24 優しい看護師
私は気になっていたことを、看護師さんに聞いてみた。
「あの方は、病院に運ばれてから少しお話しすることができたのですよね。
何故、お名前や住所を聞かれなかったのですか?」
「当日はノートと書くものを下さいと言われただけでした。
私がナースステーションにノートを探しに行きましたが、ひょっとすると、遺書を書かれるのかもしれないと思い、新しいノートを渡したかったのです。
それで売店まで行って新しいノートを買ってあの方の元にもどったのですが、その時にはお休みになっていたようでした。
それで次の日に確認しようと思ったのです。
しかし、翌日はもうお話しできる状態ではありませんでした」
「......そうだったんですか...」
私に伝えることをノートに書き記すために無理をされたのだろうか?
考えるのはよそう。
もうどうにもならないのだ。
看護師さんはとても思いやり深い眼差しをしている。
「私は今日はもう仕事は終わっているので、もしよかったら、病院で売っているお花を買ってきますので、一緒にお花を海に流しましょう。
あの方のために...
30分で戻ってきます。待っていて下さい。
いいですか?」
と言ってくれた。
「はい。お待ちしています。ありがとうございます」
と言葉を返す。
優しい看護師さんの後ろ姿を見て、やはりあの老人は人の心を動かす何かを持っておられたんだと感じる。
20分も経たないうちにお花を買って戻ってきてくれる。
病院は駅のすぐ向こう側にあるのだろう。
看護師さんは言う。
「あの方ね、私がノートをお渡しした日の夜中に、見回りで病室を巡回していた時、寝言だと思うんだけど、
(赦してください...赦してください...)
と言われているのを聞いたのです。
言葉がはっきりしておられないので、確かなことは分かりませんが、私にはそのように聞こえました。
横向きになって背中を丸めて両手をしっかり合わせて言われていたのです。
もし、もしもの話だけど...
あなたの心に何か引っ掛かっていることがあるなら、私でよかったら聞きますよ。」
と言ってくれた。
私はいろんなことが一度に起きているので、頭がついていけない。
テキパキと答えられない。
私が困ったように黙っていると、
「ごめんなさい。変なこと聞いて...」
でも、看護師さんのお気遣いがありがたかった。
どうぞと言って、綺麗な白百合の花をひとつを手渡してくれる。
クリーム色の花びらの真ん中に鮮やかな黄色い花粉がとても綺麗だ。
なんとかぐわしい香りだろう。
浜辺の優しい風に香りの粒子が夕暮れの空に舞い上がっていた。
初めて会ったばかりの看護師さんとふたりだけで、名前も知らない老人のお葬式をする...
私は頂いたノートを丁寧にバッグに納め、水筒と紙コップをふたつ取り出す。
看護師さんにどうぞと言って紙コップを渡し、ハーブティーを注いだ。
もうひとつの紙コップは私の分にした。
私は一緒に飲んでくださいと言ってふたりで飲んだ。
乾杯みたいになってしまい少し気まずい。
「あの老人は美味しいと言っておかわりもしてくれたんです」
そう言ったら、感情が抑えられなくなって嗚咽するように泣き出してしまった。
看護師さんは優しく肩を抱いてくれ、
「本当に美味しいね」
と言って紙コップを砂浜に置いた後、両手で私を抱きしめてくれた。
私が泣き止むのを静かに待ってくれる。
少し落ち着いてきた頃、
「じゃ、花を....
一緒に海に流そうね」
私は小さく頷いて、ふたり揃って波打ち際に向かっていった。
ふたり同時にしゃがんで何も言わずにそっと水の上に花を置く。
キラキラ光る海面に2本の白百合がいつまでも波打ち際から動こうとせず、同じ位置で手を振るように漂っている。
今日この海岸に来る時、こんなことになるなんて想像していなかったので、現実に起こっている出来事に歩調が合わせられない。
戸惑っている私に言われた。
「さっきの名刺、無くさないでね。
話したくなったらいつでも電話して下さいね。
話し相手くらいなら出来るから」
と言って、不必要な言葉は一切残さず、私の肩を軽くポンポンと2回触れて、病院に帰って行かれた。
私は老人のノートが入ったバッグを胸に抱きしめ、少しずつ沈みながら揺れている白百合をいつまでも眺めていた。
あの故郷のメロディーと老人のあの笑顔が私の中に充満してくるようだった。




