第241話 冷めかけたピザ
オーナーさんは、何か言いにくそうにしていた。
「食べながら聞いてくれる?」
そう言って、水を一口飲んだ。
「いいよ。
何でも聞くよ」
看護師さんが答えた。
「今まで、あなたにも言えなかったんだけど……。
私ね……。
娘さんに、手を上げてしまったことがあるの」
私たちは驚いた。
看護師さんは、オーナーさんの顔をじっと見ていた。
「娘を叩いた……ってこと?」
「うん……。
ごめんなさい」
看護師さんも、水を一口飲んだ。
「あなたが、理由もなく人を叩くような人じゃないことは、私がよく知ってる。
何があったの?
聞かせてもらえる?」
オーナーさんはうなずいた。
「あの子がうちのカフェのバイトを辞めて、二、三年たった頃だったと思う。
突然、お店に来たの。
カウンターに座って、
『お久しぶりです』
って。
その時、少し酔っているように見えたの。
それでね、突然こう言ったの。
『父親が昨日、自殺しました』
私、びっくりしてしまって。
すぐにあなたに電話したの。
覚えてる?」
「覚えてる……。
あの時、娘とちょっと言い合いになって、家を飛び出して行ったの。
あなたのところにいるって分かって、安心したのを覚えてる。
『ちょっとだけ頼むね』って、あなたに言ったよね。
あの時は、私も頭が混乱してて……。
よく覚えてないこともあるんだけど」
オーナーさんは、ゆっくりとうなずいた。
「ちょうど閉店の時間だったから、お客さんが帰った後、私も娘さんの隣に座ったの。
それで、話を聞いていたんだけど……。
娘さん、こう言ったの。
『お母さんのせいで、お父さんが死んだ』
って」
看護師さんの表情が変わった。
「お母さんは患者さんのことしか考えていなかった。
私やお父さんのことなんか、ほったらかしだった。
家のことは何も知らなかった。
お父さんの会社がどんな状態だったか。
お父さんがどれだけ苦しんでいたか。
何も知ろうとしなかったって……」
オーナーさんは、そこで言葉を止めた。
「私は、あなたが看護師長として必死に働いていたことを知っていた。
でも、娘さんのお父さんが亡くなったばかりだったから……。
何も言わずに聞いていたの。
娘さん、お父さんがかわいそうで仕方なかったんだと思う。
一番近くで、苦しんでいる姿を見ていたのかもしれないしね」
看護師さんは、黙って聞いていた。
「娘さん、何度も言うの。
『お母さんが悪い』
『お母さんが悪い』
って。
私、何か慰める言葉をかけてあげたかったんだけど、何も言えなかった。
ただ、聞いていることしかできなかったの」
オーナーさんは、もう一度水を飲んだ。
「そしたらね。
娘さんが、小さな声で言ったの。
『あいつのせいだ。
あいつがお父さんを殺したんだ……』
って。
目に、いっぱい涙をためていた。
私、その言葉を聞いて、我慢できなくなってしまったの。
『それは違うよ。
お母さんだって……』
そう言いかけたら、
『何も分からないくせに!
あいつがお父さんを殺したんだ!』
って、私を睨んだの。
それで……」
オーナーさんは、うつむいた。
「気がついたら、娘さんの頬を叩いていたの。
娘さん、何も言わなかった。
そのまま泣きながら、お店を飛び出して行ってしまった……」
しばらく、誰も口を開かなかった。
「ごめんなさい……。
ずっと黙ってて。
あの子、お父さんを亡くしたばかりだったのに。
私は、何てことをしてしまったんだろうって……。
今でも思い出すの」
看護師さんは、何も言わなかった。
私も彼女も、言葉が出てこなかった。
私は、娘さんが以前話していたことを思い出していた。
自分には、ばちが当たったのだと。
もしかしたら……。
お母さんに向かって、あんなことを言ってしまった。
そのことを、今も責めているのだろうか。
でも、本当のところは分からない。
娘さんは、どんな気持ちであの言葉を口にしたのだろう。
そして、今、どんな気持ちでオーナーさんに電話をかけたのだろう。
テーブルの上には、ほとんど手のつけられていないピザがあった。
もう、冷めてしまっているようだった。




