34 故郷と紅葉
しばらく私の怒りが収まらなかったので、その様子を見ていたあの女性が心配そうな顔でもう一度声をかけてくれたのです。
「大丈夫ですか?
奥に横になれるところがありますので、休んでいかれますか?」
と親切に声をかけて下さいました。
怒っているのではなく、気分が悪くなったのだと思われていたようでした。
私は小さく頷いて、カウンターからは見えない奥の部屋に通されました。
段ボールがいくつか置いてある六畳ほどのじゅうたんが敷いてある部屋でした。
そこで少し休ませていただくことになったのです。
あの故郷と紅葉がクリスチャンによって作曲されていたことの衝撃は私の心の芯に大きなひびが入ったようでした。
特にこのふたつの曲はすでに私の体の一部のようになっていて、私と一体化していた歌だったのです。
5分くらいしてから、さっきの女性が温かいお茶が入った紙コップを持ってきて優しく
「大丈夫ですか?
ご家族の方にお伝えしましょうか?
連絡先がわかればお電話しますよ」
と聞いてくれたのです。
「ありがとうございます。
大丈夫です。
もしよかったら、さっきの岡野さんという人のこともう少し知りたいです」
とノートに書きました。
「はい。いいですよ。すぐわかると思います」
気持ちよく応えて下さり、部屋から出て行かれました。
2分も経たないうちに戻ってこられ、
「これどうぞ」
と言ってまたプリントを渡してくれたのです。
岡野貞一が作曲した唱歌「ふるさと(故郷)」が発表されたのは1914年(大正3年)で、戦争の27年前。
作曲者の岡野貞一は寡黙で熱心なクリスチャンでした。
太平洋戦争開戦直後の1941年12月29日に亡くなりました。
と書かれていました。
あのビラに書かれていたことは本当でした。
しばらく休ませてもらった後、お礼を言って図書館を後にしました。
部屋には戻らず、そのままいつものあの海岸に向かったのです。
私は波打ち際に立って、カバンから大切にしていたハーモニカを取り出し、海に向かって投げ捨てたのです。
70年以上も大切に使っていたハーモニカでした。
私は自分の人生を呪うような気持ちで立ちすくんでいました。
その時です!
私の唇がハーモニカを吹いている時と同じように振動し始めたのです。
何が起きたのかとびっくりしました!
その振動はいつものように私の脳の中で私にしかわからない音に変換され、故郷が聞こえてきたのです。
頭を振っても、聞こえない耳を塞いでも故郷が聴こえてくるのです。
故郷の次は紅葉です。
紅葉の場合は、歌詞はもちろんですが、紅葉が目に染みるような色鮮やかに山一面を覆っている様子やその上に広がる真っ青な空が本当に目で見ている様にはっきり見えてきたのです。
秋の夕日に 照る山 紅葉
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓や蔦は
山のふもとの 裾模様
私は怒りのあまり、頭がおかしくなったのではないかと思うほどでした。
それくらいはっきり見えたのです。
そしてゆっくり唇の振動は止んでいきました。
山の景色も真っ青な空も消えてゆき、この海岸の現実の景色に切り替わっていったのです。
ハーモニカを海に投げ捨てたのは、八重子に対する気持ちが大きかったように思います。
アメリカを憎んで死んでいったあの可愛かった八重子が不憫で仕方なかったのです。
八重子が憎み、呪う対象を兄の私も一緒になって憎み呪ってやりたかったのだと思います。
八重子をひとりにしたくない思いが、ハーモニカを投げ捨てさせたのだと感じていました。
ハーモニカを捨てても故郷と紅葉の曲だけは消えてくれません。
海に投げ捨てることは出来ませんでした。
その時でした。
潮風ではなく真水の匂いがしたのです。
そしてあなたと同じ様に、あの休ませてあげますと言う声を、聞こえないはずの私の耳が聞いたのです...




