのあと、その患者さんは泣きながらカールを何発も殴ったそうだ。


でもカールは、服に噛みついたまま離さなかった」


院長は静かに言う。


「屋上にいた子どもたちがナースステーションまで知らせに来てくれた。


私が来た時も、カールはまだ噛んだままだったよ」


看護師さんが、私の方を見て言った。


「カールはね、セラピードッグとして働いていた時も、いつも穏やかな子だったの。


でも、いざという時は、迷わず飛び込める子なの。


本当に賢くて、私の誇り」


そのカールが――


子どもたちの輪を抜けて、ゆっくりと私の前まで来た。


そして、真正面から、私の顔を見つめる。


澄んだ瞳だった。


まるで、何かを確かめるように。


……あの女性と同じ匂いを、感じたのだろうか。


看護師さんが、カールと私の間に視線を行き来させながら、静かに言った。


「カールも、あなたと友達になりたいって言ってるよ」


屋上に、オレンジ色の夕陽が差し込んでくる。


子どもたちの笑い声が、空に溶けていく。


頭にスカーフを巻いた子が、カールの頭を撫でながら言った。


「カールが頑張ったから、私も頑張る」


そう言って、泣きながら首に両手を回して抱きしめていた。


看護師さんが、少し申し訳なさそうに言う。


「ごめんね。泊めてもらうのは、また今度にしたいの。


ももとカールも、今日は病院に泊まることにするね」


そして、少し間を置いて続けた。


「よかったら……あなたも今日はここに泊まってくれない?


話はしなくてもいい。ただ、一緒にいたいの」


まっすぐな目だった。


「それに、さっきの女性とも、今日のうちにどうしても会って話を聞きたい。


だから……今日は病院にいてほしい」


少しだけ微笑んで言う。


「友達だから、それくらいの無理、聞いてくれるでしょ」


私は思わず笑っていた。


「もちろんです。友達ですから」


カールが、まだ私を見ている。


あの時――


何を伝えようとしていたのだろう。


そして、あの女性は……


どんな思いで、あそこに立っていたのだろう。


気がつくと、自分のことはすっかり頭から消えていた。


足元でももが、じっと私を見上げている。


抱き上げる。


その瞬間、伝わってくる重み。


――命には、重さがある。


存在の重さ。


軽く扱っていいものではない、確かな重さ。


ももの目が、夕陽を受けてガラス玉のように輝く。


その瞳が、何かを静かに訴えかけていた。


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