第237話 少しだけ傷ついた
看護師さんが口を開いた。
「警察に相談したいことは、一つです。
娘の安全です。
娘はもう成人していますから、親の私が勝手に決められることではありません。
でも、これからのことを、少しずつ娘と話し合っていきたいと思っています。
今は、何度か病院へ行って、娘と話す機会をいただいています。
ただ、娘の夫のことには、私も娘もまだ触れていません。
もう少し、体調が落ち着くのを待ってみようと思っています。
娘の方から話し始めてくれればいいのですが……。
これからどうしたいのか。
どこで、どんなふうに暮らしていきたいのか。
まだ何も分かりません。
でも、焦らずに見守っていきたいと思っています」
ご主人は、優しくうなずいた。
「そうですよ。
何も焦ることはありません。
まずは、娘さんのお気持ちが大切ですからね」
そして、私たちの方を見た。
「それに、こうしてお二人も一緒に来てくださっている。
お二人が、自分たちで娘さんの居場所を探しておられたこと、私は忘れていませんよ。
刑事顔負けです」
私は、思わず彼女の顔を見た。
ご主人は続けた。
「お母さんが、これまで周りの人たちを大切にしてこられたからこそ、こうして力になろうとする人たちがいるんでしょうね。
私は、そう思いますよ。
長い間、いろいろな人を見てきましたが、人と人とのつながりというのは、本当に大切なものです。
だから、私も協力したいと思っているんです」
ご主人は、私たち一人ひとりの顔を見た。
「みんなで力を合わせていきましょう。
心配なことがあれば、一つずつ考えていけばいいんです」
そう言って、温かい笑顔を見せてくださった。
奥様も、隣で優しくうなずいていた。
「それから、何か不安なことがあったり、どうすればいいのか迷ったりした時は、遠慮なく話してくださいね」
ご主人が、もう一度そう言ってくれた。
私たちは深く頭を下げ、マンションを後にした。
*
駅に向かって歩いていると、彼女が空を見上げた。
「人と人との巡り合いって、すごいですね」
本当にそう思う。
元刑事さんは、きっとこれまでも、誰かの力になろうとしてこられた方なのだろう。
退職された今も、こうして私たちのために時間を使ってくださっている。
私には、なかなかできそうにない。
すごい人だな。
そんなことを考えながら歩いていた時だった。
なぜだろう。
昨夜のことが、突然口から出てしまった。
「私、昨日の晩ね。
二人が寝静まってから、頭の中で娘さんに手紙を書いたんです」
「はぁ?」
彼女が、妙な声を出した。
「頭の中で、手紙を書く?」
「うん」
看護師さんも、驚いた顔で私を見た。
「へぇ……。
それで?
何て書いたの?」
少し身を乗り出してくる。
「まだ、言わない」
「ええっ、何それ!」
彼女が言った。
「今晩、私が刑事になって、白状させてやるから」
「やめてよ!」
私たちは三人で笑いながら、駅へ向かった。
*
部屋に戻ると、ももとカールが待っていた。
私たちの姿を見るなり、ももが駆け寄ってきた。
やっぱり、ももは彼女が好きなのだ。
私には目もくれず、彼女の足元にまとわりついている。
カールは、いつものように看護師さんの顔を見上げ、尻尾を振っていた。
私は二匹の顔を交互に見た。
……私には?
私を待っていたわけではないらしい。
私は、少しだけ傷ついた。




