第246話 本当の友達
「少し、話しておきたいことがあるの」
看護師さんが、オーナーさんにそっと言った。
「なに?」
「帰る前に、ちょっとカフェで……」
「いいよ」
私たち三人は、駅前のカフェに入った。
席に着くと、オーナーさんが尋ねた。
「それで、話って?」
「うん。
娘のことなの。
あなたにも、知っておいてもらった方がいいと思って……」
オーナーさんは黙って頷いた。
「娘は結婚しているんだけど、旦那さんがいろいろ問題のある人なの」
看護師さんは、少し間を置いた。
「今、警察に捕まって、勾留されているの……」
「えっ?」
「空き巣の現行犯で逮捕されたの」
「空き巣……」
「あなたのカフェでアルバイトしている子と、ここにいるこの子は、もう知っているの。
それだけじゃない。
私と娘のために、いろいろ助けてくれているのよ」
「……そうだったの。
全然、知らなかった」
看護師さんは、話を続けた。
「旦那さんは、逮捕される前、娘にひどい暴力を振るっていたの。
そんな日が続いていたんだけど、そのうち家に帰らなくなって、そのまま行方がわからなくなった。
娘は部屋に閉じこもるようになって、近所の人たちも心配していたみたい。
同じマンションに住んでいる、元刑事だという人が娘の様子を心配して、病院につながるように手を尽くしてくれたの。
それで、あの病院に入院することになったのよ」
オーナーさんは、黙って聞いていた。
「私は、娘から連絡してこないでと言われていたから……
そんなことになっていたと知ったのも、ずいぶん後だったの。
娘は、旦那さんからの暴力で心に深い傷を負って、摂食障害も重いままで……
もう半年も入院しているの」
看護師さんは、オーナーさんの顔を見た。
「それでね。
これだけは、知っておいてほしいの」
「うん」
「旦那さんが空き巣で逮捕されて、今も勾留されていること。
娘には、まだ話していないの」
「そうなの?」
「今はまだ、精神的に不安定だから……
担当の先生とも相談しながら、いつ、どう伝えるか考えているところなの。
だから、あなたにも知っておいてほしかった。
これから、娘と話す機会があると思うから」
「……そうだったの」
オーナーさんは、しばらく言葉を探しているようだった。
「話してくれて、ありがとう」
「娘と話していて、旦那さんのことが出るかもしれないでしょ。
黙っているのはつらいと思うけど、今はお願いしたいの。
約束してくれる?」
「わかった。
でも、娘さんから直接聞かれたら、どう答えればいいんだろう」
「そうよね……」
看護師さんは、少し考えてから言った。
「いつまでも隠せることじゃないし、本当のことを話す時は来ると思ってる。
その時期も、先生と相談して決めたいの。
だから、もし聞かれたら、私に話してくれるよう伝えてもらえる?
あなたに、嘘をつかせたいわけじゃないから」
「うん。
それなら、そうする」
少し沈黙があった。
今度はオーナーさんが、看護師さんを見つめて言った。
「私ね、今日、娘さんに自分のスマホの番号を渡したの」
「そうなの?」
「うん。
まだ話したいことがあるみたいだったから。
それで、私に話したことは、お母さんには言わないって約束したの」
看護師さんは、何も言わずに聞いていた。
「だから、話した内容は伝えないよ。
でもね、娘さんの身に危険があるような話だったら、黙っているわけにはいかないと思ってる。
そのときは、娘さんにも話して、あなたや先生に相談するから」
「……うん。
それでいいと思う」
オーナーさんは、少し笑った。
「あなたの娘さんのためなら、私、喜んでスパイにでも何にでもなるから」
「スパイ?」
看護師さんも笑った。
「でも、娘さんの秘密は、ちゃんと守るよ」
看護師さんは、しばらくオーナーさんを見つめていた。
そして、
「あんたは、本当の友達だ。
娘を引っ叩いたこと、赦すよ」
と言った。
オーナーさんは、目の前のコーヒーをひと口飲んだ。
「ここのコーヒー、うちのと同じくらいおいしい」
そう言って、笑った。
私は、二人のやり取りを黙って見ていた。
長い付き合いの中には、きっと、いろいろなことがあったのだろう。
私にはまだわからない、大人の友人関係を垣間見た気がした。
窓から差し込む木漏れ日が、三人のテーブルの上で、ゆらゆらと揺れていた。




