37 命のノート
私はここで老人のノートを一旦閉じる。
続けて読むには、私にはあまりにも重たすぎる。
あの老人は耳が聞こえなくても、自分は幸せだと私に言っていたが、やはりそんな簡単な話ではなかった。
このノートには老人の真実の姿を書かかれている。
自分の死期を目の前にして、本当の自分と向き合っておられたのだ。
怖いほど伝わってくる。
やはりあの笑顔の裏には壮絶な人生があったんだ。
怒りと孤独、そしてあのような時代を生きなければならなかった運命を、それを与えた神に対する強い憤りが滲んでいた。
ても、何故それを知り合ったばかりの私に伝えようとされたのだろう?
私にあの休ませてあげますという言葉が何処から来たのかを知らせることが、ご自分の最後の仕事だと思っておられた気がする。
それだけではなく、真実は何かを誰かに知らせる責務を感じておられたように思える。
いづれにせよあの休ませてあげますという言葉を聞いたのは私だけではなかったことが、これではっきりした。
幻聴ではなかったことが証明されたのだ。
あの老人が、世界中の人が聞いたと証言している言葉だと言っていた。
もし、本当に神だとするなら、私にも聞こえたのだから、神は神を信じていない者にも語りかけることがあるということになる。
このノートに書かれていたことは、老人が4年前を振り返ってその時のことを書いているのだ。
老人もその時は神を信じていないと書いておられた。
しかし、このノートを書いている時点では、神を信じていたのだろうか?
そして、その神とは誰のことなのか?
老人が憎んでいたキリスト教徒が信じている神と
同じ神なのだろうか?
私がこのノートを読み進めるには、しっかり頭を整理して心を研ぎ澄ませる必要がある。
誤解したくはない。
私は、老人を慕いすぎてはならないし、同情心を持ちすぎるのも良くない。
冷ややかな目も必要だと感じている。
いづれにしても、あの休ませてあげますという言葉を確かに私も老人もあの海岸で聞いた。
それは事実だ。
私があの声を聞いたその後、確かに適応障害で嫌になるほど味わってきた不安や恐れが消えていた時間が確かにあった。
湯船に浸かり心は鎮まり安らいでいた。
この体験は揺り動かされることはない。
もし、神のような存在が休ませてあげますと言ったなら、約束を守ってくれたことは事実である。
自分の体験が証明している。
最初から頭を整理してみたい。
私は仕事上の強いストレスから適応障害と診断され、会社を退職した。
心療内科に通うようになる。
自分の周りの騒音レベルを下げることが自分にとっていちばん大切なことだと信じて、あの海岸でタブレットとスマホを破壊した。
その時の海岸の安らぎを求めてもう一度あの海岸に行って老人と会う。
老人が吹くハーモニカを聞いて心の安らぎを体験してゆく。
この時もその時までの恐れや不安が消えていた。
その後あの休ませてあげますという不思議な声を聞く。
老人が何か知っておられるように思い、確認したかったが、その老人は急死されてしまう。
老人の死の前に書かれたノートを今こうして私は読んでいる。
私はこのノートを軽く取り扱うべきではない。
そう思っている。
あの老人の命の真実が書かれているからだ。
そして私は、今まで考えたこともないこと...
神は存在するのかという問いに向き合っていかなければならないと感じている。
神がいるなら、この適応障害という心の病を通されたのも神かもしれない。
ひょっとすると、この適応障害はあの休ませてあげますという言葉を聞くための神のプレゼントだったのかもしれない。
そんな気がしている。




