30 父
軽い食事のあと、実家に向かう用意を済ませ、玄関で久しぶりの気に入っていたパンプスを履く。
びっくりするほどブカブカになっていた。
食事が思うように取れなくなってから、もうこんなに痩せていたんだ。
怖くて体重を測れない。
手首を握るとやはりかなり細くなっている。
パンプスをもう一度脱いで、キッチンに行って
バナナを半分だけ無理して食べる。
私の痩せてゆく姿を母に見せたくなかった。
バナナを少し食べたくらいで変わるはずもない。
無駄な抵抗だ。
分かってる。
でも、母にはこれ以上心配かけたくない気持ちがそうさせていた。
重い気持ちでドアの鍵をかける。
*
家の前まで来て2階に目をやる。
母の部屋は真っ暗だ。
トイレが一階にしかないので、下で寝ているんだろう。
夕方5:30
チャイムを鳴らさず、ゆっくりドアを開く。
懐かしい空間だ。
悲しくなるくらい静かだった。
「お父さん...」
返事がない...
靴を脱いで、音を立てずにそーっと奥の部屋に行くと、母が布団の中で横向きに寝ていた。
こめかみから目にかけて濡れているようなタオルを載せている。
眠っているようだ。
頭の周りには洗面器、ストロー付きのカップ、それに食べかけのゼリー...
あまり食べれていないんだ。
顔色はかなり悪い。
父は買い物にでも出かけたのだろうか?
その時、母が私の気配を感じたみたいだった。
右手でゆっくりタオルを取って私を見た。
「ああ...」
と声を漏らした。
「ちょっと疲れただけだから心配ないよ....」
と元気のないかすれた声...
そう言ってまたすぐタオルを目に当てた。
「ごめんね...目を開けると少し気分が悪くなってしまうから...」
「今、お薬飲んだところで頭がぼーっとしてるからちゃんと起きた時......」
と言いながら黙り込んでしまった。
何か言うのかと思っていたら、そのまま眠ってしまった。
私が思っていたより、かなり悪そうだ。
話の途中で眠ってしまうなんて...
玄関から物音が聞こえてくる。
父が帰ってきた。
玄関の私の靴を見てるはずだが、私を見るなり、
「あっ!もう来てたのか?」
と言う。
憎らしいほど血色がいい。
コンビニ袋を持っていた。
中にはお弁当が3つ入っているのが見える。
父はまだ私の摂食障害のことは知らないかもしれないが、適応障害のことは父なりに調べているはずだ。
「仕事辞めてしまって、今何してるんだ」
ぶっきらぼうに聞いてくる。
でも私には分かる。
父は心配なんかしていないふりをしているんだ。
心配そうな顔をしていると、私がしんどくなることを理解している。
話す時の表情でわかる。
痩せたことにも触れてこない。
父の態度を見ていて、私が恐れていた言葉...
ここで一緒に住みなさいは言わないと思えた。
私から言えば話は別だが、父からは言わないだろう。
押し付けはメンタルの問題を抱える者にとって、心に負担をかけると言うことを理解してくれているようだ。
調べてくれているんだ。
父は知らない間に少し優しくなっていた。
そんな気がした。
「弁当買ってきたから、一緒に食べよう」
と言って私を見る。
困惑した。
私の顔を不思議な顔で見つめたが、
「じゃ、父さん先食べるな」
と言う。
何かを感じたらしいが、食事のことにはそれ以上触れてこない。
摂食障害のことも理解してるんだ。
そう感じた。
私はどれだけ両親に心配かけているんだろう。
今日は泊まっていくんだろ?とも聞かない。
「お母さん、ちょっと疲れただけだから、心配ないから」
と言って、奥の部屋にいって、またすぐ戻ってきた。
手には封筒を持っている。
「これ...」
と言って私の目の前に差し出す。
お金だった。
私から先にお金の話をさせないでくれた。
「何も言わなくていい。できることはなんでもしてやる。なんでもだ」
私は父の優しさに涙が溢れて止まらなかった...




